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主人は小説家。文豪だかどうだか、私は知らない。毎朝、行き先も告げず、雨が降らなければどこかへ出かけてゆく。今日もそうだ。いつもと違うのは今日は4月3日。毎月3日は、それぞれの出版社から主人宛てのファンレターがまとめて届く。私はトーストを食べたあと、玄関の外の宅配ボックスを開けた。ぱんぱんに膨らんだレターパックが4つ届いていた。
主人宛のものは主人の書斎の机の上へ。『奥様へ』と書いてあるものは、これから私がひとつひとつ封を開けてゆく。それを私は勝手に『開封の儀』と呼んでいた。
──何を考えているんですか? 私と寝たんですよ。なんで別れないんですか? ──
毎回恒例のように違う筆跡で同じ言葉が並んでいる手紙が4通。『ご苦労様です』私はそう声に出したあと、テーブルに新聞を広げてハンドシュレッダーで手紙を粉々にしたあと、新聞ごと丸めてゴミ箱へ捨てた。送り主の住所は書いてないから返事は出せないけれど、もし書くとするなら誤解しないでほしい。私がひきとめてるわけじゃない。冷蔵庫の野菜室の奥にはジップロックに入れて冷やしてある離婚届が入れてある。いつでも、言われれば覚悟はできている。主人が書いた小説など読んだことがないし、興味もない。印税がいくら入っているのかも知らない。そもそも出会ったときは小説など書いておらず、確か捜索願いが出されていた。まだ高校生だった私が授業を抜け出して、一人公園のベンチでサンドイッチを食べようとしていたら、中学生だった主人はそこに簡易のポップアップテントを広げようとしていた。
「何してるの? ここは公園だよ」
「いけませんか? 」
「テントは駄目でしょ!! しかもそこは真ん中!! 」
私がはっきり言うと
「どこならいいんですか? 」
キレ気味に聞いてきた。
「そんなの知らない!! 警察に聞けば? 」
「警察に聞けないからあなたに聞いているんです!! 」
「もしかして、何かの犯人なの? 」
「なら、どうしますか? 」
「どうもしない。サンドイッチを食べるだけ」
そんなくだらない会話の途中で彼のお腹は正直に『グゥ~』となった。
「もしかして何も食べてないの? 」
「えっ、あっ、っと……」
「じゃあ、半分あげる」
私はサンドイッチの卵ではなく、ハムの方を彼に手渡した。
「お腹が減るとやっぱうまいです」
まだまだ食べれそうな顔をして私にそう言って笑ったところへ警官がやってきた。職務質問のようなことをされて、なぜか警官は私が彼が家出した原因じゃないか? と疑った。結局、私も交番まで連れて行かれ、親も呼ばれ、翌日には校長室にまで呼ばれてまあまあ大変だった。
それが主人との最初。
そこからすんなりと付き合ったわけじゃなく、彼は巻き込んでしまったわたしに謝りたくてもう卒業して私は行くことがなかった公園に毎日、授業が終わると来ていたらしい。
現実は小説よりももっともっと不思議だ。彼と次に会えたのは、私が海でポップアップテントを広げているときだった。ライブで出会った人から、紹介された会社員の人とデートをしているところだった。
「あのう、サンドイッチの人!! やっと会えた!! 」
と言ったかと思ったら、上からTシャツを着てるとはいえ、水着姿の私に彼は抱きついてきた。そばでそれを見ていた紹介された彼の方は激怒して『彼がいるなら、僕となんか海に来るなよ!! 』そのまま私を置き去りにして一人が消えた。
そこから、いろいろあって時を経て、彼は主人になったわけだけど、会社員の時に昼休みや出張の移動時間、ひまつぶしに書いていた小説がひまつぶしとは言えなくなったほど人気が出たらしい。私と結婚したときには、彼はすでに小説家になっていた。不安定な仕事で特に賃貸に住むとき、なかなか貸してもらえないと聞いていたので私は早々に少し田舎の、でもバスや電車で通うことができる場所の築20年ほどの空き家を購入した。
「かのこさんが現実的なので僕は助かっています」
たまたまテレビをつけたとき、いつの間にインタビューを受けたのか、少し小綺麗にしてもらった主人が画面の向こうでそう言っていた。
そして『嘘をついたことはありますか? 』それを聞いて何になる? と思わず聞き返したくなるような質問をレポーターは主人にしていた。
「嘘だらけです。だって本当のことだけだったら人生つまらないでしょ。僕なんか相手を怒られて終わるだけです。嘘って究極の優しさじゃないですか? 」
公園の真ん中にテントをはろうとしていた家出少年は、いつの間にかテレビに出てそんなことを言えるようになっていた。
私は私で『嘘をつくなら墓場まで騙してくれ』なんて思えるようになっていた。いつかもし、彼が私から家出したとき、私は冷えすぎた離婚届を冷蔵庫から出して、この手のぬくもりで記そうと思う。
嘘でも幸せでした、と。
「ただいま」
「おかえりなさい」
さっきまで、テレビの画面にいた人が開けた玄関からは鯛焼きの匂いがした。
私はこれだけで本当のところ、充分に幸せだった。
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