レモンの海に星が光った

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ミドリくんは、あまり売れないフリーのヘアスタイリストだった。 ものすごく才能はあるのに、絶望的に商売が向いてない。だからずっと売れない。 お金なら、小夜子が稼ぐからいいや。そう、本気で思った。というか、本音を言うと、今もそう思っている。 実際、別れようってなった原因はそこにはない。 ピカピカしていて、色鮮やかで、かっこいい職業だなあとしみじみしながら眺めている。それだけ。 ———小夜子ちゃんの髪の毛は、いじらないほうが綺麗だね。 ———そう? ———うん。下手にスプレーしたり結い上げたり、ゴテゴテ飾ったりしないでさ。すうっと風に流しているのがいいよ。 何より、ミドリくんは真摯で、まっすぐで。小夜子が出会った誰よりも、誠実な男の人だった。 ———あ……でも。その、一つだけ。 ———うん? ———小夜子ちゃんの黒髪の端っこ、ちょっとだけ銀色に染めていい? ———もちろんだよ。 ———やった! まるで、魔法みたいに。 芸術に対する直感が、優しさに乗ってあふれていた。 小夜子が、自分は“星の子”なんだと気付いたのも、ミドリくんのお陰。 ほんの少し散った銀の染粉が、小夜子を劇的に変身させたのだ。すうっと気分が静かに研ぎ澄まされて、涼しくなった。 こんな風に人を爽やかにしてしまえる……まるで神の手を持ったようなこの人と付き合っているなんて。そんな幸福が、本当に許されるのだろうか。夢じゃないか。そう何度も思ってしまうほど、小夜子は舞い上がっていた。多分、まあ、恋に酔っていたのだろう。 ……でも。 一番最初は、食べ物だった。
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