30話

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30話

王都や王都の近くの農村にお忍びで赴いたことはあったが、今回のような長旅は初めてだった。 長旅だと言っても、荷物はそれほど持ち歩くわけにもいかない。 当然、ディルフィニウムが王族であることも悟らせるわけにはいかなかったので、それほど豪華な装備も出来ず、旅人らしい服装で出発した。 周りの兵士たちも城の兵とは知られたくない。 無暗に噂になれば、竜と共に逃げた少女の耳にも入る可能性もあるからだ。 彼女たちがどこまで逃げ切れたのかはわからないが、まだ国内に留まっている可能性は十分にあった。 ガドゥプルは長い間、城の地下に閉じ込められていたのだ。 久々の飛行にはそれなりに体力も消耗していると考えていた。 「それではディルフィニウム様、残念ながら城外を出たら、私たちもあなた様の事を王子扱いは出来ません。街の人間やこれから訪れる村の者に正体をばらすわけにはいかないので。あなたは今から、ラクスパーと名乗っていただきたい」 ライラックはディルフィニウムに申し訳なさそうに話した。 彼がディルフィニウムにひどく気を使っているのは嫌でも感じ取れる。 「わかっています。お忍びで旅を始める以上、覚悟はしていました。ライラックも僕のことは気にせず、気兼ねなく話しかけてください」 ディルフィニウムはライラックを安心させるように笑顔を作った。 これからは旅の仲間になるのだ。 そこに上下関係はむしろ無用だった。 王子だと気を使われても、これからは1日中共にするのだから煩わしいばかりだ。 「感謝します。どうか、この旅が実りあるものになるよう、我々一同全力を尽くします」 その言葉で後ろについて来ていた兵士たちもディルフィニウムに対する最後の敬意を払うように膝をつき、誓いを立てた。 この旅が何を意味するかをディルフィニウムもひしひしと感じていた。 「それでは行きましょう」 彼は意を決して場外へ裏口から誰にも見つからないように出た。 そして、王都に出るとそこからガドゥプルたちが逃げたと思われる北東の方角へ向かい、その城門の入り口までたどり着いた。 ディルフィニウムももう当面の間、王都には戻れないのだと自覚していた。 そこからはひたすら歩いて、北東にある一番近い村に向かった。 情報収集と寝床を確保するためである。 ガドゥプルたちが逃げたと思われる場所は近くても歩いて10日近くかかるだろう。 当然、馬を使えばもっと効率よく進めるのだが、あんなに目立つ竜を馬で走るような見晴らしのいい場所にいさせるわけがない。 移動する時は別として、それまでの間は森に隠れるのが一番得策だろう。 森ならば人目にもつかないし、他の魔獣もいるのだから多少は誤魔化せる。 それに餌の事を考えても、彼女たちが森にいる確率が高い。 そう考えると、獣道ではうまく走れない馬を使うのは返って不便だし、使えなくなったからとその辺に捨て置くわけにも行かないので、徒歩という選択になった。 本当にそこまでしてあの竜が王にとって必要なのかディルフィニウムにはわからない。 逃したものを惜しいとは考えるのは普通のことだろうが、丈夫な素材なら竜の鱗に劣るとしてもないわけではなかった。 それに今は戦争をしているのだ。 貴重な人員をこちらに回すような余裕もあるように思えない。 この命令はどこか裏があるようにしか思えなかったのだ。 辿り着いた村は本当に小さな村だった。 村の端から端を視界に収められるほどの広さだ。 こんな場所に宿場があるとは思えなかったが、情報収集と共にどこか泊められそうな場所を探した。 交渉役はおおむねライラックが行っていた。 殆どの旅のメンバーがライラックの部下で優秀ではあったが、ディルフィニウムが信用にたる部下ではなかった。 ライラックは村人に声をかけ、泊めてくれそうな家があることを教えてもらったらしく、彼らはその家に向かって歩き出した。 事情を話すとすんなりと泊めてくれるとのことだったが、当然それなりの謝礼を要求された。 なんのメリットなしに家に泊め、飯まで食えしてくれる家などない。 農村はどこも困窮状態だからだ。 「泊めていただいて、本当に助かりました」 ライラックは愛想良く、家主に声をかけた。 家主は快く彼らを部屋に招き入れ、寝床を案内してくれた。 「気にしないでください。寝床と部屋だけはたくさんありますから。ここいらは宿場がないでしょ? だからうちはその代わりを務めているんですよ」 彼は奥の扉を開け、寝室に入る。 寝室にはベッドが6つ並べられ、やけに天井の高い寒々しい部屋だった。 恐らく昔、ここは納屋だったのだろう。 それを時々来る旅人に貸すため、こうして簡易なベッドを用意したのだと考えられる。 「食事が出来たらお呼びします。それまでどうぞゆっくりしてください」 家主はそう言って重い扉を閉めた。 扉を閉めると薄暗く、ひんやりするが暖炉など温まめるようなものはなかった。 兵士の1人が持っていた荷物をベッドの上に投げると、不満そうに声を上げた。 「何が宿場の代わりだ。こんなひどい寝床を用意して、謝礼だけはしっかりもらいやがって。今が真冬だったら凍死しそうな寒さだぞ?」 確かに謝礼に見合った部屋とは言えない。 しかし、馬小屋に泊めさせられるよりはよっぽどましだろう。 初日から野宿はディルフィニウムも避けたかった。 ぶつぶつと文句をたれる部下にライラックが戒めた。 「寝床があるだけありがたく思え。森に入れば、魔物が住み着くような場所で野宿も当たり前になるんだぞ!」 このような旅に慣れているのはライラックぐらいの様だ。 兵士だと言っても、ここにいる者は農村上がりの者は少ない。 王都で育った商売人の次男だったり、それなりの生活で育った者ばかりだ。 農村での生活など想像もしたことがなかっただろう。 それに彼らは戦争に行くように訓練した兵士というよりも場内を守る近衛兵と言った方が正しい。 戦に行くような者なら、野宿など当たり前であるし、寝ずに目的地に向かって歩き続けるということも稀にあった。 しかし、彼らにはそのような経験も訓練も受けていないようで、部屋に入った瞬間気が抜けたように緊張感がなくなっていた。 こんな兵士たちで本当に竜を取り戻すことが出来るか不安だ。 ディルフィニウムは荷物を降ろすと一度家主のいる居間に向かった。 家主はちょうどテーブルを用意していて、彼の奥さんがディルフィニウムたちの分の食事を作っているようだった。 そして、その奥には小さな子供が一人いた。 その少年はディルフィニウムに気が付き、無邪気な笑顔で近づいてきた。 「お兄ちゃんたちは旅人なの?」 「そうだよ。僕たちは竜を探して旅をしているんだ」 彼はその少年に優しく答えた。 家主はディルフィニウムの話を聞いて、不思議そうな顔をする。 「昔は竜を探す旅人もいたみたいですけどね。最近はめっきり竜なんて言う生き物は見なくなったので、皆絶滅したものだと思ってますよ。それでも探すんですか?」 「実は僕たち、空を飛んでいる竜をこの目で見たことがあるんですよ。ほら、竜はお金になるっていうでしょ? うまく捕まえられれば、一生遊んで暮らせるほどの収入を得られるとか」 なるほどと家主はやっと納得したように頷いた。 金儲けのためと言っておけば、大抵の人間は納得した。 「しかし、私らはここに長いこと暮らしていますが、竜なんて生き物、一度もみたことなんてありませんよ?」 ライラックが報告したことは本当のようだった。 この村の者は誰も竜の姿を見ていない。 仕方がない話かもしれない。 あれは夜で、王都では祭りをしていたからといって、この農村には関係のない話なのだから、わざわざ真夜中に誰も空など見上げてはいなかったのだろう。 すると少年がディルフィニウムの服をつかんで何か言いたそうな顔をした。 彼はしゃがみ少年に尋ねる。 「どうしたんだい?」 「僕、見たよ! 白いドラゴンでしょ?」 まさかこの幼い少年が目撃したとは思わず、ディルフィニウムは驚いてその場で固まってしまった。
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