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トーコさんと私(2)
何でも卒なくこなしているように見えたトーコさんは、絵心のみをどこかに置き忘れていた。それを知ったのは、トーコさんと一緒に入ったモール内テナントのカフェでだった。犬の絵としてメモ用紙に描かれた線画は、どこをどう突っ込んでよいものか困るような代物だった。足はかろうじて四本あるが、バランスが滅茶苦茶だ。押し黙ってしまった私に、トーコさんは「ね、ひどいでしょう?」と言いながら笑った。
その笑顔はとてもさっぱりしていて、絵が下手なことを卑下している訳ではなく、ここから上手くなるのだという期待を奥に秘めているようだった。
何度か「教えて欲しい」「無理です」との押し問答を繰り返した後、トーコさんは静かに語り始めた。
「私ね、一ヶ月前に愛犬を亡くしたの。写真はたくさんあるんだけど、あの子……シリウスを私の手で描いてみたくて。描いている間は、シリウスのことをずっと考えていられるでしょう? だから、描きたいんだけど、残念ながら描き方が分からない。どうしたらいいか困っていたところに、田中さんが私が描きたい犬の絵を、それこそ上手に描いていたから思わず声をかけたの」
ゆっくりと、でも一気にそこまで語ると、トーコさんはタンブラーに入ったカフェラテを一口飲んだ。
POPに描いていた小さな私の絵を気に入ってくれた。その事実が、トーコさんの申し出に対して「否」しか選択肢のなかった私の心を揺さぶった。
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