1 彼岸花

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1 彼岸花

「俺は鯖が好きなんだ」 10月最後の日曜日にやっている秋刀魚祭り。この所何事をも為さぬまま休日と平日を行ったり来たりしていた袁傪は、ループの抜け道を友人の李徴に求めた。…その返答がこれである。大学の食堂で味噌煮になって出された鯖の身を、箸でほぐしながら食べている様子には、何も秋刀魚にだけ面倒味を求めなくていいじゃないかと言いたくなってしまう。 余計な言葉を漬物に、白米をかきこんだ。 「はて、秋刀魚は嫌いなのか?」 「いや……」 落語の題目に"目黒のさんま"というのがある。町人が焼いた秋刀魚を見た殿が家来に秋刀魚を準備させるという話で、町人が丸焼きにした秋刀魚は美味しいというのに家来が作った秋刀魚はショボくて不味いという滑稽な内容だった。実際問題、蒸して骨を取って身をほぐした後の秋刀魚を出されても美味しくは無いかもしれない。 この差は、如何なるものか?"今は"下らない疑問である。 「お互い、学業以外で活動も大変じゃないか、たまには骨やすみしようぜ。」 活動というのは、世間一般に言う"タイガーマスク運動"であった。何処かの誰かが伊達直人なんて名乗って寄付活動をした事がニュースで広く認知され、そんな名前がついている。同じような事を矢吹丈やムスカ大佐もやっているのだから、日本人は恥ずかしがりが多い。 何処の誰かは知らないけれど、誰もが皆知っている。月光仮面のおじさんは正義の味方よ良い人よであるが、世間はヒーローを名乗らない誰かに厳しい。世間に認知される切欠となった伊達直人やムスカ大佐は行いを称賛されるが、李と袁の2人はそうもいかなかった。もっと多くの人に寄付活動を知ってもらい活動に踏み出してもらいたいと言えば売名行為だの自己満足だの言われる。 獣の爪や牙のように、言葉は2人の肉なき肉を抉っていた。 そんな傷を癒すのに、美味な秋刀魚を新しい血肉に変えるのも良いではないか? 少なくとも、今の李には必要な事だろう。やつれて野獣のような眼光を滾らせる男には、まず休息と栄養を与えなければ。他に何が要るのかは、落ち着いて考えれば良い。 彼が急にいなくなったと聞いたのは、それから暫くしての事であった。
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