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雪のうさぎ
恋を封印され、恋人はおろか結婚さえできないのは父親が帝だからである。内親王に釣り合う貴族などほとんどといっていいほどいない。帝の娘たちはほとんどが独身のままその生涯を終える。
八条院は母親が権勢を振るったお妃であったので、莫大な財産を有していたが、恵まれた生活とは裏腹に『ただそこにいる』だけの存在に長年苦しめられていた。
自分の生きる価値は権威という名の元に、権力を求める人間の象徴になっていただけなのであった。和歌を詠んだり、琴をひいたりとつれずれをなぐさめることにまったく興味がわかず、寝て起きて食事して一日をぼんやり過ごす人生に何の価値があるのだろうか。
そんな折、ほこりかぶった邸から連れ出してくれたのは花房であった。
八条院は元気な姿を見せた花房を迎え涙ぐんだ。
「わらわの不徳のいたすところで、そなたにはつらい思いをさせた。ゆるしてたもれ。」などと花房が恐縮するような言葉をかけられた。
いつになく背筋がのみて、しゃんとなさっておられた。
人払いし、花房と二人きりになり、八条院は自分の胸の内をすべて吐き出したのだった。
「わらわの兄宮は、帝のお位におつきになられたが、もともとは目がお悪い方であった。他にも二人の男の兄弟がおられたが、一人は足が生まれつき萎えていて、もう一人は目がまったく見えなかった。父帝の寵愛を独り占めしておられた母上は、他のお妃の呪詛じゃと、ずいぶんな噂を立てられて一時苦しめられたのよ。それを跳ねのけるように、仏道に熱心で、今日までそれは変わらぬ。兄帝はとうとう失明された後、十七歳でおかくれ遊ばされた。母上は呪詛じゃといわれ・・・先の帝であられた崇徳院様に罪をかぶせられて、追い落とされたのじゃ。」
後に保元の乱と呼ばれ、継子であった後白河を天皇に即位させ、退位された崇徳上皇の復権を阻止するべく、摂関家を巻き込み、起こった内戦であった。崇徳様は讃岐に配流された。
花房は崇徳様の御歌が好きだったので、あわれ深いことだった。
(瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもすゑに逢はむとぞ思ふ)
定家もお気に入りだと喋り合ったことがあった。花房はこの御歌よりも、
(花は根に鳥は古巣にかへるなり春のとまりを知る人ぞなき)
という歌が胸に迫るものを感じていた。
もっとも花房は和歌を詠むのは封印していたので、和歌についての話は八条院には申し上げない。
「一時、わらわに帝の位をと考えられたこともあるのじゃ。」
花房は初耳だった。一瞬、それはいい考えだと頭をよぎった。女帝は奈良の時代以降、数百年も絶えているが、過去に前例がなかったわけではない。鷹揚で思いやり深い八条院なら治天の君にふさわしいと思ったのであった。花房は率直に、それは残念なことでありましたと申し上げる。
「話は立ち消えになった。いかんせん、女のわらわは男の妃をもらうわけにはいかぬからのう。」
「それでも良かったではありませんか。」
「何?」
「八条院様が帝の位につかれて、見目麗しい殿方を入内させれば良かったのです。そうすればここまで京の都は荒れなくても済んだのではありませんか?帝たちは皇位を巡って争い、お妃たちも宮中で争い、そしてお妃の父や兄弟たちも摂政の地位を巡って争ってきました。その間に地震も津波もやってきて、甚大な被害がもたらされました。それもこれも人々が欲ばかり追い求めて、人に譲るということをしなかったからではありませんか?実際、推古女帝の御代は数十年安定していて皆が心安く過ごすことができたと記録には残っているではありませんか。八条院様が帝の位に立っておられたら、深い慈愛の心に臣下どもも自然、争う気が起こらなくなったのではないでしょうか。」
花房は八条院の手を取った。なれなれしいとは思ったが、
「私は八条院様に救われました。」と感謝の言葉を口にした。身近で召し使う者を大事にされるお方こそ、帝になるべきだと花房は思った。
八条院は大胆な意見を言う花房に驚いたが、まだまだ言いたいことがあった。
「母上は常にこう申された。わらわが女院という女として最高の地位につけたのも、自分のおかでだと。莫大な遺領を相続し、豪勢な邸に住み、安穏と暮らせるのは自分が宮中で闘って、勝ったおかげだと。しかし、人々の怨嗟の上に生きているというのは中々心苦しい。」
花房は八条院の考え深さに感服する。一見、ぼうっとして何を考えているかわからないお方に見えるのに、ここまで思っておられることに感動した。
「わかっていて罪を犯して、その咎を受けたくないがために仏に祈るのはおかしくはないか?であれば最初から罪を犯さねばいいではないのか。もしくは罪を受けるつもりでくだらぬ仏事などほおりだしてわらわら好きに生きたいのじゃ。」
そして自分の身の保身のためだけに祈るのはおかしくはないか?本来は国が上手くおさまるべく、民の為に祈るのが上に立つ者の役割りではないのか、と。
花房はうなずいた。
「体が弱く、心も優しい兄宮には、本当に優しい母上であった。しかし足萎えの宮、盲目の宮と影で呼ばれた兄弟たちにはそれはそれは冷たかった。乳母どもにまかせっきりで、隠すように養育されておったわ。わらわは男兄弟よりも体も丈夫で、頭も冴えておる・・・漢文だってすらすら読めるし、難しい政務上の書類でも理解できる。こう見えてもわらわは学問はできたのじゃ。兄宮と中身を取り替えたいと言われた時はむなしくなった。」
「もったいないことでございました。けれども八条院様、これからはもう好きにお過ごし遊ばしたらいいのではありませんか?」
そう言って欲しくて八条院は花房に打ち明け話をしたので、嬉しそうに何度も頷いた。
「線香くさい仏事なんかほおりだしてしまいましょう。私どもをまた、宇治の山荘に連れて行って下さいませ。」
「そうか、そう言ってくれるか。・・・そなたはどこに行きたいのじゃ?」
「そうですわねえ・・・陰陽師とも相談して、吉方に参りましょう。」
「しかし早く準備しないと雪が降ってしまうではないか?」と八条院はそわそわなさる。すぐにでも準備いたしましょう、召し使われている者の中には父親や夫に連れだって他国へ赴任した者もおりまする。地理に明るい者に、風光明媚な場所を知っている者もいろいろ話を聞きましょうと花房は提案する。主従が心はずませてあれこれ計画を練るのはとても楽しいことだった。
そして冬の時期に旅行を決行したのであった。八条院は莫大な所領を持っているのが強みであった。もはや母親には何も言わない。噂で耳に入った抗議の手紙も読まずにほおり投げてしまった。
旅の出発日には雪がちらついていた。洛北にある貴族の別邸を借りることにし、先発隊が手入れのために準備をする。花房の甥の隆房はすっかりお気に入りの随身で、花房を通じて会話もされる。
そして、人が見ていない隙を狙って、直接お話をされることもあった。身分の違いを考えればとんでもないことであったが、そばに控えている花房が黙っていれば済むことであった。
洛北は雪が積もり、難儀な旅となったが、こうした予定外の出来事が起こるのも八条院は喜んでおられる。
ここでも八条院は雪の庭を掃いて道をせっせと作る家司たちの働く姿に目を細めて簾内からご覧になる。
昼間には盛大に、芋粥をたいて皆にふるまわれる。
花房が姉に作ってもらった綿入れの着物を取り上げて、「これは軽くて暖かい。」と気に入られたが、裏地はつぎはぎだらけで、恥ずかしゅうございますと何度申し上げても、八条院は意にかえさなかった。
隆房が「こんなものを作りました。」と叔母の花房を通じて八条院にうやうやしく献上したものがあった。
「まあ、なつかしい。」
雪で作ったかわいらしいうさぎであった。赤い目は南天の実で、耳は葉っぱでできている。花房も小さい頃、何度か作ったことがあった。教えてくれたのは母親だったか乳母だったか。
八条院はことのほか喜ばれた。
「花房、歌を詠め」とめずらしく八条院は仰せになる。「どんな歌でも歌は歌じゃ。形式にこだわることはない。」
南天の赤き瞳の雪うさぎ春はいずこぞ寺の鐘鳴る
「腰折れしか詠めませぬ。」と花房は申し上げたが、「よいよい」と八条院は仰せられ、右近に硯と筆の準備をさせて、驚くほど流麗な字でしたためてくれたのだった。これでは益々精進しないといけなくなった。歌人である定家がどれだけ喜ぶだろうか。面白い歌を詠む花房と歌のやり取りをしたいと何度も言われていたのだった。あれこれケチはつけられるだろうが、仕方がない。
雪は積もり続いて、いっそ春まで過ごそうかと八条院は軽口をたたかれる。閉じ込められて不自由な生活を過ごしているのも楽しいらしかった。八条院は理想の宮中を自分で作る決心をされているようだった。蔵にはうなるように財産がある。それを適度に吐き出して、身近に仕える者に与えれば、みなひもじい思いをしなくてもすむ。旅行に使う乗り物、着物を始め身近に使う細々としたものを注文すれば、それを生業とする者たちも潤うのだ。
花房は楽しかった。夫がいなくとも、実家には姉がいる。甥や姪も血縁者がいる。そして何よりも心強い主人がいる。これからも心をこめて仕えようと、いや仕えるといより一緒に遊ぼうと、そっと心の中で決心したのであった。
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