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犬は別れた場所にいなかった。
竹朗は、そのまま手水を済ませお参りをした。もちろん、犬の旅路を思いやってだ。
心から犬を尊敬した。あれほど痩せこけ、それでもたった一人で黙々と役割を果たそうとする姿は凛として勇ましい。
それに比べて自分はなんと情けないことか。
竹朗は自らをかえりみた。
旅に出た理由は漠然と仕事に嫌気がさしたからだ。いや、正確には人間に嫌気がさしたと言うべきか。人というものは自分より下がいると思うと心が安らぎ、また、尊大な態度をとりたがる。
竹朗が奉公する下級武士も町を見回るだけの足軽風情だったが、たいそう態度のでかい男だった。そのくせ、上役には揉み手に胡麻すりときたものだからほとほと情けない。
俺たちゃ欝憤を晴らす的じゃねえ、と、仲間内でも悪評判が絶えず、竹朗もそれはそれは蔑まれてきた。
お伊勢参りと称して不満の募る仕事場から逃げ出してきたともいえる。
伊勢に参ると商売が上手く、病いが快方に向う、万事思うようにいくと耳にした。それだけ。ただ、それだけで竹朗には強い願いも固い目標も何もない。
だが、もしや伊勢参宮で何かが変わるやもしれぬという思いが湧いた。その程度の安易な動機で、竹朗の志しなど羽根のように軽い。
何を願えばよいのかという迷いも手伝い、竹朗は二見浦に留まっていた。
犬にやるつもりで持ち帰った懐の握り飯がまだあたたかい。
食べようかと手にとったが、思いとどまった。朝になり、犬が戻っていて飯が無いと困る。
しかし、竹朗と犬が再びここで遭うことはなかった。
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