天使は雪と舞い降りる

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 僕は多分、前世の記憶が残ったままこの世に生まれ落ちた。 生まれ変わる前は僕は犬だった。 一年の半分は雪に覆われる地域で兄弟たちと一緒に生まれ、のんびり屋で能天気に雪を追いかけて遊んでいるうちに段ボールのおうちごとみんなどこかへ連れて行かれた。 はらはらと雪が舞う銀世界で僕はひとりぼっちになって、凍えかけた僕を拾ってくれたのがキミちゃんだ。優しくて温かくて、大好きなキミちゃんの笑顔は記憶の中で鮮明に生きていて、ずっとずっと消えない。 この春、僕は無事に大学へ入学した。広いキャンパス内には桜の並木道があった。ひらひらと落ちていく桜の花びらの中を入学祝いのフラワーシャワーと喜ぶ友人に混じって、僕はひとり、犬だった前世の記憶と向かい合っていた。 キミちゃんの心はまるで春時雨のようだった。晴れたり涙を流したり、その度に僕の心も晴れたり曇ったり忙しかった。 桜の木が満開の花で満たされると、その美しさに目を細めた。でもすぐに散ってゆく花弁に「なぜ散ってしまうの」と嘆いて涙していた。 夏になると、バイト先の仲間と祭りへ行った。女子の浴衣姿に男子のテンションは上がりっぱなしだった。たこ焼きを食べ、金魚すくいをして、花火を見上げた。それなりの青春をそれなりに過ごしていた。 「線香花火したいな」 「いいよ、買ってくる」 気の合う女の子と二人っきりになって、近くの河川敷で線香花火に火をつけると、目の前にはキミちゃんの笑顔が浮かんだ。 キミちゃんは、線香花火が大好きだった。でも、火の花が落ちるとその笑顔も消えていった。「どうして離れていくの」「ずっと側にいてよ」って願いを言葉にしては、はらはらと涙をこぼした。 僕は、僕がずっとそばにいるよって言っていたんだ。だけどその言葉は届かなかった。 秋になると、僕なぜだか気持ちが落ち着かなかった。その理由は分からなかった。夏に二人で祭りを抜け出した女の子から好きだと告白されたけれど僕は丁寧に断って、周囲からはもったいないと散々非難の声を浴びせられた。 でも、落ち着かない理由はそこではない。 ふと、紅葉が散って用水路へ落ち、水の上を流れていくと僕の横をキミちゃんが駆けていった。キミちゃんは秋が大好きで紅葉が大好きだった。落ち葉を踏んで遊んだ音が足下から聞こえてくる。 「どうして連れて行ってしまうの」 小川に浮かぶ紅葉船を追いかけて、転んで、膝をすりむいてうずくまってキミちゃんは泣いた。僕は急いで追いかけてキミちゃんのほっぺをペロリと舐めた。 ――僕はここにいるよ。 僕はずっとここにいるのに、ずっとキミちゃんの目の前にいるのに、大好きなキミちゃんを笑顔にすることができない。 巡ってまたこの季節はやってくるのに、それが生きてる証なのに、大丈夫だよと言っているのに、大丈夫だからと言い続けたのに、キミちゃんには届かなかった。 はらはら舞う雪を見上げて、ようやく僕は、その時の僕がすでにこの世から去っていたことに気がついた。 大好きなキミちゃんは、僕を想って泣いていた。ずっとずっと僕と過ごした時間を思い出しては泣いていたんだ。 キミちゃんを悲しませていたのは僕。そのことに気がついて、人目も憚らず子どもみたいに泣いた。氷点下の中、零した涙はやがて凍ってキラキラと光った。 キミちゃん。 大好きなキミちゃん。 「大丈夫ですか?」 聞き覚えのある、優しい声に体がびくりと揺れた。 はらはらと雪が舞う銀世界でひとりぼっちになって、凍えかけたボクを拾ってくれたキミちゃんの声。 僕はかじかむ手で涙を拭いて、ゆっくりと顔を上げた。 「大丈夫?」 そういってハンカチを差し出す彼女は、優しくて温かくて、やっぱり大好きなキミちゃんだ。記憶の中で鮮明に生きていて、ずっとずっと消えない、大好きなキミちゃん。 「大丈夫、です」 咄嗟に出した声は想像以上にうわずった。 「ふふ、そう? 大丈夫じゃなさそうだけど」 僕の声でキミちゃんがふわりと笑った。僕の声が届いた。キミちゃんに届いた。 今度こそ僕はキミちゃんのそばにずっといたい。今度こそ僕はキミちゃんをずっとずっと笑顔にしたい。 だから。 「あ、あの……!」 ――だからキミちゃん、もう一度、僕を拾って。
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