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小さな子供の期待値
ひとり歩いていた悠河は、坂道を登る手前で足を止めた。道を塞ぐように止まった大きな車から、身なりのいい、想像していたよりも若い男が声をかけてきた。
教育施設の中にある小さな舞台での自主公演を終えた後、児童劇団のスタッフに見送られた帰宅途中。
悠河は、芸能に興味はない。親の方針で通っているだけで、機嫌を損ねないために黙って従っているのが楽だったからだ。
この時も出番など殆どない端役で、テレビや大きな舞台への足掛かりするため熱心に通っている子供たちからはぐれてひとりでいた。
「お疲れさま、今日の役、とてもよかったよ」
「おれ、セリフなかったけど」
このひとが児童劇団の自主公演を見たというなら、誰かの父兄なのだろうかと、悠河は思った。
「言葉じゃない演技がよかったんだよ。ご飯でも食べながら、おじさんと、少し、お芝居の話をしよう」
開いていたウィンドウから、着物を着た男が顔を出した。
「さあ、乗って。もっといいお芝居ができるようになる」
若い男にも促され、バックシートへ半ば押し込まれるようにして車に乗せられる。
なんで断れなかったの、と聞かれるのが怖くて、誰にも言えず胸の奥にずっと閉じ込めてきた。
なにを期待され、どんな価値を見出されたのか。悠河自身、知る由もなかった。
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