3話

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3話

空がぼんやりと明るくなった頃、兵士たちが近づいて来る足音と共に目が覚めた。 こんな状態でもよく寝られたものだと自分で自分を感心してしまう。 眠気を帯びながら、村人たちは兵士たちの指示で体を起こした。 「これより我らはクレマチスの本拠地に向かう。全員、我らについてこい!」 隊長の叫び声と共に、繋がれた先端の村人から引きずられるように歩き出した。 縄を掴む兵士は馬に乗っている。 その後ろを一列に並ぶように、捕虜の村人たちは歩かされた。 それは4つのグループに男女で分けられ、歩かされる。 ここから、隣町のクレマチスまでは25キロほどの距離があった。 馬で行けばそう遠くない距離だが、人が集団で歩けば半日以上はかかる。 おそらくろくに休憩もとらずに進むのだろう。 ただ一つの救いは、クレマチスからこの農村までの道は小高い丘はあっても、山道を歩くほどの急坂はないことだ。 歩き続けて、3時間ほど経ったころ、歩き慣れていない村の女たちの何人かが弱音を吐き始めた。 休ませてほしい、水が飲みたい、もう歩けないと言い出したのだ。 男たちは憐れむような目線で女たちを見つめる。 すると隊長がやってきて、女たちのグループを2手に分けた。 1つは黙ってこのまま歩き続けることを選択した女たち。 そして、もう1つは弱音を吐き始めた女たちの集団だ。 エンジュは当然、歩き続ける集団に入れられる。 しかし、カルミアとアネモネは足が痛くて歩けないと、後から合流するグループに入っていた。 女たちはこのグループ分けの意味を理解していない。 アキレギアは悔しそうに歯を食いしばって、妻と娘を見つめていた。 願わくは、辛くても歩き続ける集団に入ってほしかったのだろう。 しかし、そんな願いは虚しく、男たちと片方の女たちのグループが歩き始める。 残された女たちは数人の兵士に囲まれながら、道を外れて森の中へと連れていかれていった。 その先に歩き続けるより残酷な現実が待っているとも知らずに。 「少しでも長く生きたけりゃ、賢くなりな」 エンジュの耳元で誰かがそう囁いた。 それはあの選定の時に兵士に助言してくれた女だった。 村の人間を全員把握しているはずのエンジュでも、この女の事をよく知らない。 最近来たばかりで、気が付かなかっただけかもしれないが、村の雰囲気ともどこか違っていた。 それに身寄りのないエンジュを気にかけてくれることも不思議でならなかった。 それでも、今のエンジュにとって彼女が心強い人間であるのは確かだ。 エンジュも周りの兵士たちに気づかれないように、深く頷いて見せる。 ここで兵士たちに無暗に歯向かっても自分にいいことは何もない。 今はあの選定で、使えない子供たちの中に選ばれなかっただけでも幸いと思わなければならないのだ。 エンジュたちが関所である隣町のクレマチス付近に着いたのは、昼時が過ぎた頃だった。 村人たちは丘の上から見た貿易都市、クレマチスは栄えていた時の面影も残さないほど無残な姿に成り果てていた。 その光景を見た村人たちは愕然とし、その場で膝を落とす者もいた。 エンジュはこのクレマチスという街の事を知らない。 しかし、何度か出稼ぎに出ていた村人から聞いた話では人口も多く、いつも賑わっている大きな都市だと聞いていた。 しかし、今は敵兵以外の人間の姿はなく、街は廃墟と化し、あの頑丈だった国自慢の塀は粉々に崩れている。 「なんてこった……」 村人の1人が頭を抱えながら、その場に座り込んだ。 それだけ、絶望的な状況だったのだ。 ここ何年、クレマチスがここまでやられることはなかった。 そのため、街の人間も、そしてエンジュたち農村の者もこの街が侵略され、他国の兵に街が強奪されるなんて考えもしなかったのだろう。 しかし、現実は他国と自国の武力の差を見せつけられたかのように、惨敗していたのだった。 エンジュたちはそのまま歩かされ、クレマチスの街の中に入る。 その街の中央には数台かの馬車が並んでいた。 恐らく、これで捕虜たちを自国まで送るつもりなのだろう。 もう既にこの街の住人の一部が連れ出されているようだった。 「男女に分かれて馬車に乗れ。男たちはこのままニゲラ鉱山まで連れていく。女たちはひとまず、我が国の本城都市ブーゲンビリアに向かう」 ニゲラ鉱山と聞いて、男たちは真っ青な顔を見せた。 それは巨大な鉱山で、質の良い鉱物が採れると有名な場所だったが、地盤が緩いせいか崩落も多く、死人もよく出ていた。 故に、あの鉱山で働くのは基本奴隷ばかりで、崩落で生き埋めから逃れたとしても採掘中に病気になったり、怪我をしたりで、働く場所としては最悪なところであった。 しかし、これはもう生きるか死ぬかの選択なのだ。 男たちは黙って従い、ニゲラ鉱山行きの馬車に乗った。 その中にはアキレギアもいたが、数年共に暮らしていたエンジュに一度も目線を向けることはなかった。 ただ、傷心しきって今にも崩れそうな後姿をしていた。 そんなアキレギアを見送りながら、エンジュもブーゲンビリア行きの馬車に乗る。 馬車の中で、エンジュは例の女の隣に座っていた。 馬車が数キロ進んだ頃、やっと落ち着て来たのか、寝入る者も多かった。 そんな中で、隣の女はエンジュに声をかけてくる。 「私はリナリアだ。お前は?」 エンジュは少し警戒しつつも、小さな声で答えた。 「エンジュ」 「エンジュか……。いい名だな」 リナリアは小さな声で答える。 エンジュはなぜ自分がこのような名前を付けられたのかは知らない。 知りたくても名付けた両親はもうこの世にはいないのだから。 エンジュにはこの女の目的がわからなかった。 すると、女はエンジュの目線に気が付き、自分が距離を置かれていることがわかり、小さく笑って見せる。 「そうだな。私もあの時、あんたを助ける気なんてなかったんだ。ただ、あんたみたいな女が生き残れば、私の立場も変わってくると思ってね」 エンジュは意味も分からず、首を捻ってリナリアを見つめる。 「エンジュ。今から私たちは隣国プラタナスの王都ブーゲンビリアに捕虜として運ばれて、何をさせられると思う?」 リナリアの言葉にすぐには答えられなかった。 けれど、あの時の会話の節々から予測はできている。 「兵士や使用人たちの慰み者、もしくは奴隷労働者として働く」 「そうだ。エンジュは慰み者の意味はわかっているのかい?」 エンジュはリナリアの質問に答えることに躊躇いを感じたものの、頷く。 きっとアネモネのように両親に大事に育てられた子供なら知らないはずだ。 エンジュはこう見えても、割と博識な方であった。 「なら話は早いね。これから私たちは王都へ向かい、三つに選定される。一つ目は村や街の中でも見た目の良い未婚の若い女たち。運が良ければ、上官の妾ぐらいにはなれるだろうし、それなりの金持ちに買われることになる。そして二つ目は、若いが既婚者や見た目がそれなりの女たち。これは先ほど話したように、兵士や使用人のいいように使われて、最後は身売りに出されるだろうね。そして、最後の三つ目はそのまま労働者の奴隷として働く。男たちの様には働けないから、鉱山に連れていかれるようなことはないが、使用人としてこき使われるだろうね」 エンジュもそれはわかっていた。 戦争に負け、捕虜となれば、何処の国でも結末は大半同じだからだ。 歴史書を読めば、何となく予測はついていた。 「私は見た目も良くないし、女らしくもない。それに、あんな奴らの慰み者として生きていくなんて死んだ方がマシさ。だったら、逃げずにそれを回避する方法。それは三つ目の奴隷労働者になるしかない。奴隷労働者が他の役目より楽だとは言わない。けれど、それでも私はそれを選択する。そのためにも、お前のような奴隷労働者としか扱えないような醜女が必要だったんだ。お前がいることで、三つ目の選択肢が大幅に広がる。お前はとにかく自分の不健康ぶりを見せつけるんだ。そういう女に男は欲情しないものだからな」 リナリアはエンジュに便乗して、自分も不健康な女を演じ、下働きに売り出される方を選ばせようとしているのだ。 リナリアが良心でエンジュを助けたわけではないにしろ、エンジュもまたリナリアの考えに賛同するのであった。
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