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月曜日、下山準備を整えていると、岳から電話が入った。今は買い出しの途中らしい。
『今日、迎えの時間に少し遅れるかも知れないけどいいか? 道が混んでてな…』
「いいよ、俺の方は。急がなくていいからな?」
『ああ、済まない。所で大和、お前昼は──』
と、電話の向こうで、少し高めの可愛らしい声が聞こえてきた。
『岳さん! これ、水漏れしてます!』
『ええっ? まじか。そこのビニール袋に入れておいてくれ──いや、それじゃなくって、こっちの──ああ、いい。俺がやる──すまない。大和、また後で──』
「あ、ああ…」
慌ただしく通話が切れた。
電話の向こうで緊急事態が発生したらしい。
なんだろう。
『昼』のあとは何と続けたかったのか。
いや。この場合、昼メシだろう。
いつも買い出し後、行きつけの食堂で昼メシを食べてから帰るのだ。
食べてきたのかそうでないのか、その確認を取りたかったのかも知れない。
昼。食べてねぇけど。
二人は食べて来るのだろうか。
声。可愛いい声だったな。
コロコロと鈴が鳴るような。優しい声だった。声の主はきっと新しいハウスキーパーだろう。
たったこれだけのやりとりなのに、何か落ち着かないものを感じてしまった。
それから無事に下山し。登山口にある駐車場でソワソワ待つこと三十分。岳はいつものように大型SUVで現れた。
岳の隣り、助手席はいつも俺の定位置で。けれど、今日はその助手席にはすでに先客がいた。
あ…。
思わず息を飲む。
助手席には色白の栗色の髪をした小柄な青年が座っていたのだ。
あれが、新しい、ハウスキーパー…。
岳が口にしていた通り、遠目でも可愛らしい容姿なのが窺える。家政婦、ハウスキーパーと呼ぶには違和感があった。
なんか、ハウスキーパーって言うか…。
傍らの岳と並ぶとかなりいい感じだ。
運転席から顔を見せた岳は済まなそうに謝りながら。
「すまない、待たせた。道が混んでて車がなかなか進まなくてな…」
「すみません! 僕が寄りたい所があるって言ったせいです! それで、渋滞に巻き込まれて…」
そう言って助手席の窓から顔を覗かせた青年は、間近で見ると更に可愛さが倍増して見えた。
線も細く色白で女性と見紛うばかり。色素が薄いのか、髪も目も薄茶色だった。
その目は大きく睫毛もバサバサ、綺麗な二重に彫りも深い。唇なんてピンク色だ。
黙っていれば、外国人で通用するだろう。
「大和さんですね? 僕、森七生と言います。今日からお世話になります!」
見た目とは裏腹に、きちんと日本語でぺこりと頭を下げた。
いい奴っぽい。
俺が後部座席に乗り込むと、助手席から乗り出す様にして振り返った七生が、白くほっそりした右手を差し出してきた。
爪もピンク色だ。俺の、すっかり日に焼け、ゴツくてカサカサ荒れ放題となった手とは大違い。
ううむ。
同じ『人間』だろうか?
以前見かけた、岳の昔の恋人、紗月を思いだした。
彼も非常に綺麗な人間で。俺とは天と地ほど、いや、天と地下の化石層くらいの差があった。
この森七生という青年もそれに近い。
ふわりとした雰囲気は天使みたいだと思った。羽根が生えていても可笑しくない。
動物に例えるなら、俺が茶色いコツメカワウソ、この青年はポメラニアンと言う所か。
コツメカワウソだって可愛さでは負けてはいないが、人懐こさでは負ける。ポメラニアンは、白くてほわほわ、可愛いくて愛嬌がある。
その雰囲気に気おされながら、俺はおずおずと。
「ええっと、宮本大和です。よろしく…」
その手を握り返せば、思わぬ強さで握り返された。
「よろしくお願いしますっ!」
岳はルームミラー越しに、そんな俺をじっと見つめている。
なんだよ?
その視線の意味が分からない。
「大和さん、聞いていたのよりなんか―…」
フフと笑ってあとの言葉は濁してしまう。
気になるじゃないか。聞いたのより? いいのか? 悪いのか?
なんだ、この感じ。岳は困ったように頭を掻くと。
「倖江さんから話を聞いたらしい。俺たちの事情もな? だから色々気にしなくていい」
と、言うことは、俺と岳の関係も知っていると言うことか。
「そっか…。それなら話が早くていいな。よろしく。七生──でいいか?」
「もちろん! おばあちゃんから色々聞いてはいたんですが、皆さんいい人で安心しました。それに、とっても素敵な人たちばかりで…。特に岳さんはカッコいいですね? こんな格好良ければ、誰だって付き合いたいって思いますよね…。羨ましいです…」
羨ましいか。
岳に目をつけるとは。
いや、岳は誰が見ても格好いいしな。こんな格好いい奴と付き合っているとか、信じられないんだろうな。
俺だっていまだに、信じられない時がある。岳が笑ってそこにいて。しかも自分に笑いかけているのだ。
うーん。嘘っぽい。信じられない。
そんな事を考えていれば、七生が声を掛けてきた。
「大和さん、今日は疲れているでしょう? せっかくだから挨拶代わりに僕に夕飯、作らせて貰えませんか?」
「え…っと」
「せっかくだから、そうさせてやれ。大和も疲れているだろ?」
「うん…」
岳に押され返事をしたが。
確かに疲れてはいるが、それはいつもの事で、そこまででもないのだが。
今は疲れていると言うより──。
七生が少し済まなそうにしながら話しだした。
「さっき、遅くなったの、美味しいビザ屋さんがあって、そこに寄ったせいなんです。閉まるギリギリだったから、つい…。なかなか遠出してなくて久々だったものでつい我儘を…。大和さんお昼は?」
つっと岳の視線がこちらに向けられた気がしたが、俺は咄嗟にググッと腹の虫を抑え。
「お、俺は食べてきたから、大丈夫」
痩せ我慢をする。
岳にも七生にも、後ろめたさを感じて欲しくなかった。それに、状況は分かる。俺と約束してるから食べない──なんて、はしゃぐ七生を前に言えるわけがないだろう。
いいんだ。
確かリュックに祐二から貰った補給食の残りがあったはず。ソイバー。カッチカチの奴だけど、結構、腹持ちすんだよな。
あとでそれをこっそりかじればいいのだ。岳はふうっとため息をつくと。
「…そうか? ならいいけど。いつも大和と食べてから帰っているからな…」
「あ! そうだったんですね! だから岳さん、あんまりお食べにならなかったんですね。…すみません。先走ってしまって…」
シュンとなって見せた七生に俺は慌ててフォローを入れた。
「気にしなくていいって。岳、余計なこと言うなって。さ、帰ろうぜ」
俺はめっと、子どもを叱る様に岳を見やった後、後部座席からせかせば、岳はちらとこちらを見た後。
「…わかった」
そう言って、どこか不服そうな顔を見せながらも、車を発進させた。
が、この表情も俺だから分かるくらいのほんのわずかな視線の差で。きっと七生は気付かないだろう。
俺はふうと息をついた後、シートに身体
を沈めた。岳がすぐそこにいるのに、遠い気がして。もどかしさを感じた。
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