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「認知症によって何をどのように認知するようになるかは人によって様々です。同居して毎日顔を突き合わせていても娘の顔がわからなくなる人もいます。逆に認知症による妄想で、面倒を見てくれる人を虐めるなんてケースも。ですので橋田さんのことがわからなくなってしまったのは、橋田さんのせいではないです。それだけは確かです。なのでそう自罰的に捉えないでください。橋田さんに頼らず生きて、犬の面倒も最後まで見ようとしたのが飯島さんの意志ならば、橋田さんはそれに従ったということ。何よりも今こうして面会にいらっしゃっているじゃないですか。親不孝者だなんてことはないですよ」
「でも、私は……」
「もし飯島さんが元の飯島さんに戻られたとして、橋田さんがご自身を責めることで喜ばれると思いますか?」
「いえ、きっと優しい母のことですから、いいのよって許してくれると思います」
「ならそんな風に悲しまないでください。ね?」
「そう、ですね。全くその通りです。ありがとうございます、吉田さん。大切なことを思い出させてくれて」
橋田さんの顔色に少し熱が戻る。よかった。少しは励ませたみたいだ。
「お気持ちはわかりました。上手くやれるかはわかりませんが、時にはクルミちゃんの代わりとして飯島さんの要望にも応えてみようと思います」
「ありがとうございます。この御恩は決して忘れません」
「あの、差し支えなかったらクルミちゃんの写真を見せていただいても?」
「あ、はい。どうぞ、こちらです」
橋田さんが差し出したスマホには、一頭の犬を抱えて満面の笑みを浮かべる飯島さんの写真が映し出されていた。これは認知症が始まる前のもののようで、目が据わっていて別人のようだった。橋田さんが飯島さんと一緒に旅行にでも行った時の写真だろう。この頃は母と娘の関係は親密だったようだ。
そして飯島さんの抱えているこの子がキャバリア……。名前は知らなかったけど、前から可愛いなと思ってた犬種だ。確かに耳の縮れ毛の感じが私に似てるかもしれない?
「ありがとうございます。とても素敵な写真ですね」
「はい。遺影にするならこの写真にしてと母にも言われてました。もうそのことも母は覚えてないでしょうけど……」
「とてもいい写真になりそうです。……って、ちょっと不謹慎ですね、これは」
「いえいえ、そんなことは。そろそろ行かないと。母のこと、宜しくお願いします」
橋田さんは頭を下げると玄関から出ていった。さて、私も仕事に戻らないと。
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