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 あの出張以来、毎月最終金曜日に、2人で食事をして帰るようになった。  それ以上のことはなかった。けど彼は、仕事中の菜摘の頑張りをちゃんと見てくれていたし、 「いちばん好きなのは、君だ」  食事の時、いつもそう言ってくれた。  愛妻家で評判の彼。その奥さんは、絶世の美女……。  それだけに、彼の言葉に、菜摘は優越感すら感じていた。  初めは、それだけで十分満足だった。  しかし、欲というのは膨らむものだ。  現状に慣れてくると、今まで以上を求めるようになる。 「今月は、慶一さんの誕生日ですね」  11月に入って間もなく。  ランチの後、窓辺でたまたま2人になった時に、そう声をかけた。  11月の最終金曜日は、偶然にも彼のバースデーだった。  そこで菜摘は、ある企画を考えていた。  特別返し……静岡出張の時の。  まだ浩美が独身だった頃、お互いの誕生日を祝っていたフレンチレストランを、密かに予約していたのだ。  ところが、菜摘の言葉に、 「あぁ、そうそう。それなんだけど……」  彼はなぜか浮かない顔で口ごもった。  その表情に、「今月はちょっと特別なお店を予約してあるの」と言おうとしたのを躊躇する。  そんな菜摘を、すまなそうな目で見て、 「ごめん。今月はちょっと……」  軽く手を合わせた。 「えっ?ちょっとって?」 「悪い。次の週の金曜日でもいいかな……?」 「……」 (それじゃあ、意味ないですよ)  と言いかけて飲み込む。それはそうだ。奥さんがいるんだから……。 「あぁ、そうですよね。わかりました。じゃ、1週間遅れで」  作り笑顔で応える。 「ごめんね」 「いいですよ、全然……」  軽く強がりつつ、「じゃ」とお辞儀をして、窓辺の彼の下を離れながら、妻への嫉妬を感じていた。  迎えた彼の誕生日。  彼は定時で退社していった。  いつもなら、一緒に食事をする金曜日。だけど、今日は別々。  終わっていない仕事に1時間ほどかけ、一人会社を出た。  イチョウ並木の通りを、ぶらぶらと歩く。  予約を変更したレストランの前を通りかかる。 (本当だったら、今夜はここで……)  そう思いながら、ガラス張りの窓辺の席に、何気なく視線を送った時だった。 「あっ!」  思わず声が出た。  楽しげに食事をしているカップルの姿。 (慶一さん!)  向かいの席には……。 (山本周子さん!)  今は慶一の妻。あの頃の面影を残す彼女は、変わらず綺麗な上に、大人の雰囲気を漂わせていた。  たまらず目を逸らし、足早にそこを去った。  速足になる菜摘の胸の中が、敗北感にみるみる支配されていく。  もちろんそれは、自分勝手なことだとわかっていたけれど……。  家に帰ると、2階の自分の部屋に直行し、ベッドにダイブした。 「あれ、菜摘?今日は外食じゃなかったの?」  階下から、母親の呑気な声が聞こえたが、無視した。  勢いのまま、スマホを取り出し、翌週のレストランの予約を取り消した。
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