1.穏やかな日々

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1.穏やかな日々

大和(やまと)、まだ起きてたのか?」  俺が階下へ降りていくと、(たける)は驚いた様にそれまで向かっていたモニター画面から顔を上げた。  青白い光が、岳の顔を照らし出している。  手元のスタンドだけ灯し、撮り終えた写真や動画と格闘していたのだ。もう深夜を回る。 「…いや。ほら、隣いなかったし、まだやってんのかなって…」  頭をかきながら答える。  ふと目を覚ますとベッドの隣がガラ空きで。時刻は深夜を回る。俺は心配になって様子を見に来たのだ。  岳が仕事場を自宅に移したその後、帰りの遅い岳をひとり待つ日々はなくなった。  作業に時間がかかっても、そこは自宅。階下に降りれば岳はいて。  モニター相手に撮った画像と格闘していたり、写真選びに悶々としていたり。とにかく、そこにいるのだ。  俺はピョンピョンと、好き勝手跳ねる寝癖のついた髪を撫でつけながら、タシタシと岳の元へ向う。裸足の足に床がひんやり冷たい。  ピンと立ったアンテナの如く跳ねるのは、しっかり乾かさずに寝た結果だ。クセがあるため、気を抜くと抜いたなりに、半端なく跳ねる。岳はその様に笑いながら、手を差し出して来た。 「もう、これを保存したら終わりだ。…大和、ここ」 「ここ?」  岳がデスクと自分との間をあけて、膝をぽんぽん叩いた。  んん?  俺は首をかしげて覗き込む。 「ここ、座れよ。保存が終わるまで、話そう」 「…なんでそこで」  心配して来たのに、一気に脱力した。 「いいから。俺のエネルギー補給」 「エネルギーって…」  岳の役に立つなら何だってやるつもりだ。  けど、流石に膝の上には、ちょっとな──。  だって、もう二十一歳だし。どう考えたって、成人男子がそこへ座る理由はないし。  けれど、岳にはあったらしい。是が非でもと譲らない。 「いいから。誰もいないし。──頼む!」  顔の前で手なんか合わせて頼み込んで来る。 「んな、それくらい、頼まなくったって、やるって…」  岳にそこまでされて、やらない訳にはいかない。  渋々、猿山の人工岩の尖端に座る猿の如く、岳のしっかりと筋肉の張った膝の上にちょこんと座った。しかも、岳に背を向けて。  だって、正面同士はあり得ない。  座った途端、気恥ずかしさが増す。  恥ずかしい。恥ずかしい。子どもじゃないんだってば。  しかし岳は。 「大和…。そうじゃなくてさ、こっち向いて座れよ」 「ええ? って、それじゃなんか──」  言う間に腰を掴まれ、ぐるんと無理やり身体を反転させられ、岳と向き合う形で座らされる。岳の顔が見下ろす角度で迫った。  正面で跨ると身体は密着するし、もっと恥ずかしい。──それに。  なんか、これって。これって。  すると、俺の気持ちを察した岳が意地悪くニヤリと笑い。 「…やってる最中みたいで恥ずかしい、か?」 「っ?!」  俺が思っていることなどお見通しで。  思わず岳の頭をガシッと捉え、後ろ脚蹴りを喰らわす猫の如く、髪をくしゃくしゃに掻き回す。 「って、やめろって! コラッ、大和!」 「そーゆ―ことを言うなっ! そう言うつもりじゃなくったって、そう思えるだろっ」 「へー、そういうつもりじゃないって?」  岳はぐいと背中に回した腕に力をこめ、引き寄せる。 「のわっ」  岳が俺の胸に頬を埋めてきた。まるでぬいぐるみにでもなった気分だ。 「ん—…。大和、いい匂いする…」  言われても思い当たらない。 「んだよ? もしや──夕飯の唐揚げか?」  今日の夕飯は唐揚げで。生姜と醤油、少々のカレー粉で味付けした鶏モモ肉に、片栗粉を大量にまぶした奴だ。衣がパリパリザクザクになる。カロリー高めだから、時々だ。  で、作ると皆の大好物だから、直に無くなる。結果、大量に揚げる事になり。  お陰でシャワーを浴びたのに、体中に染みついた油の匂いが落ちた気がしない。 「…違う」  ムスッとした岳の声が答える。 「んだよ。他になんの匂いだよ」  岳は頬を埋めたまま。 「日向の匂い…。ボディクリームの香りに、洗濯洗剤の香りも混じってるな…。後は──コーヒーが微かに。…でも、大和の匂いだ。甘い」  クンクンした岳はようやく満足したのか、もう一度だけぎゅっと抱きしめた後、ようやく腕の力を緩めてくれた。  日向の匂いは外干しだからだろう。ボディクリームは岳と共用しているから、香りとしては同じ。洗濯洗剤はなるべく無香料の物を使っているが、それでも微かな香りはつく。コーヒーはいつも飲むからか。俺の匂いは──良くわからない。  俺は岳を見下ろすと。 「っかんねぇ…」  すると、岳は笑って。 「甘いのは大和自身の匂いだ。大和はわからないだろうな…、多分。大和──」  岳は名前を呼ぶと、首筋に手を滑らせ引き寄せ、キスを仕掛けてくる。触れるだけじゃない。ガッツリ濃い奴だ。  こうなると、ちょっと休憩で終わらない。岳はデスクのライトを落とすと。 「保存は終わった。…大和、上に行こう」 「ん」  ギュッとその首筋に抱きついた。  もう、帰りの遅い岳を心配をする必要はない。階下に覗きに行けば、そこに岳はいる。  そっとしておくこともあれば、コーヒーを差し入れることもある。そんな時は、そこで少し話したり、手伝うことも。  岳とのそんな囁かな時間が俺にとってはかけがえのないもので。二人の大切な時間だった。
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