トーコさんと私(1)

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トーコさんと私(1)

 その年の私は、二十数年の人生の中でどん底にいた。大学卒業後に就職した会社が合わず、体調を崩し一年で辞めて、実家に戻り静養した。半年経ち、体調も安定してきたので、社会復帰も兼ねて少しずつ外に出て働くことになった。その職場として決定したのは、父の知り合いが店長を務めていた、ショッピングモール内の本屋だった。トーコさんも、そこで筆記具コーナーのパートとして働いていた。  私は当初は週二回、午後から出勤するシフトだった。店長が私の体調を鑑みて配慮してくれた。父からの依頼もあったのだろうと思う。そのおかげで少しずつ仕事を覚えていくことができた。  今思えば、前の会社が異常だった。入社間もない新人に、勤続十年のベテランと同じ業務量を課していた。勤務時間内に仕事が終わるはずもない。私は、自分は何でこんなにできないのだろうと、劣等感を常に感じていた。そうして、ある朝、起きられなくなり三日間仕事を休み、病院へ行った。担当医の鬼気迫る忠告を聞き入れ、そのまま会社を辞めた。  前職の経験から、この職場でも恐る恐るという感じで働き始めたが、バイトということもあり、ここでは私のペースで仕事を進めることができた。私の主な作業は、入荷された本や雑誌の品出し、売り場を整える、返品作業だった。  本が好きという理由から、父からの紹介を安易に受けたが、ここで働き始めて改めて知ったのは「紙は重い」ということだった。一冊一冊はそこまでではなくても、何十冊となると、持ち上げることも難しくなるほど重い。それをバックヤードから運び、書棚に平積みする。一ヶ月働いたことで力強くなった。前は持ち上げられなかった段ボールを持ち上げられるようになると、何だか妙な達成感があった。 「このPOPはあなたが描いたの?」  トーコさんにそう声を掛けられたのは、その頃だった。私は入荷した本を並べ終え、バックヤードでの作業に移っていた。ちょうど勤務時間を終えたトーコさんも、そこにいた。私は、気に入った本のPOPを作ってみたらと店長に勧められていて、試しに作っていた。その本は犬を題材とした小説で、私は紹介文とともに犬のイラストをPOPに描き添えていた。  私が「はい」と応えると、トーコさんは「上手ね」と感心したように言った。そうして「田中さん、私に絵の描き方を教えてくれない?」と続けた。
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