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黙想1-⑴
序章
海風が髪をなびかせ、足元の砂が風の形に変化した。
砂山の至る所に、赤く美しい花が潮の匂いに身を任せるように咲き乱れていた。
――ああ、あれはハマナスの花だ。砂の山に咲く赤い花が、炎に追われ人に追われやってきた者たちをなぐさめている。
私とあの人は――
共に追われてきたものとして、この砂山にたどり着いた。
――見ていて下さい。あなたが見ようとした夢は、私が必ずかなえてみせます。
私はくるぶしを砂に埋めたまま、己の行く末を占うかのように風にそよぐ花を見た。
※
「……というわけで、次の号はこのあたりの行楽についてだ。近頃は谷地頭温泉でお湯を楽しみ、帰りにこの『梁泉』で蕎麦を頂くのが流行りらしい」
匣館新聞の記者、笠原升三は運ばれてきた蕎麦をひと口啜ると後輩の飛田流介に言った。
「温泉帰りに蕎麦とは粋ですね。以前から贔屓にしていた身としては少々、悔しくもありますが」
流介が先輩相手におどけてみせると、『梁泉』の女将である浅賀ウメが「飛田さんたちはもう、ただの御贔屓じゃありません。牢名主みたいなものです」と冗談を口にした。
「いやしかし、温泉はいいですな。私も大好きです」
口許を拭いながら満足げにそう語ったのは、流介たちと食事を共にしていたハウル社の社長、ウィルソンだった。
「蕎麦の奥深い味にもすっかり慣れましたし、本当にこの街に来て良かったと思っています」
「飛田さん、読物記事の方はいかがです。我々『港町奇譚倶楽部』の会員をあっといわせるような不思議な話はありますか?」
「それがさっぱりでして。記事が面白くなるためにはまず、元になる猟奇な事件がなくてはなりません。近頃は平和すぎて、記事を書こうにも頭が干上がってどうにもなりません」
「確かに平和ですな、この街は。……東京辺りでは最近、自由民権運動とやらが盛り上がって大変なのだそうですが」
「ははあ、聞いたことはあります」
「なんでも安い賃金で働いている人たちがより豊かな暮らしを求めて平等な世の中を作れと声を上げているのだとか」
ああ、と流介は思った。露西亜で似たような運動をしている人たちがこの街にやってきて騒ぎを起こしたことがあったっけ。
「まあ今や、どこに行っても禄を失った武士やら博徒やら、身の置き所のない人たちが溢れんばかりになっていますからな」
「それで思い出したのですが一月ほど前、穏やかならぬ話が耳に入ったことがあります。なんでも五稜郭の跡地で訓練をしていた陸軍の兵隊さんたちが、城壁が無くなったことで入り込んだ得体の知れない連中に追いだされてしまったのだとか」
「追いだされた?」
流介は突然、切り出された荒っぽい話に思わず膝を乗り出した。五稜郭は匣館港の開港時に、匣館奉行所の移転先として造られた五角形の城郭だ。
場所は湾内の敵に狙い撃ちされぬよう、港から距離がある亀田村に決められたという。ここ匣館山のあたりからはそれなりに時間のかかる場所だが、匣館戦争の際には榎本武揚公率いる旧幕府軍の本拠地となった場所でもある。
「ええ。ちょうど奉行所の建物があったあたりを中心に商いの真似事やら賭場やらをやり始めたのです」
「その連中こそ、追い払われてしかるべきでしょう。陸軍は取り締まらなかったのですか」
「どうも一気に押し寄せてあっという間に小屋掛けまでしてしまったようなんです。しまいには五稜郭より一回り小さな五角形の建物になってしまい、外側は町屋風で商いの場所、内側は長屋風で賭場が開かれたりそのまま住処になっていたりするのだそうです」
「なるほど、それでは手の付けようもないな」
「こうなってしまってはすぐに練兵場にもどすことはできません。そうこうしているうちにもどんどん長屋は縦横に広がり迷路のようになりつつあるという話です」
「面白い、飛田君、行ってみて中の様子を書き連ねてみてはどうかね」
「そんな恐ろしい場所になんか、行けませんよ。無法者に占領されているんでしょう?隈吉翁のような立派な方ならともかく、食い詰めた荒っぽい博徒の中になんて入って行けません」
「まあいずれ、陸軍省が一掃するでしょうけどね」
「だといいんですが……」
流介は声に心細さを滲ませつつ、せいろの蕎麦を無心にほぐしていった。
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