婚姻届受け取り窓口はこちらです

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「先輩、私明日、お休みいただきます。  法事があるので」 「分かったよ。大丈夫」 クナには努めて優しく答えた。 この間、怒りを出してから、クナはなかなか頼ってこなくなった。 サボらず仕事に励むのはいいことだが、困った時にも頼らないのは心配でもある。 窓口に、1人の男性が現れた。 「私が行きます」 クナが応対する。 すぐそばで聞き耳を立てる。 自分でやれと言いながらも、下手なことを言って酷い状況になってから泣きつかれるのは嫌なのだ。 それが刷り込まれて、別件の対応までぎこちなくなられるのも。 挙句、仕事が嫌になって辞めるだの異動するだのという話になり、また窓口対応が自分1人に戻るのも。 この窓口は、やってくる妙な人をうまく捌く場所だと思われている。 “普通”の枠組みを壊す人たちを。 今窓口に来た人も、そう思われる典型的な外見をしていた。 猫背。 くたびれたシャツ。 忙しなく視線が動く。 周りを警戒しながら、早口にまくし立てる。 30代後半から40歳くらいだろうか。 いや、振る舞いにはそれらしい責任感や自制心が見えない。 くたびれた印象が老いて見せるだけで、もう少し実年齢は若いのかもしれない。 それか、年齢相応の振る舞いを身につけられずにここまできた大人か。 「む、無理ですかね…  カナデと結婚なんて…  一応調べて、通るかもと思って来たんですけど」 オドオドと言うその男性は、一応2番書式に書いてきたらしい。 「いやその、無理ではありませんよ。  いくつか確認をよろしいですか」 クナまでオドオドまごついている。 「えと、確認ですが、キザワ様というのが」 「私です、すみません」 謝る場面ではないはずだが。 「いえいえ…  それで、カナデ様というのは」 「この、キャラクターです」 スマホの待ち受けを見せている。 「だいぶ昔のゲームのキャラで、でも今でも人気がある程度はあって、アニメや小説にもなってます。カナデの名前で歌も出してて」 「なるほど、架空のキャラクターというわけですね」 「すみません…」 「いえいえ、あの、一応の確認なのですが、婚姻を結ぶのは“カナデ”様という概念ということでよろしいですか?」 「概念?」 「えと、すみません」 クナまで謝っている。 「説明が難しく…失礼かもしれないのですが、例えば役を演じる声優さんではなく」 「違います」 「人形、フィギュアのような一つの個体でもないということですよね」 「カナデのフィギュアは持っていますけど」 「その一体だけと結婚するとなると、例えばそのフィギュアの破損や紛失によって婚約解消となりますが」 「そういうことでは…」 「はい。  ゲームやアニメなどの様々なコンテンツの、カナデ様という概念と婚姻を結ばれるということですよね」 「そうです…」 クナは慣れてきたのか、少しだけ肩の力を抜き、声のトーンを落とす。 「その場合こちらの“概念”にチェックをお願い致します。  概念との婚姻では、重婚の禁止が適用外となります」 「重婚?」 「キザワ様が所有権を持たないため、他の人がカナデ様との婚姻を結ぶことを制限することはできないのです。  むしろ、他の人がすでにカナデ様との婚姻届を出している場合もあり得ます」 「それは大いにあり得ますね」 「それでも、この2番書式ならば、キザワ様との間の婚姻も受理されます。 つまりカナデ様の側は重婚という状態になるわけですが」 「…考えたこともなかったです。  それは別に気にしません」 所有欲じゃないのか。 クナの説明に、むしろスッキリした顔をしている。 「証人欄が空欄ですが、どなたでも構いませんから、証人としての署名をしていただきます」 急に、先ほどまでの焦燥が戻ってきたように方を縮めて忙しなく目を泳がせる。 「…実は家族には反対されます。  言えません」 「…証人はキザワ様の親族でなければいけないわけでもありませんので」 「早く結婚しろとうるさくて、もう嫌になったんです」 聞いちゃいないな。 「ニンゲンとの間で家族を作ることは、もう無理です。  頑張ったけれど、息が詰まって、疲れてしまって。  人を好きになるよりも、怖さが勝ってしまうんです。  自分の配偶者の欄を埋めてしまいたい。  誰にも干渉されたくないんです。  このキャラは私が初めて好きだと言う感情を自覚した相手です。  昔のことすぎて、当時の気持ちを思い出すことも難しいけれど、でも、これからも変わらず、ずっと好きだと思うんです。  彼女は自分と正反対の存在で、だからずっと励まされてきたんです」 カウンターの2番書式を取る。 「…証人、誰でもいいんですよね」 「はい。ご友人などでも」 「分かりました…」 クナとの会話にエネルギーを使い切ったようで焦燥は収まり、疲労による緩慢さを引きずって帰ってゆく。 「大丈夫だったでしょうか…」 クナはくるりと振り返る。 聞き耳を立てていたことなど分かっていたらしい。 「大丈夫でしょう」 「彼には本来、こんな手続き必要なかったように思うんです。  好きなものを好きと言って、好きなもののために生きるだけ。  何のために生きるのかを周りがどうこう言うから、こんなことになったんじゃないかって」 「生き物は本来、生きたいように生きてきて、その結果種族が続けば続き、続かなければ絶えるだけ」 クナは、ハッとしてこちらを見る。 「種を絶えさせまいと、愛に正と誤が生まれた。  誤を正たらしめんと正義が生まれ、どんな形の愛も認めさせた。  本来、認めるも認めないもない。  何を愛しても、愛さなくても、よかったはずなのに。  …AIの私が言えることじゃないけれど」 左手にはめた、婚約指輪に触れる。 「結婚って、何ですか」 「許しを得るということじゃない?  この人を愛していいですかって、周りに、社会に、あるいは世界に」 クナは、そう答える手元を見つめていた。 「先輩、その指輪って」 この窓口で、必死に愛の正誤を問い、正義を説く人に。 ここで言えるのは、ヒトが勝手に決めた付加価値の話だけ。 愛が何なのかなど、実は何も言っていないのだと。 私にも、役人にも、誰も触れることのできない。 答えずに笑った。 「先輩、私も、出したい届があるんです」 「明日の9時以降に窓口にお越しください」
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