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その日一日、竹朗は気分よく働いた。有り金をはたいたおかげで、朝飯は抜きだったが、そんなこと、取るに足らない。幸せな気持ちに満たされて、これが本当の徳ってもんなのかもしれないな、と考えていた。
そして翌朝、いつものように二見輿玉神社で日の出を拝んでいると、昨日の犬がいた。
「あれ、お前さん、まだここにいたのかい」
また会えた嬉しさのあまり、竹朗は両手で包むようにして犬の頭を撫でまわした。すると、なんだかおかしなことに気が付く。犬の首からぶら下がる巾着にどうも手ごたえがないのだ。
竹朗が犬に託した金は八〇〇文、ゆうに三日分の旅費にはなったはずだ。
「ありゃりゃ。盗られちまったか。……バチあたりがいるもんだな」
昨日の稼ぎの残りは五十文にも満たない。それを再び犬託し、手水舎まで連れて行った。
「また会えたら食いもんをやれるよう、何か持ち歩くことにするよ。今は水で我慢しな。……ここで待ってろって言いたいところだが、善良な旅人に助けてもらえるかもしれないからな。お前、木札が役に立たねぇんだ、もっと愛想を良くしておけよ」
水だけ飲むと、犬はスタスタと行ってしまった。
昨日と同じように振り向きもせず、しっかりとした足取りで茶店通りの方へ――。竹朗は胸の詰まる思いがした。
その日の仕事もはかどった。しかし、昨日のような幸福感はない。どちらかというと、人間の業を背負った気分だった。八〇〇文。犬にとってはくれたのも盗んだのも同じ人間だ。
「世知辛れぇな。世知辛れぇよ」
仕事を終えた竹朗は、二見輿玉神社の手水舎へ急いだ。まだ、犬がいるかもしれない。今日の稼ぎで、今度こそ伊勢参りに送り出してやりたかった。
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