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 東京都八王子市と日野市に挟まれた市──神山市は人口十五万人ほどの小さな市である。新宿や池袋のような都会的な華やかさはないが、緑が多くのんびりとした雰囲気の住みやすい街だ。  その神山市の神山駅から徒歩五分の場所に純也の勤める職場、神山交番がある。交番の前の交差点を挟んだ向かい側には個人経営の診療所が、北側には幼稚園がある。そのため交番の付近はいつでも、子供たちのはしゃぐ声や、診療所の前で立ち話をする老人の声であふれている。  今朝、純也は小柄な老婆の手を引きながら神山交番に出勤した。  純也の先輩にあたる宮原巡査部長は椅子から立ち上がって、小さな目を瞬かせた。「おはよう伊崎…と、どちら様?」  淡い藤色のTシャツにグレーのズボン姿の老婆は宮原の質問に答えることはなく、ただニコニコと笑うばかりである。今日は三十度をこえる真夏日であるというのに、彼女は水筒を持っておらず、帽子すら被っていない。唯一持っているのは杖だけだ。  「おはようございます宮原さん。出勤途中に迷子の女性を見かけたのでお連れしました」純也は老婆をパイプ椅子に座らせてから、声を落として続けた。「おそらく認知症かと」  「身元がわかりそうなものは持っていないのか」  「ええっと…。あ、ありました」  彼女の持っていた杖の柄の部分に、家族の連絡先が書かれたシールが貼ってあった。  「連絡してみます」純也が受話器をとりあげる。  三コールほど鳴ったあとで電話がつながった。声の雰囲気からして中年の女性らしい。老婆を保護しているので神山交番まで迎えに来てほしい、という旨を伝えると女性は舌打ちをし、「放っておけばいいのに」と答えた。それきり電話は切れてしまった。  純也は乱暴に受話器を叩きつけた。  胃のあたりがムカムカした。失礼な態度を取られたことに関してはどうでもいい。ただあの女の、まるで自分の母親が見つかってほしくなかったかのような態度に腹が立ったのだ。  「伊崎。おばあちゃんがびっくりするだろ」宮原が書類から顔を上げずに注意する。純也が心無い人間の行為に腹を立てて不機嫌になるのは日常茶飯事なのだ。  「すみません」純也は老婆の前に座って、彼女にも詫びた。「ごめんね、おばあちゃん。びっくりしたね。もうすぐ娘さんが迎えに来てくれるから」  「気にしないで。洋介さんはいつも優しいから、たまには怒ってもいいのよ」老婆は微笑みを絶やさない。どうやら彼女は純也のことを洋介という男性と勘違いしているらしい。「そんなことより愛子は何時に帰ってくるのかしら」  「愛子さんってお婆ちゃんの娘さん?」純也が尋ねる。  「愛子ったらすごいのよ。小学校の頃に書いた作文が、市の作文コンクールで大賞をとったの。中学の頃はテストはいつも百点だったし、高校では生徒会長もやっていたのよ。それになにより、お母さん思いのとってもいい子なの」  「自慢の娘さんなんですね」純也が相槌をうつ。先ほどの電話対応からはちょっと想像できないが、彼女にもそういう一面があったらしい。  純也の相槌に気をよくした老婆は自慢の娘について長々と語り始めた。けれど老婆は話している途中で、自分が何を話して何を話していないのかを忘れてしまうので、彼女は壊れたレコードのように何度も何度も同じ話──愛子の小学生時代のエピソード──を、警官たちに繰り返し話して聞かせた。
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