プランB②

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プランB②

 時刻は夜八時を過ぎた。  ケヤキ並木に囲まれた片側二車線の大通りは信号待ちの車列が連なり、駅前の歩道も人が溢れている。  鮎川は周囲を見回し、もう一度いま出てきたビルを見上げた。 「秀一と、連絡ついたの?」 「ハルのスマホからだけど、秀一からメッセージが来た」と多聞。「……連絡出来ないけど、みんな無事だ、って……」 「声は聞いてないの? ハルは?」  鮎川が訊くと、多聞は困った顔で小さく首を振った。 「——石黒さんは、未央と秀一を保護するために来たんだ。話を聞いてもらった方がいいよ」 「都筑さんの居所がわかって、秀ちゃんに教えたら全部話す」  鮎川はスマホを取り出した。  未央を説得している時間はない。 「君と秀一は、殺人事件の重要参考人だ。秀一が狙われたんだとしたら君も危ないんだよ。もう動かない方がいい。警察に助けてもらおう」 「アユ! お願い!」未央がベソをかいた。「約束を破ったら、もう秀ちゃんと二度と会えない気がする!」  小学生にしか見えない小柄で童顔の未央が、二人の男子高校生に囲まれて泣き顔になっている。  通行人の邪魔にならないように、ビルとビルの合間の狭い路地に立っているが、横目でこちらを見ながら人々が通り過ぎていくのが、鮎川の目に入った。  この街は文教地区として名が通っている。  大通りの先には大学があり、そこの付属幼稚園、小学校を出た鮎川にとってこの辺りは馴染が深かった。  ——僕は、なんてバカなんだ……。  懇願する未央を無視して、鮎川は電話をかけた。 「——あっちゃん、石黒さんと代わって」  鮎川が言った途端、未央がその場から走り去った。 「こっちは、任せろ!」  多聞が未央を追う。  絶対に自分が追いつけない速さで。  スマホを手にしたまま鮎川は、多聞が消えた方をぼんやり見つめた。 『アユ? 石黒さんは、ドリンク取りに行ってるよ。そっちはどうなった』  五階のファミレスにまた入ったようで、篤人の声は低く小さい。 「石黒さんに、そのビルの二階を調べてもらいたいんだ」 『なにかあった?』 「秀一たちと連絡がつかない……捕まったらしいんだけど、もしかしたら、まだそのビルにいるのかもしれない——」  未央と多聞はエレベーターを三階で下りて、階段を使って五階に上がってきた。  二人は秀一たちがビルから出たのを見ていない。  それにこの人通りだ。  暴力事件が頻繁に起こる地域でもない。  制服姿の高校生三人を拉致しようとしたら大騒ぎになるだろう。   「秀一たちがエレベーターに乗る時、乗っている人がいたんだ。その人は下りないで、そのまま乗っていった……それに、もう一人妙な人がいたんだよ。その人階段から上がってきて、お店に入らないで、秀一たちとエレベーターに乗り込んで下りていった」  だが秀一が殺人事件の目撃者として襲われたのなら、なぜ未央は放っておかれたのだ?  何か他の理由があるのか? 『——まって、アユ! 石黒さんが来た!——石黒さん! アユが大事な話があるみたいなんです!』  篤人も慌てたのか、店内だというのにらしくない大声を出す。 「あっちゃん、僕もそっちにすぐ行く。いったん切るよ」  スマホを上着のポケットに入れるのとほぼ同時に、鮎川は後ろから肩を叩かれた。 「君、鮎川くん?」  振り返るとスポーツ刈りに色付き眼鏡。黒い革ジャン姿の男が立っていた。  鮎川には全く見覚えがない。 「高倉です。玲司の叔父です」  男は言いながら眼鏡を取った。 「——(つるぎ)さんですか……」  なるほど。  ケンさんとあだ名されるだけあって、かの銀幕スターによく似ている。 「怜司(れいじ)と待ち合わせしているんですが、連絡がつかないんですよ」 「……歩きながら話しませんか? すぐそこです」鮎川は篤人と石黒がいるビルに、高倉を案内した。  あのビルの二階に秀一、ハル、怜司の三人が囚われているのかもしれない——そう考えると気が急いた。  先ほど女たちの集団でごったがえしていた一階のエレベーターホールは、今は誰もおらず静まり返っていた。  鮎川は急ぎ足でエレベーターに向かい、ボタンに手をのばす。  だがその時、背後から高倉が訊いてきた。  「鮎川くんは、高森さんのダイイングメッセージの謎を解いたそうですね」  鮎川は凍りついた。  心臓が縮み上がる。  ——怜司は本当にそんなことまで叔父に教えたのか? 「高森さんは、死ぬ間際、何を伝えようとしていたんですか?」  ボタンを押しながら、吐きそうになった。  背中を嫌な汗が流れる。  ——この男は本当に怜司の叔父なのか?  エレベーターの扉が開いた。  鮎川が動けないでいると、高倉が先に乗り込む。 「何階ですか?」 「——五階です」鮎川は無理やり笑顔を作り、後ずさる。「僕、健康のために階段使うことにしていますから、先に行ってて下さい」  高倉がポカンと見つめてくるが、鮎川は踵を返し、階段に向かった。  ——そうだ。そもそもこの男が自分の顔を知っていること自体おかしいだろ。  階段を駆け上がる。  秀一が狙われたのは、あのメモを受け取ったせいなのか——。  未央たちが階段を使って戻ってきたのも、鮎川がダイイングメッセージの謎を解いたと、思い込んだからだった。  エレベーター内にいた犯人一味がそのことを聞きつけて、今度は自分に狙いをつけたのか?  脆弱な心臓が悲鳴をあげる。  息が苦しくてたまらない。  鮎川はその場にしゃがみ込み、篤人に電話をかけた。 『アユ? 今どこ? 石黒さんと待ってるよ』 「……あっちゃん、救急車呼んで……」 『どうしたの! 誰か、怪我してるの⁉』 「……僕、もう動けない——二階の階段にいる……」 『すぐ行く!』  心強い。  呼吸がラクになってきた。  ゆっくり身体を起こし、壁により掛かる。  上から階段を下りる足音が近づいてきた。  ホッとしながら足音を聞いていたら、突然背後の壁が動いた。  鮎川が壁だと思っていたそれは、鉄の防火戸だった。  防火戸は中からゆっくりと開く。  鮎川は床に膝をつきながら、その場から離れた。  防火戸がさらに開く。 「アユ! 大丈夫?」 「おい! 何があった!」  駆け下りてくる篤人と石黒の姿を、鮎川は四つん這いの姿勢で見上げた。 「助けてくれ!」  そう声を上げたのは鮎川ではなく、防火戸から出てきた手の持ち主だった。  その手は鮎川の足を掴んで離さなかった。
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