あなたと生きた証

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 あなたが居ないと生きてゆけない。そう思う程度には、あなたを想い求め生きてきた。  若い頃からずっと変わらず、傍から見ればただのバカップルだっただろう。今思い返すと馬鹿で恥ずかしい思い出ばかり。  それでも、私達にはそれが普通で幸せだった。  それがある日突然、何の予兆もなく、とても静かに目の前で歩みを止める。  病院から帰ったあなたは、余命宣告をされたと私に言い放った。そして、『嫌だ、信じない』と泣き喚く私を、力一杯抱き締めてくれた。  気持ちが少し落ち着いた頃、主人にあるお願いをした。 「ねぇ、ピアスの穴、空けてくれないかしら?」 「俺が? 今?」 「そう。あなたが、今」  私は、何十年かぶりに購入したピアッサーを取りだし主人へ手渡した。  七十を過ぎた婆さんが、今更何を考えているんだ。そんな事を思っているのでしょうね。 「なんでこの歳になって。それもこんな時に····」 「こんな時だから、ね」 「ん?」 「一生残るもので、ずっと身近に感じられるから。まぁ、一生って言っても、そんなに長くはないでしょうけどね」  主人はその言葉の意味を汲み、珍しく涙を浮かべた。 「い、いくぞ。本当にやるぞ?」 「はい、どうぞ」  主人の手は少し震えていて、正直私も怖かった。けれど、空けなければ後悔するのは目に見えていたので、固く目を瞑りぐっと(こら)えた。  カシャンッ  静かに響いた無機質な音。直後に漏れる、主人の魂まで抜けてしまいそうな溜め息。氷で麻痺させた耳朶は何も感じなかったが、確かに私の身体には穴が空いた。  主人は、何度大丈夫だと言っても心配そうにしていた。そして、優しく丁寧に消毒してくれるのが、主人の新しい日課になった。  数日後、主人からピアスを贈ってもらった。六十年程一緒に居るが、ピアスを貰ったのはこの一回きりだった。  ピンクパールを誂えた、可愛らしいピアス。それはジャラジャラしていて、若い子が好みそうだけど品もあって、まさに私好みのデザイン。それでも、私には派手すぎるように思えた。 「お前、ピンクの真珠が好きって言ってたろ。それに、若い頃はずっとジャラジャラした邪魔そうなのを着けてたじゃないか」  そうだった。子供が生まれてからは控えるようにしていたが、それまでは、派手でいかにも邪魔そうなものばかり好んでつけていた。 「懐かしいわね」 「俺は····そういうのを着けてるお前が好きだったぞ」 「まぁ。でも····年甲斐もなくこんな派手なの、恥ずかしくない?」 「お前が好きなら何でも良いんだよ。堂々としてろ」 「そう? それじゃ、ちょっと着けてみようかしら」  洗面台の前に立ち早速着けてみる。最近はあまり着けていなかったから、昔のようにスムーズに通らない。  やっとの思いで通したが、しわくちゃになった今の私には、分不相応で似合わない。しかし、主人は照れた様子で、そっとピアスに触れて『似合うじゃないか』と言ってくれた。  熱くなった胸の高鳴りの正体。それは不整脈などではなく、久方ぶりに感じたトキメキだった。  歳をとってしわくちゃになって、恋なんてどこかに置いてきたと思っていた。けれど、ちゃんと私の心の中に仕舞ってあったのだと気づいた瞬間だった。  主人はさっさと見切りをつけ、去年、短い闘病生活を終え逝ってしまった。覚悟はしていたが、遺されてしまうのはやはり耐え難い。後を追うことさえ考えた。  そんな時には決まって、主人が遺してくれた跡に触れる。そこだけが妙に温かくて、主人の手の温もりを思い出す。  私も早く、そちらに呼んでね。こんな事を言うと怒られるのだろうけど、そう思わずにはいられない。
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