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とある日の公園に俺とその相棒がいる、と思ってほしい。
相棒とは誇り高き雑種の犬だ。
犬を散歩させていると同じく犬の散歩の最中の老若男女と会話することができる。
颯爽と歩く俺と相棒を見て可愛い女性が話しかけてくるところだ。
「お名前は」女性に訊かれて俺が名乗ると、彼女は笑いつつ「犬の方」と言われるのでそれは良い。
「カバ太」改めて相棒の名前を紹介すると
「カバには見えませんね」と訳が分からないという顔で彼女は言う。
「パスタの一種で螺旋状に渦巻いた「カヴァタッピ」から来ているのですよ。ですから本名は「カヴァタ」になります」懇切丁寧に由来を解説をするのまでが一セットだ。
「はぁ……」聴き終えた相手は笑みを浮かべつつどこか困ったような顔をして無言になってしまう。
もちろん、今まで犬の散歩中に女性から話しかけられた事はない。
しかしこの先の未来にそういうことがあるかもしれないというのは心得て、その時に備えて会話の準備だけはしておくに越したことはない。
……白状しておくけど、スーパーの食品売り場で見かけたパッケージの「カヴァタッピ」という呼び名が妙に気に入ってしまい、相棒と暮らすことになった時に出来心……ではなくインスピレーションからその名前に決めたのである。
良い名前だと思うのだが当の相棒・カバ太ッピはこの名前にどこか恨みを抱いているのか、一生涯を俺に対する反抗期と心に定めた節がある。
もうそろそろ許してくれても良い頃合いだと思うんだが。
さて、実は名前のことはどうでも良い。
▽▽
「ペットは飼い主に似る」と言われるけどあれは当たってるのかどうか。
俺は疑わしいと思っている。
同居してもう一年、カバ太は飼い主に似ないでどこか抜け作っぽいのが気になるところだと、ずっと思ってはいた。
「君子危きに近寄らず」とも言うけれど、別段君子にならなくても十分なのだけど、危ないだろうというところに尻尾を振り振り飛び込む様なそんなカバ太に振り回されてばかりいる。
本人(犬)は澄まし顔でいつも誇り高き犬を装いつつ、散歩の最中に目を引いたものに全力で飛び付こうとするその苛烈な魂はどこから来たものか。
その日曜日に起こった出来事の話だ。
いつものコース、物静かな郊外の住宅地、川沿いの遊歩道などをのんびり辿り、人気ない神社の境内へ。
階段を上がりきったそこは樹木に囲われた空気の良い場所だ。
心静かに落ち着ける場所でリフレッシュする……筈だった。
しかしカバ太には何かのスイッチが入り猛烈な勢いで走り出した。
駆け足気味のカバ太の勢いに気を取られ、俺は足元への注意が疎かになり、地面から古木の根が浮き出したものに爪先を引っ掛けよろめき、持っていたリードを手放してしまった。
カバ太は勢いのついたまま、俺がいないがごとくに思い全力で走り出し全身で自由を喜び、はしゃいで駆け回り、そして遂には境内にある謎の石灯篭の台座に開いた穴を潜って通り抜けようとして……詰まってしまった。
▽▽▽
人が抱えて動かせる石灯篭ではない。
頭と前脚、お尻と後脚を出して、胴体がしっかり嵌まり込んでいる。
……無理に引き出したら絶対に危なそうだ。
ゆっくりと引き出そうとしてもカバ太は落ち着かず四肢をジタバタさせて抜け出そうとする。
「カバ太、落ち着け、じっとして」とりあえず駆け寄った俺は両手で頭を覆って撫でた。
こんな状態で暴れられたらカバ太の身体中に怪我が出来かねない。
「俺が出してやるからな、ゆっくりと……」どうかするとテンションが上がって暴れ出しそうなカバ太を宥めつつ、反対側の穴の後ろ脚が後方に伸びきっているのを確かめてから横抱きするようにカバ太の上半身を抱え、そろそろと抜き出した……と思った。
温かいカバ太の身体を抱え、石灯篭の穴から抵抗もなくするりと引き抜いてから腕を放し、詰まっていた胴体のあたりに切り傷などが無いか確かめようとカバ太を見た。
思わず声をあげてしまった。
傷が無いどころでなく、下半身が丸ごとなかった。
カバ太がちぎれた!!
全身が凍りついたようになって地面に尻をついてしまった。
「カバ太!!」
思わず声を出した瞬間、カバ太はピクンと耳を立てて行先も定めずに走り出した!!……上半身のみが。
悪い夢を見ているみたいになった。
上半身だけのカバ太はセンシティブ画像な断面図を見せつつ、ひっくり返ることなく二脚歩行で駆け回ったいるのだが、切断された筈なのに出血を一切していない。
衝撃すぎる情景で地に腰をついたまま見ていると、カサコソと別方向に音がする。
石灯篭の根元、上半身を引きずり出したのとは反対方向の穴にカバ太の下半身がそのまま残り、あろうことか後脚が元気よく地面を掻いている……。
唖然としながらそちらを見、這いながらカバ太の下半身を掴むと上半身がピタリと止まった。
石灯篭の穴から引き出すと、果たして見た目は切断されたままの半身が出てきた。
やはり流血は無い。
上半身を見ると、まるで捕まえられたかのようなカバ太が前脚を踏ん張って止まっている。
下半身を抱き上げながら立ち上がるとそれに呼応するように上半身も……繋がってるかのように……後方に引きずられた。
どういうわけか、見た目は分割されているけれど、実際は分割されていないという、奇妙な状態になってしまったようなのだ。
下半身を抱いて上半身の方に向かうと、こちらが進んだ分だけ上半身が進む。
数度試したが、下半身と上半身が磁石の同極のように一定の距離をもって反発して近づくことが出来ない。
「……ようし、カバ太、動くなよ」俺はカバ太の下半身を地面に下ろすと、こちらを伺っているカバ太の上半身に少しづつ接近した。
あとわずかでリードの端に届く。
「良い子だ、そのままじっとして」
残念ながらカバ太は良い子ではないので、もう少しで手が届く寸前に駆け出した。
「ああ、この××××!!×××××!!カバ太の××、×××××、この××××」
犬に向かって、つい言葉を荒げつつ追いかけると鬼ごっこかと思っていよいよカバ太は絶好調に境内を駆け出す。
……俺は完全に息があがり境内を囲む石杭の一つに寄り掛かりぐったりしていると「どうした相棒、もうグロッキーかい」と得意げな顔のカバ太が近づいてきた。
「お前って奴は……」
後を続ける元気はなく、だけど垂れ下がったリードをしっかり掴んだ。
▽▽▽▽
状況は明白だった。
今やカバ太は上半身の「カ丿」と下半身の「乀"太」に分割されていた。
自宅に戻る間、「カ丿」のみを抱え歩くと、「乀"太」も一定の距離をとってこちらに追従してくる。
あまりにショッキングな光景なので、人目につかないよう誰もいない小道を通りつつ帰宅したが、後ろ手で玄関のドアを閉じた後、「カ丿」を抱えたままリビングに入ろうとしても動かなくなり、慌てて「カ丿」を下ろし玄関のドアを開けに向かい、遮られて締め出されていた「乀"太」を中に入れた。
リビングに戻り、クッションにぐったり倒れ込むと人の気も知らない「カ丿」は「ヘイ、もうバテたのかい?」と言いたげな顔で覗き込んできた。
「誰のせいだと思ってるんだよ……」遙か後方を見ると、部屋の端にブンブンと尻尾を振る「乀"太」が見えた。
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幼少時のトラウマに、図書室で見た美術書に載っていた現代美術作品の写真がある。
一つは英国のダミアン・ハーストが手掛けた本物の動物の遺骸を切断、ホルマリンで満たされたガラスの函に入れた作品群。
もう一つは日本の吉村益信による豚の剥製の前半身が銅の真中で分断され、切断面がハムのスライスのようになっている『豚:PigLib』。
当時は夢にまで見て、そのグロテスクさにうなされたものだけど、今現在は慣れたものかそこまでの恐れは残っていない。
しかし、こんな状態の愛犬で昔のトラウマの再現を見せられることになるなど思いもしなかった。
今はどうなのか。
恐れや嫌悪よりもカバ太を元に戻してあげたい、という気持ちの方が強い。
「俺の不注意でこんなになっちゃってごめんな」
語りかけたけど、カバ太の方は自分の身に起こったことに気付いているのかいないのか、「カ丿」の顔は底抜けに明るく、「乀"太」はご機嫌で尻尾を振るばかりだ。
ふと「カ丿」がソワソワし始め部屋の隅の方に駆け去った。
隅に置いたトレーに乗ったので「ああ、トイレか」とぼんやりしていたけどハッとなり起き上がって「カ丿」に「ちょっと待ってぇえええええ」と言ったけれど時既に遅く「乀"太」から、
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重なる事態にどうして良いものか分からず、とにかく一晩睡眠を取った。
翌朝、会社には病欠する旨を伝え、カバ太をどうやって元に戻すのかを考えることにした。
とりあえず、「カ丿」がトイレトレーに乗った時、離れた箇所にスタンバイする「乀"太」の位置に臨時のトレー代わりの段ボールとデオシートを設置、対応をやり終えた。
まず、この状況の整理だ。
二分割されたカバ太は見た目と半身ずつの位置以外は変わったところはない。
食欲も旺盛で体調も絶好調。
尾籠な話だが、食事と排泄の様子で「分割されて見えるけれど実際は繋がっている」のは確かめられた。
まず頭に浮かぶのは大舞台の奇術ショーの人体切断マジックだった。
寝台に横たわった被験者に、すっぽりと箱を被せて頭と足先だけを出し、胴体のある位置の中央を大鋸で切断する。
勿論、胴体を両断されれば普通の人間は生きちゃいない。
でも生きてなくちゃショーにはならない。
二つに分断されたはずの被験者は元気なままでひとしきり二つの箱が離されて示された後、再び箱が合わされ取り外されると被験者の上下半身は元どおり……。
これは参考にならない。
当たり前だけど本当に人体が切断された訳ではなく、観客の目を欺きつつそう見せているだけなのだから。
あの神社の境内で、こんなことが起こってしまった。
境内に戻って神様にしっかり謝れば元に戻してもらえるかな。
追いかけっこのため疲労困憊して頭が回らなかったけれど、あの場所で事は起こったのだから、元に戻す方法もあの場所にあるんじゃないか……。
解決法が他にあるとも思えずあの神社をもう一度訪れることが唯一の解法に繋がっている。
社務所なども置かれずほとんど無人であるけれど、さて、自宅からそこまで、どうやって人目につかず行けるものか。
一般車道や信号のある道筋を極力避けてそちらに向かうけれど、そのままの姿で移動はできない。
しばらく考えた挙句、人体切断マジックをヒントに、無敵の素材・段ボールの力を用いることにした。
「カ丿」の背中から後ろに段ボールを継ぎ足し、ちょっとした布の端切れを被せて全身があるように見せかける。
これでリードを持って普通に歩かせれば一応普通の散歩に見せかけられる。
後は「乀"太」だが、こちらには適度な容積の段ボール箱をまるまる被せておいて俺たちの歩く後方に歩かせる。
人目についたら不審物だけど、なんとか神社まで誘導しなけりゃならない。
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自宅を出た俺と「カ丿」、少し間を置いた「乀"太」の一行は誰の目にもつかないよう非常に慎重に道を選び歩いた。
冷静に考えるとまるで古いビデオゲームでバグの出た画面のように、一人と1/2匹と間を開けて1/2匹の一団という姿だ。
時間をかけて神社にまでたどり着き、誰もいないのを確かめてまずは拝殿の前に立ち、賽銭箱になけなしの紙幣を挿し入れ二拝二拍手一拝で、前日の非礼のお詫びとカバ太の回復を祈願した。
終えてから見ても、相変わらず「カ丿」と「乀"太」には距離があり元には戻っていない。
しばらく見ていて、結局、あの石灯篭に何かの原因があったのか、と思い直した。
あの時、石灯篭の下を潜る最中に下半身を詰まらせたまま上半身を引き抜いたから分断されてしまった。
ならば前回の逆の状況を作れば戻せるのでは?
頭の悪いアイデアと言われようと他に方法は出てこない。
神様にしっかりとお詫びをした上でなら、この罰も撤回していただけるのでは……と前日の状況を逆算してみた。
石灯篭の足元の穴に、例えるなら次元の切れ目みたいなものがあるとして、そこを潜る時に両半身が分断されてしまった。
うまくこれを逆に再現して、元どおりに継ぎ直しをすること。
磁極の反発するようになかなか近づけられない半身同士を石灯篭を中間点にして近づければ……
「カ丿」のリードを手近の柵に繋いでから「乀"太」に近づき抱き上げた。
そのままゆっくりと石灯篭に近づき「乀"太」を台座の下の穴に潜らせた。
その時から「乀"太」との連絡が途切れたかのように「カ丿」に反応がなくなった。
リードを外して「カ丿」を抱え上げて石灯篭の反対側の穴にそっと入れた。
「カ丿」は「何をしてやがるんですかコノ野郎」という顔をしていたが「まぁまぁ」となだめてから反対側の「乀"太」の具合を見た。
さてここからどうするか。
上半身だけを引き抜いて下半身を置き去りにしてしまってああなってしまった。
遅ればせながら下半身も潜らせれば繋がるんじゃないか。
お尻から押し込むようにして……。
暴れ出さないよう、ゆっくりと押し出すようにして「乀"太」を穴の奥に入れていく。
一旦止めて「カ丿」の方を見ると少し前進しているように見えた。
手応えを感じてもう一度「乀"太」を押し込み始めた。
「乀"太」が狭い穴の中で脚を踏ん張り前進し始めた。そのタイミングで前に回り込んで「カ丿」の方を見たら自分で穴から抜け出したカバ太がいた。
「よっしゃあ」
さっとリードを握ってから、俺は力が抜けてゆっくり座り込んだ。
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ある昼間。
社員食堂で昼食をとっていたら、隣のテーブルで別部署の女性社員のグループが食事しながら雑談をしていた。
「……シュトーレンねぇ。あれ、スライスした断面から乾いちゃうでしょう。だからあれは食べる分だけを中央から切り出して食べていくようにするんだよ。残った分は切り口同士をぴったり合わせて保存しておけば乾かないまま次の日以降も美味しく食べられる」
小耳に挟んで俺は繋がってからのカバ太を思い出した。
気のせいか以前よりも体長が短くなっている気がして仕方ない。
見た目は繋がっていたけれど、中間がどこか別の次元に行っちゃたりしてやしないかな……とか思い浮かんで頭を振った。
カバ太は戻って来た、決して「カ人"太」になんかなってない、と自分に言い聞かせつつ。
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