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五話 小指
五話 小指
六月二十日。
梅雨に入って雨の降る日が多くなり、教室内が常にジメジメとした空気に包まれるようになった頃。
高野台高校の文化祭は先週末に終わり、学校内にはいつもの日常が訪れていた。
高野台高校に通う一年生の見抜真(みぬき まこと)は屋根のある駐輪場に自転車を停めた後、雨合羽を自転車の籠に突っ込むと昇降口へと向かった。
昇降口で長靴を脱いだ真は濡れていない場所を探しながら爪先立ちで自分の下駄箱まで歩き、長靴をしまって校内用スリッパを取り出した。
スリッパに履き替えた真は、窓から見える雨の様子を見て「雨は朝までってホントか?」と思いながら自分の教室へと向かった。
「ヨッ! 真」
真が教室に着くなり、クラスメイトの牧野慶太郎(まきの けいたろう)が肩を組んできた。
牧野は真と出身中学は違うのだが、入学式の時に趣味の話で盛り上がったことをキッカケに仲良くなった。
牧野はサッカー部に所属しており、運動神経は抜群なのだが勉強はからっきしのスポーツ人間である。
「朝から何だよ?」
一日の初っ端からダル絡みされた真は少しだけ不機嫌な声を出す。そんな真に対して牧野はいつもの調子の声で訊ねた。
「雨、朝には止むんだよなぁ?」
「さぁ? 朝のニュースだとそんなこと言ってたけど」
それは真が聞きたいぐらいだった。雨の日の自転車通学はとにかく面倒だ。雨合羽を着る必要はある、雨合羽を着ると蒸れて暑い、路面は滑りやすくなっていると悪いことばかりだ。
「雨が止んでくれないと体育が水泳じゃなくて筋トレとか柔軟になるから嫌だろ? な?」
牧野が言うのは五限の体育のことだろう。
文化祭が開かれた六月中旬頃から水泳の授業が解禁された。高野台高校では水温と気温が基準を満たしていない場合は筋トレや柔軟を行うことになっている。
夏が近付いているとは言え、まだ肌寒い今の時期は水泳へのモチベーションが低い生徒の方が多い。ところが、牧野は水泳に対して妙に意欲があった。
「別にどっちでも良いけど。牧野はそんなに泳ぎたいの?」
牧野はチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。
「馬鹿だなぁ。泳げるかどうかなんてどうでも良いんだよ」
真は数秒思考回路をフル回転させたが、牧野の言わんとしていることが分からず動きが止まってしまった。
「え、どういうこと? 筋トレが嫌いってこと?」
牧野は「やれやれ、言わなきゃ分かりませんか」と溜め息をつきながら呟くと、ゴホンと咳払いをして喉の調子を整え、渾身のキメ顔をしながら言った。
「重要なのは女子の水着が見れるか見れないか、だろ」
時間にしてはわずか数秒だったが、二人の間には五分以上に感じる沈黙が流れた。
「そう、ですか」
真は話のくだらなさに呆れて溜め息をつき、肩に回された牧野の腕を振り払おうと身体を捻った。
「またまた強がっちゃって。良いか真。女子高生の水着を合法的に無料で見れるのは今の内だぞ。卒業したら金を払わなきゃ見れないんだからな! それに姫倉さんの水着姿ともなりゃ金払っても見れるか分からんシロモノだ」
鼻の下を伸ばしながら話す牧野は、脳内に水泳の授業風景が過ぎっているのかあさっての方向を見ている。実に品のない知性の感じられない顔だ。
「はいはい、そうですね」
「だろだろ? お前もやっぱり楽しみにしてるんだよな? 網膜にしっかり焼き付けて、家でせっせと思い返すんだよな?」
牧野が意味深な手の動きを始める。周りの人間から自分もこういう人間だと思われたくなかった真は、どうやって話を終わらせようか迷っていると牧野の身体が誰かに突き飛ばされた。
バランスを崩した牧野は数歩先で何とか踏ん張り転ばずに済んだ。
「ってぇな。誰だよ!」
牧野が振り返ると、そこには「私が突き飛ばしました」と言わんばかりに片手を突き出している姫倉さとりが立っていた。
「邪魔」
「な、なんだ。姫倉さんか。言ってくれれば退いたのに」
牧野は突き飛ばした犯人が姫倉だと知るや否や、背筋を伸ばしてキリッと何事もなかったかのように言った。
姫倉はそんな牧野を「失せろ」と一瞥した後に、真の目を見て言った。
「”委員会のこと”でちょっと話があるから朝のホームルームの後に来て」
姫倉の「委員会のこと」という言葉に対して、真の身体の内側にゾワゾワと虫が湧いたような痺れが疾走(はし)った。
見抜真には物心ついた頃から不思議な力がある。
それは『相手が意図的についた嘘に限り、それが嘘だと分かる』力だ。
相手が意図的に嘘をつくと、身体の中に虫が湧いたようなゾワゾワとした嫌な痺れを感じるのだ。
この力が発動するためには二つの条件がある。
一つ目 相手の声を聞いていること。
直接会って話しているか電話で話していれば発動するが、筆談やメールといった声を介していないやり取りでは発動しない。
二つ目 相手が『意図的に』嘘をついていること。
相手を騙そうと思って発した嘘にのみ力は発動する。そのため、別の誰かから聞いた嘘の話を信じた人がその話をそのまま真にした場合は、話している人が『意図的に』嘘をついた訳ではないので力は発動しない。
今回の場合、姫倉さとりの言った「”委員会のこと”でちょっと話があるから朝のホームルームの後に来て」という言葉の『委員会のことで』が意図的についた嘘ということになる。
詳しく言えば「委員会のことではないけれど、ちょっと話があるから朝のホームルームの後に来て」と姫倉が言ったことになる。
「え?」
真は姫倉の予想外の嘘に思わず返事が遅れてしまう。
「え? じゃなくて、話があるから来てねって言ってんの。それじゃあね」
「あ、うん。分かった」
姫倉は用件を伝え終わると自分の席へと向かい、荷物を降ろし始めた。
「何だよ。文化祭終わってもまだ仕事あんのか?」
「さ、さぁ?」
姫倉に話しかけられる心当たりが無かった真は首を傾げながら言った。
その様子に牧野はハッとしたように言った。
「それともお前。姫倉とまさかまさかなのか?」
「何? まさかまさかって」
「バッカだなぁお前。そんなの」
牧野がチラリと真から視線を外した瞬間、牧野の言葉が止まった。
「そんなの、何だよ」
「ん、いや、何でもねぇ」
「は? 今度は何?」
「何でもねぇったら何でもねぇ」
牧野がチラリと視線を向けた先に真が振り向くとそこには自分の席についている姫倉がいた。姫倉は真と視線を合わせること無く、ノートを取り出して何やら書き込んでいた。
「お、もうこんな時間か。じゃあな」
牧野は時計を見るとそそくさと自分の席へと戻って行った。もうすぐ朝のホームルームの時間だということに気が付いた真も急いで自分の席へと向かった。
朝のホームルーム終了後。
真はすぐに教室を出て行った姫倉の後を追って廊下へと向かった。空き教室の前にある窓から外の景色を見ていた姫倉の横に並んでから真は言った。
「それで、委員会のことで話って何?」
姫倉は眉をピクリと動かしてから口を開いた。
「分かってるんでしょ? 私が嘘ついたって」
「いや、まぁ、分かってるけど」
「用件だけ言うけど」と前置きしてから姫倉は話を続けた。
「見抜君は『自分が痛い思いする代わりに女の子が助かる』のと『自分が痛い思いをしない代わりに女の子か知らない誰かが痛い思いをする』のだったらどっちを選ぶ?」
「え、何、いきなり」
質問に質問で返したものの、真は姫倉の言わんとしていることが想像出来ていた。
真と同じように、姫倉にも不思議な力がある。それは『未来を経験する力』だ。
未来を『視る』のではなく『経験する』と表現しているのは、姫倉はその未来を傍観しているのではなく、自分の意思で行動を変えることが出来るからだ。
姫倉さとりは高野台高校に入学後、六月七日の下校途中に通り魔によって殺される未来を何度も経験していた。
周囲を警戒しても、走っても、道を変えても、必ず通り魔に殺される未来を何度も何度も経験した姫倉は生きることを諦めていた。
そんな姫倉の未来を経験する力の存在を知った真は姫倉のために様々な事を行い、結果として姫倉は殺されること無く今も生きている。
だが、誰もが未来を知ることなど出来ないのと同じように、姫倉も好きな未来を経験することは出来ない。
天啓の如く、ある日突然何処かの未来を経験するのが姫倉の力であるため、運命を操れるほどの万能性は無い。
そんな姫倉の力のことを考えれば、彼女が言いたいことは一つしか無かった。
「状況は良く分からないけど、僕が女の子を庇って怪我をした未来を経験したってこと?」
「その通り。で、見抜君ならどっちを選ぶの?」
姫倉の品定めするような視線を浴びながら、真は頬を指で軽く掻きながら言った。
「そんな質問をされて『僕は痛い思いをしたくないから女の子が怪我をすれば良い』だなんて言えないよ」
「だと思った」と姫倉は満足そうに笑いながら言った。
「で、それは何時頃なの?」
「見抜君が自分を犠牲に女の子を助けることを選ぶのなら、私の話を気にせず過ごせば良いんだよ」
「いや、それはそうかもしれないけど、怪我をするかもって分かってたら少しは対策、とまではいかなくても心の準備が出来るから。僕の答えまで予測してた姫倉さんなら、そういうつもりで教えてくれたんでしょ?」
姫倉は真の言葉に少しだけ狼狽えた。そして誤魔化すように咳払いをしてから言った。
「英会話の時の階段」
姫倉はそれだけ言うと「”大きな貸しがあるから教えてあげただけ”」と真に聞こえるぐらいの大きさで嘘を呟いてから教室へと戻って行った。
「英会話の時の階段?」
真はしばらく窓の外を眺めながら考えていたが、姫倉の力は『未来を変えようと思って行動しない限り必ずその通りになる』モノなので考える必要などない。真は少し遅れて教室へと戻った。
三限は英会話の授業だった。
高野台高校では英語とは別に、ALTの先生が行う英会話の授業がある。英会話の授業は教室では行わず、LL教室もしくは語学実習室と呼ばれる部屋で行うことになっている。
真は牧野と共に教科書を抱えて別棟の階段を上っていた。自分達の前後には目的地が同じということもあってクラスメイトがまばらに並んでいた。
「晴れてきて良かった。これで心置きなく水泳が楽しめる」
牧野がニコニコと微笑みながら言った。
「お前が楽しむのは水泳じゃないだろ」
「その通り。控えめなのに男を釘付けにする姫倉ボディ! 安産型なのにしっかり引き締まっている水尻! スクール水着越しだというのに柔らかさが伝わってくるたわわな野呂パイ! クゥウ! 堪んねぇなぁオイッ!」
牧野はバンバンと真の背中を叩く。
「水尻って何だよ」と言いかけてから「やっぱり言わなくて良い」と真は言ったが、牧野はウンウンと頷きながら答えた。
「よぉ言うたッ! 水尻ってのは水嶋の尻のことだな。水泳部は良いよな。春夏秋冬いつでも水尻見れるだなんて贅沢すぎると思わんかね、真よ」
「知らんわ」
あまりにもくだらない会話に真が思わず眉をひそめていると、上の方から「あッ」と聞こえたと思うや否や、真の身体が一瞬宙を舞った後に、後頭部と背中に思わず噛み締めてしまう程の強い衝撃が疾走った。
「ッッッ」
後頭部と背中に強い衝撃が疾走った一方、身体の前面、特に顔の辺りが何やら柔らかく温かいモノで包まれた。甘く優しい濃い匂いに包まれたことにより、何が起きたのか考える気力が湧かなかったため、真は動かずにジッとしていた。
次第に周囲がザワザワと騒がしくなってきた。そして、自分の身体に乗っていたナニかがゆっくりとその場を離れた。
「あ、あの。ごめんなさい。わ、私のせいで」
声の主が差し伸べた手を握った真は身体を起こした。声の主はクラスメイトの野呂美幸だった。自分はどうやら上から落ちてきた野呂とぶつかって、自分が下敷きになったようだった。
「いや、大丈夫。いてて」
姫倉の言った未来はこの事か、と思いながら立ち上がった真は散らばった自分の荷物を拾おうと辺りを見回したが、既に牧野が回収していた。
「大丈夫かよ。保健室行くか?」
普段チャラけた牧野であっても、こういう時はしっかりしていた。
「大丈夫。多分。血が出てなければ」
真は後頭部に手を当ててから掌を見たが、血がつくことはなかった。
「本当にごめんなさい。そういうつもりなんかなくて」
「大丈夫大丈夫。大丈夫だから」
何度も謝る美幸に対して、真は大丈夫だとアピールするためにガッツポーズをしたが、わざとらしく見えるガッツポーズは却って美幸の心配を煽ったようで、何度も頭を下げさせてしまう。
「あの、野呂さん。本当に大丈夫だから」
「私のせいで酷い目に遭うことになるだなんて。でも恨むなら私じゃなくて呪いを恨んでね」
「えっ?」
何を言ってるんだ? と真の思考回路がフリーズしている間に、美幸はもう一度頭を下げて謝ると「さようなら」と言ってから逃げるように走り去った。
「何か振られたみたいだな」
牧野が回収しておいた真の私物を手渡しながら言った。真は「ありがとう」とお礼を口にしてから受け取り、続けて言った。
「告っても無いのに振られて堪るか」
「で、どうなの?」
「まぁ、多少痛いけど別にそんなに」
「違う違う」
「違うって何が?」
牧野はわざとらしく焦らしてからボソッと言った。
「たわわな野呂パイは柔らかかったか? ん?」
「んなッ!?」
真は牧野の言葉によってようやく自分の顔を包み込んだ柔らかく良い匂いのする何かの正体を知った。正体が分かった途端に強く意識してしまい、真の反応はたどたどしくなった。
「いや、あの時は後頭部をぶつけた衝撃で頭がいっぱいで、その」
「野呂パイが上から降ってくるなら俺が右側歩いてりゃ良かったなぁ」
「な、何言ってんの」
「お!? 顔が少し赤いぞ。やっぱり野呂パイにダイブしたんだな。いや、待てよ。野呂パイがダイブしてきたのか。どっちでも良いか。俺もダイブしてぇええッッッ!」
「うるさい」
「うげッ!?」
真の拳が牧野の脇腹に突き刺さった。
牧野が茶化したせいで、真は美幸の言葉のおかしさについて考えることを忘れてしまった。
その日の夜。
痛みは治まったものの、後頭部のぶつけた場所を手で押すとジワジワと痛みが広がることに気が付いた真は、これ以上悪化しないように触らないように意識していた。
明日の予習をしようかとノートと教科書を取り出して机の上に並べていると、自室のドアが苛立ちを表現するかのようにドンドンと鳴った。
「ちょっと真。何コレ」
「何が?」
「良いからドア開けて」
せっかく勉強する気になったのに、と思いながら椅子から立ち上がり、自室のドアを開けると母が頬を膨らませて立っていた。
「真が洗濯かごに出したハンカチに炭みたいなのがこびり付いてるけど何よコレ。このまま洗濯したら他のも汚れちゃうでしょ」
「へ? 炭? 知らないけど」
「真のハンカチに沢山ついてたんだから犯人は真でしょ。綺麗にしてから出し直して頂戴」
母は真が今日使っていたハンカチを突き出してきた。真がハンカチを渋々受け取ると、母はプリプリと怒りながらリビングへと向かって行った。
「炭って何のこと?」
そう言いながら真が渡されたハンカチを広げると、黒の塗料スプレーをかけたかのように黒く汚れていた。
手で触ってみると黒く細かい鉛筆の芯のような粉が指に付着した。
「え、何コレ」
真は慌てて制服のポケットに手を入れた。ハンカチを入れていた右側のポケットの中も同じように黒い炭のような汚れが大量に付着していた。
真は右側のポケットに入れた覚えのある財布を机の上から手に取った。すると、財布の御守りを入れておいた場所の汚れが一段と酷かった。
「は?」
真は慌てて御守りを確認しようと指を突っ込むと、草薙神社の一人娘である幼馴染の草薙幽子(くさなぎ ゆうこ)から貰った御守り袋が爆ぜていた。
「こ、コレは。え?」
貰った御守りに起きた異変に肝を冷やした真は、慌てて携帯電話を手に取ると通話ボタンを押した。
コール音がしばらく続いた後に相手が応答したことを知らせる通話開始音が聞こえた。
『はぁい』
電話の相手の声が反響して聞こえるのは気の所為だろうか。しかし、真は一刻も早く本題に入りたかったために声が反響していることに関しては無視した。
「ユウ姉、今大丈夫? 聞きたいことがあるんだけど」
ユウ姉というのは御守りをくれた草薙幽子のことである。真は小さい頃から幽子のことをユウ姉と呼んでおり、その習慣は高校生になった今も続いている。
幽子は真のことをマコちゃんと呼んでいる。これも小さい頃からの習慣であり、思春期真っ只中であっても、お互いにしっくりくる呼び方を変えることはなかった。
『大丈夫だよ。何かあった?』
「えっと、先月ユウ姉に御守り貰ったんだけど、その御守りが爆ぜちゃって。何か心当たりとかある?」
数秒の沈黙。
『へ? ごめん。もっかい言って。聞き取れなかったかも』
真は咳払いしてから一言ずつ丁寧に言った。
「ユウ姉に、貰った御守りが、爆ぜちゃったんだけど、何か心当たりある?」
『御守りが、爆ぜた?』
言い終わった後に、幽子の息を吸う音が真の耳に届いた。息を吸う音すらも反響していることに、真はさすがに違和感を覚えた。
『ねぇ、マコちゃん。ビデオ通話に変えれる? その御守り見たいんだけど』
「うん、分かった。今からビデオ通話にすれば良いの?」
『うん。お願い』
真は一度耳元から携帯電話を離すと、ビデオ通話開始のアイコンをタップした。しばらくすると幽子の方もビデオ通話の開始を始めたようで、画面にお互いの姿が映った。
真は幽子の姿を数秒見た後に慌てて画面から目を逸らした。
「ゆ、ユウ姉! 入浴中ならそう言ってよ!」
真の携帯電話の画面には、浴槽に浸かっている幽子の胸元より上が映し出されていた。幽子の声が反響して聞こえるのは浴室にいるからだった。
『別にマコちゃん相手なら私は気にしないよ。一緒にお風呂に入ったこともあるでしょ?』
「何年前の話してんのさ!?」
『良いから御守り見せて』
「いやいや、見えちゃうからまずは隠してよ」
ボソッと幽子が何かを言ったのだが、反響する音に掻き消され真は聞き取ることが出来なかった。
『とりあえず隠したから、コレで良いでしょ?』
真が恐る恐る画面を確認すると、腕で胸元を隠した幽子が映っていた。いくら子供の時に一緒にお風呂に入ったことがあるといっても、それは小さい頃の話であり、高校生になった今では様々な感情を湧き上がらせた。
「別にお風呂出てからで良いんだけど」
『一刻を争うことかもしれないでしょ? お姉ちゃん命令。御守り見せて』
お姉ちゃん命令というのは、幽子が絶対に譲る気が無いことを意味している。
真は渋々とカメラに映るように御守り袋を見せた。
『袋の中はどうなってるの?』
「袋の中? 開けて良いの?」
『良いよ。開けて』
真が恐る恐る袋を開けると、袋の中には真っ黒になった細く短い枝のようなモノが入っていた。
「何か黒くて細くて短い枝みたいなのが入ってるよ」
『それ取り出せそう?』
「ボロボロになっちゃうかも」
『出せそうなら出してみて』
真は唾をゴクリと飲み込んだ後にゆっくりと袋の中に指を入れた。指先が黒い枝のようなモノに触れたことを確認すると、それを優しく摘み、ゆっくりと取り出した。
取り出したモノをカメラが捉えたタイミングで幽子は小さく息を吸った。
『そっか。うん、なるほど』
「何か分かったの?」
幽子は口をへの字に噤み考え込んだ後にゆっくりと言葉を紡いだ。
『マコちゃん。今日変な所に行ってないよね?』
「変な所って?」
『立入禁止の場所とか、曰く付きの場所とか』
「行ってないけど」
『そう、そっか』
「どういうこと?」
『マコちゃん。落ち着いて聞いてね』
幽子は念を押すように真面目な口調で言った。真は幽子の真剣な素振りに思わず姿勢を正した。
『その御守りね。身代わり小指って言うの』
「身代わり、小指?」
『簡単に言うとね。邪悪なモノから持ち主を守ってくれる御守りなの。マコちゃんとカナンちゃんにあげた御守りは一般の参拝者が買っていくような簡易的な御守りじゃなくて、私が源ジィに無理を言って由緒正しい工程で造った御守りなの。だから、よっぽどの事が無い限りそんなことになるわけがないの』
源ジィというのは幽子の祖父であり、草薙神社の宮司である。長きに渡り宮司をやっているため、何かしらの行事に参加したことのある人なら誰もが知っている地元の有名人だ。真も小さい頃から色々とお世話になっている。
カナンというのは真と幽子の共通の幼馴染であるが、ここでは詳細は省く。
「由緒正しい御守り? よ、よっぽどの事?」
『後で写真送って貰っても良い? 源ジィには私から言っておくから。それと、マコちゃんは明日それ持って私の家に来て』
「え、えっと。そんなにヤバいの?」
真の問いに幽子は答えなかった。沈黙こそが幽子の答えだった。
「分かった。明日、ね」
『うん、明日。忘れないでよ』
「ねぇ、ユウ姉」
『何?』
「大変なことになりそう?」
少しだけ間を置いてから、幽子は自分に言い聞かせるように言った。
『お姉ちゃんに任せて。マコちゃんのことは必ず私が守ってみせるから』
その後、お互いに近況報告を済ませると通話を切った。
真は財布とハンカチとズボンのポケットの炭のような汚れをティッシュを使って取り除くことを始めた。
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