マジック

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マジック

 まだ寝ている母親を起こすことなく、バイト先である「そら船」へ向かう。  今日はいつもと違う、お屋敷の並ぶ丘の上を走ることにした。  短い坂道を登りすぐ、初めて見かけるペイストリーショップの前で、自転車を止めた。  店、というより、道に面した駐車スペースの物置を改造をした、大きな露店に見える。 「いらっしゃいませ」  入り口から中学生くらいの男の子が顔を出した。それに気づかず、「お店、あったんだ。ここに」と思わず漏らしてしまう。  店内で目に入るのは、平台に並ぶ素朴な焼き菓子。チャンクしたチョコレートのスコーン。ドライフルーツのケーキ。溶けるマシュマロのクッキー。  ぐるりと見回せば、白い霞草があちこちに飾られた、カントリースタイルのインテリア。 「先週オープンです」  台の向こうでにこりと少年が笑う。オーバーサイズの白いフーディーが魔法使いのようだ。 「なにかテイスティングされますか?」 「え……、チ、チーズケーキ、いい?」 「もちろん」  正直な話、悠河はそれほど甘いものが欲しかったわけではない。入ってしまった手前、仕方なくしたチョイスだ。  少年は悠河の肩ぐらいの身体を伸ばして、小さくカットしたケーキを渡す。  ピンクの唇が動く。 「どうぞ」  差し出された木製のピックに刺さるケーキが、受け取ろうとした手を無視し唇を突ついた。 「いい匂いでしょ」  悠河が戸惑うのをよそに、ちょん、と再び唇が突かれる。口を開けろというサインだと気づき、甘い欠片を口に含んだ。  舌でほどける、発酵した乳の香り。  目の前で微笑む白い肌の少年とお菓子。白いテント。霞草。お屋敷街に現れた魔法の庭。  「またね」の声が耳に残ったまま、「そら船」への道を進む。陽射しが明るくクリアになる。  長いくだり坂でペダルを軽く踏むと、大きなチーズケーキの入った紙袋がガサゴソと鳴った。
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