3.ハウスキーパー

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 月曜日、下山準備を整えていると、岳から電話が入った。今は買い出しの途中らしい。 『今日、迎えの時間に少し遅れるかも知れないけどいいか? 道が混んでてな…』 「いいよ、俺の方は。急がなくていいからな?」 『ああ、済まない。所で大和、お前昼は──』  と、電話の向こうで、少し高めの可愛らしい声が聞こえてきた。 『岳さん! これ、水漏れしてます!』 『ええっ? まじか。そこのビニール袋に入れておいてくれ──いや、それじゃなくって、こっちの──ああ、いい。俺がやる──すまない。大和、また後で──』 「あ、ああ…」  慌ただしく通話が切れた。  電話の向こうで緊急事態が発生したらしい。  なんだろう。  『昼』のあとは何と続けたかったのか。  いや。この場合、昼メシだろう。  いつも買い出し後、行きつけの食堂で昼メシを食べてから帰るのだ。  食べてきたのかそうでないのか、その確認を取りたかったのかも知れない。  昼。食べてねぇけど。  二人は食べて来るのだろうか。  声。可愛いい声だったな。  コロコロと鈴が鳴るような。優しい声だった。声の主はきっと新しいハウスキーパーだろう。  たったこれだけのやりとりなのに、何か落ち着かないものを感じてしまった。  それから無事に下山し。登山口にある駐車場でソワソワ待つこと三十分。岳はいつものように大型SUVで現れた。  岳の隣り、助手席はいつも俺の定位置で。けれど、今日はその助手席にはすでに先客がいた。  あ…。  思わず息を飲む。  助手席には色白の栗色の髪をした小柄な青年が座っていたのだ。  あれが、新しい、ハウスキーパー…。  岳が口にしていた通り、遠目でも可愛らしい容姿なのが窺える。家政婦、ハウスキーパーと呼ぶには違和感があった。  なんか、ハウスキーパーって言うか…。  傍らの岳と並ぶとかなりいい感じだ。  運転席から顔を見せた岳は済まなそうに謝りながら。 「すまない、待たせた。道が混んでて車がなかなか進まなくてな…」 「すみません! 僕が寄りたい所があるって言ったせいです! それで、渋滞に巻き込まれて…」  そう言って助手席の窓から顔を覗かせた青年は、間近で見ると更に可愛さが倍増して見えた。  線も細く色白で女性と見紛うばかり。色素が薄いのか、髪も目も薄茶色だった。  その目は大きく睫毛もバサバサ、綺麗な二重に彫りも深い。唇なんてピンク色だ。  黙っていれば、外国人で通用するだろう。 「大和さんですね? 僕、(もり)七生(ななお)と言います。今日からお世話になります!」  見た目とは裏腹に、きちんと日本語でぺこりと頭を下げた。  いい奴っぽい。  俺が後部座席に乗り込むと、助手席から乗り出す様にして振り返った七生が、白くほっそりした右手を差し出してきた。  爪もピンク色だ。俺の、すっかり日に焼け、ゴツくてカサカサ荒れ放題となった手とは大違い。  ううむ。  同じ『人間』だろうか?    以前見かけた、岳の昔の恋人、紗月を思いだした。  彼も非常に綺麗な人間で。俺とは天と地ほど、いや、天と地下の化石層くらいの差があった。  この森七生という青年もそれに近い。  ふわりとした雰囲気は天使みたいだと思った。羽根が生えていても可笑しくない。  動物に例えるなら、俺が茶色いコツメカワウソ、この青年はポメラニアンと言う所か。  コツメカワウソだって可愛さでは負けてはいないが、人懐こさでは負ける。ポメラニアンは、白くてほわほわ、可愛いくて愛嬌がある。  その雰囲気に気おされながら、俺はおずおずと。 「ええっと、宮本大和です。よろしく…」  その手を握り返せば、思わぬ強さで握り返された。 「よろしくお願いしますっ!」  岳はルームミラー越しに、そんな俺をじっと見つめている。  なんだよ?  その視線の意味が分からない。 「大和さん、聞いていたのよりなんか―…」  フフと笑ってあとの言葉は濁してしまう。    気になるじゃないか。聞いたのより? いいのか? 悪いのか?   なんだ、この感じ。岳は困ったように頭を掻くと。 「倖江さんから話を聞いたらしい。俺たちの事情もな? だから色々気にしなくていい」  と、言うことは、俺と岳の関係も知っていると言うことか。 「そっか…。それなら話が早くていいな。よろしく。七生──でいいか?」 「もちろん! おばあちゃんから色々聞いてはいたんですが、皆さんいい人で安心しました。それに、とっても素敵な人たちばかりで…。特に岳さんはカッコいいですね? こんな格好良ければ、誰だって付き合いたいって思いますよね…。羨ましいです…」  羨ましいか。  岳に目をつけるとは。  いや、岳は誰が見ても格好いいしな。こんな格好いい奴と付き合っているとか、信じられないんだろうな。  俺だっていまだに、信じられない時がある。岳が笑ってそこにいて。しかも自分に笑いかけているのだ。  うーん。嘘っぽい。信じられない。  そんな事を考えていれば、七生が声を掛けてきた。 「大和さん、今日は疲れているでしょう? せっかくだから挨拶代わりに僕に夕飯、作らせて貰えませんか?」 「え…っと」 「せっかくだから、そうさせてやれ。大和も疲れているだろ?」 「うん…」  岳に押され返事をしたが。  確かに疲れてはいるが、それはいつもの事で、そこまででもないのだが。  今は疲れていると言うより──。  七生が少し済まなそうにしながら話しだした。   「さっき、遅くなったの、美味しいビザ屋さんがあって、そこに寄ったせいなんです。閉まるギリギリだったから、つい…。なかなか遠出してなくて久々だったものでつい我儘を…。大和さんお昼は?」  つっと岳の視線がこちらに向けられた気がしたが、俺は咄嗟にググッと腹の虫を抑え。 「お、俺は食べてきたから、大丈夫」  痩せ我慢をする。  岳にも七生にも、後ろめたさを感じて欲しくなかった。それに、状況は分かる。俺と約束してるから食べない──なんて、はしゃぐ七生を前に言えるわけがないだろう。  いいんだ。  確かリュックに祐二から貰った補給食の残りがあったはず。ソイバー。カッチカチの奴だけど、結構、腹持ちすんだよな。  あとでそれをこっそりかじればいいのだ。岳はふうっとため息をつくと。 「…そうか? ならいいけど。いつも大和と食べてから帰っているからな…」 「あ! そうだったんですね! だから岳さん、あんまりお食べにならなかったんですね。…すみません。先走ってしまって…」  シュンとなって見せた七生に俺は慌ててフォローを入れた。 「気にしなくていいって。岳、余計なこと言うなって。さ、帰ろうぜ」  俺はめっと、子どもを叱る様に岳を見やった後、後部座席からせかせば、岳はちらとこちらを見た後。 「…わかった」  そう言って、どこか不服そうな顔を見せながらも、車を発進させた。  が、この表情も俺だから分かるくらいのほんのわずかな視線の差で。きっと七生は気付かないだろう。  俺はふうと息をついた後、シートに身体 を沈めた。岳がすぐそこにいるのに、遠い気がして。もどかしさを感じた。
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