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黙想2-⒁
賭場に戻った流介は、とりあえず誰かを説得せねばと宗介の姿を探した。だが朝早いせいかすだれの奥には誰もおらず、賭場全体も二、三組の勝負師たちがいわゆるさいころ博打に興じているだけだった。
――そうだ、国彦さんと早智さんはどうだろう。工場に行けば会えるのではないか。
流介は探す人物の目先を変えると、賭場を出て工場のあった方向を記憶を頼りに目指した。
「……おかしいな、たしかこのあたりの通路が工場に通じていたはずなんだが」
流介は昨日、亜蘭が通り抜けた飯屋の手前で足を止めるとはてと首を捻った。
「いや、記憶では間違いなくここが……ややっ、これはもしや通路が塞がっているのではないか?どうりで同じ通路が見つからないわけだ。ううむ、しかしこれでは用のある人も行けなくなってしまう。どういうことなのだ」
流介は積み上げられた木箱で塞がれている通路を何度もあらため、ため息をついた。
「どけられそうもないな。仕方ない、他に工場へ抜ける通路がないか探して見るとするか」
流介は木箱で塞がれた入り口に背を向けると、別の抜け道を探し始めた。見覚えのある場所を行ったり来たりしながらどうにかして工場に通じる抜け道を探し当てようとしたものの、それらしい雰囲気の小路はどこにも見当たらなかった。
――参ったな。また階段で屋根裏に上がらなくちゃならないのか……
流介がまた目先を変え、上に上がる階段を目で探し始めたその時だった。
――あっ、あの人は……
左手に見える西洋風の扉の前で行きつ戻りつを繰り返す着流しの男を見た瞬間、流介は思わず「紅三郎さん」と声をかけていた。
「……んっ?なんだか見たことのあるお方のようだが、俺に何か用ですか」
振り向いて流介にそう尋ねたのは、天馬の古い知り合いだという箱部紅三郎だった。
「なに言ってるんですか紅三郎さん。飛田ですよ。天馬君の知り合いの新聞記者です」
「天馬の知り合い?……そうか、あいつに俺と安奈さん以外に知り合いがいたのか。そうとは知らず失礼した」
まただ、と流介は思った。紅三郎さんもここに来たことで、本来の自分が布で覆われたように見えなくされている。そうでなければいくら知り合って日が浅いとはいえ、自分のことがわからないはずががない。
「……まあ、そうです。ところで紅三郎さん、こんなところで何を?」
「うむ、この扉の向こうから良い匂いがしてくるのだ。ひょっとしたら洋菓子の匂いではないかと……」
「入ってみたらいいじゃないですか」
流介と紅三郎がそんな会話をかわしていると突然、扉が内側から開いてまたしても見覚えのある人物が顔を見せた。
「あら、お客様?どうぞ、開店前ですけど」
「あ、いや俺は……その」
西洋の女給の格好をした女性――音原刹那は流介と紅三郎に代わる代わる笑みを寄越すと、半ば強引に店内に招じ入れた。
――なんてこった、つい数日前に谷地頭の路上で天馬たちの身を案じていた彼女が、知らぬ間に「自由の市」の住民になっていたとは。
鼻先に漂う甘い匂いとは裏腹の不吉な予感に、流介は自分が事件の解決から遠ざかりつつあることを悟った。
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