グルニエ①

1/1
前へ
/30ページ
次へ

グルニエ①

「およびでしょうか?」 『怨嗟の悪魔』は、秀一(しゅういち)の前で頭を垂れた。  物腰は丁寧だが、警戒されているのが伝わってくる。  無理もない、秀一の意思一つで消しされる下位の悪魔だ。   「ひとつめは、受け取ったか」  秀一が言うと、悪魔は「はい」とうなずいた。  ひとつめ——高森の魂は秀一が抜き取ったわけではない。何者かによって殺害されたのだが、とりあえず幸恵との約束は果たせた。 「残り三つの魂は、オレの代わりにおまえが抜き取って、運んでくれ。あの家にいる四人全員を元に戻せ」  悪魔は上目遣いにこちらを見ようとしたが、すぐにまた目を伏せた。  秀一の言葉の意味を考えあぐねいているようだ。 「オレは動けない。助けが来たら病院に運ばれて、しばらく入院だ」  エレベーターの中で突然背後から首を刺された。  ナイフは今も秀一の首を貫通している。  首を刺しても平然としている秀一に、相手は怯えながら別の刃物を取り出して何度も腹を刺し抉ってきた。   「恐れながら、申し上げます」悪魔は秀一の横に転がる二体の人間を見た。「人の姿でいるのがお好みでしたら、他にもございますでしょう」  秀一の横にはハルと怜司(れいじ)が無傷で静かに眠っていた。  目が覚めても、何も覚えていないだろう。  それでいい。  自分が刺されたのを見た時の二人の形相は思い出したくもない。  どれほど自分が慕われていたのかがよくわかった。  とくにハルから……。 「……オレは、この身体がいいんだ。この身体でいるオレは、仲間に好かれているし、頼りにされている」 「仲間ですか——」 「オレは、会計監査だ」  悪魔は納得いかないといった顔をした。 「貴方様が入られているその身体は、もう用をなさないと思われますが」  秀一の身体の血液はほとんどなくなっていた。  床の上に足を投げ出しながら右手で身体を支え、左手で腸がこぼれ落ちないように腹を抑えている。 「だから今、ここから出たらオレは二度とこの身体に戻れない」  手を離したら崩れ落ちる器の中に入っているようなものだ。   「——あの女が恨んでいる弘一ですが」  悪魔は部屋の隅で、うめいている人間にも目を向けた。  その者は身体を幾重にも捻じ曲げられ、絞られた雑巾のような身体でのたうち、うめいている。  片方の目玉は飛び出て、ひんまがったまま閉じることの出来ない口からは、よだれ混じりの血がたれていた。 「この世には、もういません」 「じゃあ、あの子は誰を呪ってるんだ?」 「弘一の子どもです。いわゆる『親の因果が子に報い』というやつです」 「……なんだ、それ?」  どこかで聞いたことがありそうな言葉だ。 「すみません。つまらないことを言いました」  秀一の不興を買ったと思ったのか、悪魔はすぐに低く頭を下げた。 「……子供が呪われてるってことか……何もしていない子供の魂を取るのはイヤだな……」 「この者の魂では如何でしょうか」  悪魔は床に転がる男を指した。 「出来るのか?」 「あの女は誰の魂かまで分かりません」  秀一はすぐに男の魂を抜き取った。  男の呻き声が止み、辺りは静かになる。 「ラクにしてあげられてよかった。急に刺されて、あんな風にしちゃったけど、どうしようか困ってたんだ。オレ、元に戻すこと出来ないし」  秀一は腹を抑えながらハルの近くににじり寄ると、ハルのズボンからスマホを抜き取った。 「何をなさるんです?」  悪魔は秀一に近づき、珍しそうに秀一の手元を覗いた。 「未央に連絡する。弘一さんの件は片がついたから、残りは都筑さんとバスの運転手さんだって教えないと」 「残りも、その辺にいる人間の魂で代用できます」  悪魔は部屋の隅で震えながら隠れている人間を指した。 「ダメだ。都筑さんも運転手さんも悪いことしたんだから、罪は償わせないと」  未央にメッセージを送り、秀一はスマホを閉じた。  すぐに電話の着信があったが、ナイフが刺さったままの喉からは声が出せないので、『ごめん。今は話せない』と再びメッセージを送る。 「おまえは未央やアユの後ろにくっついて、呪いを受けている男に会ったら、魂を抜き取ってくれ」 「私に人の魂を抜くことは、出来ません」 「オレの力をやる。ただし二人分、二回だけだ」  幸恵に力を授けた時も制限を加えればよかったと秀一は反省した。  こうなったのもすべて自分のせいだ。  浅はかな行いのせいで、仲間を危ない事に巻き込んでしまった。 「早く行けよ。時間がないんだ」  まだ立ち去ろうとしない悪魔に向かって秀一が言った。 「どうか私の立場を説明させて下さい」 「オレの命令がきけないのか」 「そうではありません——私は多くの人間の怨念に呼応し、あの家に棲み着きました。私が現れたことで、あの場所の磁場は暗く強いものとなり、人が負の感情に傾きやすくなっております。人間はよく『魔が差す』と言いますが、私が何らかの力を発揮するわけではありません。ただ私が存在する場所では往々にして、人は心の奥底に潜む自らの悪意に支配されやすくなるのです」  悪魔の話しは長い……。  秀一は元々——闇の奥深くに棲む存在だった時から——他者の話を聞くのが苦手だ。  独りで永くいすぎたせいかもしれない。  他者の言葉をきいているとたいてい集中力をかき、ぼんやりとしてくる。  あとは己の思惟に囚われる。    人の姿となり高校生になった今も、授業中はたいていそんな風だった。  いつも要点だけを聞きたい。  テストに出るのは、ここだけだとか——。 「私が近くにいることで、貴方様が仲間と仰っている人間の持って生まれた運命を、変えてしまうかもしれません。悪意を増幅させ、お仲間に危害を加える者が出てくるかもしれません」 「未央を守れ」  秀一は早口で言った。  時間がない。  篤人との約束の時間が迫っていた。 「悪人二人分の魂を持ってすぐに屋根裏に帰れ。あの家にいる四人をとっとと元に戻せ」 「わかりました」  悪魔は来た時と同じように丁寧に頭を下げて消えていった。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加