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化粧室に行って、清潔に掃除の行き届いた手洗い場の前に立つ。お化粧崩れはしていない。完璧だ。紅だけをより濃い目に差しておこう。
有名ブランドのポーチを開き、沈んだ色の紅を取りだして小指の先でそっと唇に刷く。するとやや青みのかった顔色に実によく映えた。垂らした髪を整える。
私は高級ブランドのお化粧品をポーチにも自宅にも揃えてはいるが、お化粧に費やす時間は極めて短い。用意は素早くする必要がある。
そっとポーチの中から薬袋を取り出し、そでの下に入れた。器用な技を身につけたものだと思う。
手だけ洗って化粧室を出たところでアクシデントがあった。
目の前で、制服の着物を着た背の低い女性が私に目を留めた。
どこかで見覚えがある。
芙美子。
そう、あの、私を生徒たちの仲間に入れたがっていた芙美子だ。
今は明るい生活をしているのではないことは、すぐに見てとれた。高級なお店なのでよい生地を使っているものの、彼女に薄い紅色は似合わない。容姿がとりわけ良くないわけでもないが、この着物を着こなすには無理がある。
しかも割烹着をつけた腹がやけに出ているのだ。
私は彼女が芙美子であることを無視してそのまま教授の待つ個室に戻ろうとした。しかし彼女は声を出してしまったのだ。
「湯原さん?」
私は心の中で舌打ちをしたい気分だった。
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