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心臓の音
連休が始まり、樹汰の小さなお店は毎日開店している。
顔を合わせたくないなら、別の道を行けばいい。
わかっていて店の前を通るのだから、悠河自身、自覚なく樹汰へ会いに行っていると同じだ。
今日も赤い実が入ったスコーンを買い、樹汰にそのまま引き留められていた。
そろそろバイトへ向かおうとして一歩下がると、黒髪のすらりとした少年が入ってくる。樹汰と挨拶を交わし、注文が始まった。
「ケーキとスコーンを全部、ひとつずつください」
「弟さんの分?」
「そう。友達も来るんです」
悠河がそっと店外へ出ようとすると、すかさず樹汰が「同級生のあやくん」と紹介してくる。
あや、という子はこちらに向かって微笑んでいる。見覚えのある顔なのに、悠河はどこで見かけたか思い出せない。
それよりも、知らない人たちと話すのは苦痛が伴う。それはアルバイトだけでいいと思った。
「それじゃ」
「なんで、行かないでよ」
「バイトだし」
「まだ時間あるじゃん」
樹汰は袖をつかんで腕を揺する。
「樹汰くん、うちの弟みたい」
「サッカーやってる子でしょ。この間一緒に来てくれたよね」
「そう、楓くんの家に行くところだった」
──ああ、大切なひと、楓くんの。
胸がドクッと鳴る。楓と肩を寄せ合い歩いていた、線の細い子だった。
この分なら樹汰にはほかにも親しくしているひとたちがきっとたくさんいるはず。
そう、自分以外にも。
最近毎日会っているせいか、樹汰にとって自分は特別なのだと思い込んでいた。そうであってほしかった。でも、そうではないと言われた気までした。
身の置き場がなくゾワっとする。
ふたりの言葉は、紗の向こうでぼんやり揺れている。手が届きそうで、届かない。
そのうち時間がきて、悠河はふたりに見送られながら自転車に跨った。
漕ぎ始めた自転車のホイールが回る。道の少し先に視線を置く。時は進む。
気がつくと、遠くで雷鳴が聞こえていた。
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