俺はフェンサー

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中学3年の秋。健一はフェンシングクラブを辞めた。 もうすぐ高校受験だから、という言葉は、ものすごく真っ当な理由になってくれた。 サイズが小さくなるであろうユニフォーム一式、プロテクター、メタルジャケットはクラブの後輩に譲り、剣と剣ケースとマスクとグローブだけ、クローゼットの一番奥にしまいこんだ。 高校では、友だちに誘われてパソコン部に入り、それなりに楽しい時間を過ごした。 そう、それなりに充実した高校生活だった。 なのに、胸の奥に残るひとかけらの痛みのせいで どこか満たされない毎日でもあった。 俺は、後悔しているんだろうか? フェンシングを辞めたこと。 だいたい、なんで辞めるって、決めたんだっけ? そうだ、負けて悔しくない自分が、あれ以上厳しい競争の世界に身をおけないと思ったんだ。 勝ったら嬉しい。 でも、負けたら悔しい。 負け続けて、楽しかったはずのフェンシングが、楽しくなくなるのが、怖かったんだ。 ……ちょっと待て。 何かを楽しむって、勝ち負けだけで決まるのか? 下は幼児から、上は70代まで。 フェンシングクラブには、色んな人がいたけれど、みんな楽しそうだったじゃないか。 いっぱい練習して、上達していく喜び。 剣を交えることで、誰かと繋がれる喜び。 フェンシングをしてたからこそ、康太とも仲良くなれたんだっけ。 ……どうしてあの時、気づけなかったんだろう。 楽しいか楽しくないかを決めるのは、勝ち負けだけじゃないってこと。 何かにうちこんだ時間は、試合に負けたからって、なくなったりはしないこと。 ああ、そうか。 俺は、心の奥底でずっとずっと、思い続けていたのか。 もう一度、ピストの上に立ちたいって。
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