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宇治への旅
身分上、大仰なことになるのは避けて、あくまでおしのびでという形を取り、右近や中納言をはじめ、四五人の女房たちとゆったりとした行程で出発した。
行先は宇治。しつこい物の怪を調伏するということいった名目で、徳高い宇治の奥寺の聖を訪ねるとことにして、八条院のご生母、美福門院様へ手紙で了解を取って、出発したのだった。
花房の行動力に周囲は驚き、さすが武士の出はやることが強引などと陰口を叩かれたりしたが、中には八条院がしばらく留守にするので、さらにやりたい放題を決め込む者も少なからずいたのは嘆かわしいことであった。
おしのびとはいえ、丸々太った牛車を見れば、沿道の庶民は、やんごとなき方がおでましになっているとすぐ気づくものである。そしてそれはさざ波のように宮中の貴族を初め、帝や后妃たちにも噂は到達するに違いなかった。
最後まで手配が難しかったのが警備であった。八条院様がおでましという威光も、盗賊どもには通用しない。なにせ宮中にまで入り込むという不祥事が後を絶たないのだ。八条院のすまいである烏丸邸の家司たちは残って邸を守らないといけないことを理由に、同行をことわる者が多かった。花房は仕方なく、実家の家司をかき集めたり、義兄に頭を下げて人手を手配してもらった。
集まってきた侍たちの姿を見て、花房はほっとした。しっかりした顔なじみの年配の者もいれば、若くて凛々しい姿の侍もいた。何より嬉しかったのは18歳になる甥の隆房も来てくれたことだった。これで細々としたことを心安く物を頼めると思った。
花房の主である八条院は女房たちに支えられながら、乗り物の中の人となった。高貴な人の家にしかない氷室から氷を出してもらい、それを布にくるんで、胸元にあててもらい、体を冷やしつつ、乳姉妹の右近にもたれた。
洛中の喧騒から離れて、半刻もたったころだろうか、ゆっくりと前を進む牛車の車輪から伝わる振動が心地よく感じられ、人家もまだらになってくると、うっそうとした緑が目にとびこんでくる。日が高くなるにつれて、蒸し暑さは増してくるが、氷で涼を取っておられ、花房もたえず扇で風を送っているせいか、八条院は不平不満は口にはされない。
高貴な方は感情を表に出してはいけないと小さき頃より躾を受けられて育つので、顔に出すことはされないが、それでも顔の火照りが引いていくと共に、『いまはどこら辺か』とご下問なさる。乳姉妹の右近は八条院は機嫌が悪くなると黙り込んでしまわれる性格を幼い頃から知っているので、二言三言でも喋るのは良い傾向だとホッとした。
牛飼い童をからかう若侍の声が聞こえてくる。それをたしなめる年配の侍の声、川の音が遠くからやがてはっきり聞こえてくると、生ぬるいながらも風も通ってくる。昼時は川の浅瀬で牛を休ませる。木陰の近くで幕をはり、女たちはひと息ついて、昼餉を食べた。強飯に水をかけたものであるが、八条院は食欲がなく、水をお召しになっただけであった。
元気のいい若い侍たちが、川に入って、体を冷やしていたが、甥の隆房は花房の用事が聞けるように、常に傍に控えていた。
隆房は雲行きがあやしくなったのを敏感に感じ、
「夕立がくるかもしれません。」と先を急ぐように進言した。
しかし、その言葉に嬉しさをにじませていた。二十日ぶりの雨で、日照りが続いていた中で、稲の生育が心配されていたのだった。雨が降るかもしてないということは、上から下までが喜ばしい出来事であった。
宿泊先は大納言の別荘で、今や宮中でも飛ぶ鳥おす勢いのやり手だと評判の源大納言の山荘であった。妻の連れ子を後宮に入内させており、その娘が男皇子をあげることができればさらに出世が望めるだろう。
山荘は長らく使用していないということであったが、いそいで修繕され、大納言の妻室の一人が全ての部屋を清拭し、豪華な調度品で部屋を飾り立ててくれていた。古くておもむきがあり、ことに見晴らしはすばらしかった。山荘への途中、とうとう本降りの雨になってしまったが、それすら八条院にはめずらしかった。高貴な姿を下人らに見られるのは恥とされている時代であったが、牛車から玄関までの道のりは右近のすすめで上衣をすっぽりと頭にかぶって、ずいぶん不格好な有様にはなってしまったが、無事邸の中に入ることができたのだった。
やれやれと一息ついたが、落ち着く間もなく、八条院の衣装をかわかしたり、座をしつらえたりで、右近や花房は忙しかった。
まだまだ日が高い季節ではあったが、雨のせいで、部屋は暗くなっていた。うすぐらい部屋に灯をともしたりするうちに、すぐさま夕餉となった。
八条院は何でも食べて、さかんな食欲をみせた。特に井戸で冷やしておいた瓜がお気に召したようだった。
汗と雨で濡れていた八条院は右近に体をふいてもらい、ゆるやかな寝間着を着ると、さすがに疲れたのかあくびが出てきた。無理もない。半日かかって宇治までやってきたのだ。旅の疲れもあった。
大納言の妻室は八条院が御寝されると、別室に女たちをいざない、退屈をしないように世間話をしてくれた。身分が高い方であるのに、とても気さくな方であった。自身も選りすぐりの女房たちをひきつれて来ているので、花房たちはずいぶんと助かった。
さすがに宇治の山荘は涼しく、花房もぐっすり眠りについた。
朝、八条院の様子を見に行くと、顔のほてりがすっかりと消えて、久しぶりにぐっすり眠れたのか表情もすっかり落ち着いていた。そして早速『はばかり』に行きたいと言う。
朝もしっかりおかゆを召し上がり、ゆっくりと身支度をされると、ここから半刻かかる奥の御堂に自ら行きたいとおっしゃる。邸の中さえ、めったに歩くことがかなわないお方なのでどうしようかと思案していたところ、女房装束を借りて、市女笠で顔を隠すことにした。生まれて初めて、ずっしりとした衣装ではなく軽い衣に着替えると、花房と大納言の妻室だけをつれて、山奥へ向かった。
先導は花房の甥である隆房にさせて、足元が危なくないか確認しながら歩くことにした。花房が驚くくらい、しっかりとした足取りで八条院は歩いた。思えば、八条院の父帝は幾日もかけて熊野詣を徒歩で何度かされており、堅固な体格をしておられたと聞いたことがある。その血を受け継いでおられるのであろうか。
「叔母上、滝でございますよ。」
隆房が声をかけると、花房は山道の脇を流れる小川の上に段差が激しい岩から水がしたたる姿を認めた。昨日の雨で、いつもより水量が多い。滝と呼べるような大きさではないが、人の背丈ほどの
積み重なった岩々の間から勢いよく水が流れていた。足を滑らさないように、隆房はゆっくりと歩いて、足場を確認し、八条院ら一行がしっかり滝が見えるような場所にいざなった。
山の宮様ならここで和歌を詠むだろうけれども、そういった趣味もないゆえ、八条院はただ見つめておられるだけであったが、市女笠の前に垂れる薄布からはうっすらと、柔和な表情が見てとれる。
夏さかりの暑い日であっても、こうして水の前に立ち、風が吹くと涼しく感じられそれぞれの顔に滝の飛沫がかかるのも、とても良い心地がする。
山奥の聖の御堂で、ありがたいお経をあげてもらい、ありがたい話を聞いたが、八条院の耳にはあの清冽な滝の音と、若武者の隆房のきびきびした姿しか心に残ってはいなかった。
八条院のためにわざわざ御影寺から借りてきたという縁起物の絵巻物を見せてもらえたのは八条院の威光のすごさよ、と絵巻物を見るのが好きな花房は嬉しかったが、八条院はあまり興味がないようだった。
それよりも、昨日の雨で、雨漏りがするという御堂にただちに家司を呼んできて、大工の手配をし、修理をするように指示をして、その修理の様子を物珍しそうに見学されたのには花房は驚いた。およそ自分の邸宅に対しては、庭作りや部屋を飾ることにはまったく興味がなさそうだったのにと不思議に思った。
日が高くなると、山荘へ引き返し、八条院は昼餉も取られて、右近が昼寝をすすめるが、いや眠くはないとおっしゃり、こちらへきて退屈せぬようにと持参した物語などを読むがいいと女房たちに言うと、ご自身はゆったりと脇息にもたれて、右近に髪の手入れをさせて、女房が読み上げる声を聴いておられた。
お八つ刻には、小麦粉を練って、ごま油であげ、蜂蜜で味をつけたお菓子が出てきた。
「これを御堂で修理する者や、随身の者どもにも全員に配れないか?」
と足りぬのなら、わらわは食べぬ、おっしゃった。
狭い山荘ゆえに、膳所からは下働きのせわしない声や、お供をしてきた侍たちをからかう声など、和気あいあいとした様子がうかがえてくる。
普段、自ら命令したり、指示したりすることの少ない八条院が、御堂の修理といい、下々の者を気遣う様子に花房はとても驚いた。
明日は烏丸御殿に帰る日ではあるが、天は八条院に味方をしたのか、翌朝から激しいに雨になった。「修理が無駄になったかもしれぬ。」と八条院は案じることを言ったが、声ははずんでいた。滞在する日が延びたので、喜んでおられるようだった。大納言の妻はこんなこともあろうかと充分に準備する気の利く女性だったので、まったくたじろがなかった。一日中、激しい雷雨の声を聞きながら過ごし、女房たちに物語の続きを読ませたり、花房と双六をしたりして過ごした。
八条院は心ゆくまでこの旅行を楽しまれ、周りに仕える者に限りなく優しかった。
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