【六月三日(木)】

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 ウォーキングロードを挟み、高木類で陽射しをさえぎられることのない芝生サイドと楠サイドは、“陽と陰”―――そんな感じをいつもアキは受けていた。  唸り声を聞かせ続ける彼が素直に出てくるとは思えなかったが、 「カラシー」  一声かけ、その“陰”に一歩を踏み入れたとき―――、  うっ……!。  アキの鼻孔を異臭が衝いた。  咄嗟に鼻を押さえた。  異臭の種類はすぐさま察知できた。―――腐臭。  アキは素早く、眼前に入る景色すべてに目を走らせた。  ほとんどが陰に支配されているこっちサイド。その(うち)に見えるのは、落ちた葉と枝、その隙間に覗く土……それだけ。腐敗を見せる何物も、見あたらない。  であれば悪臭のもとは……。  ゆきたくはない。だが、ひとりでにカラシが戻ってくる確率も、まずない。  アキは重い足を仕方なく、一歩、二歩―――。  そっと鼻から手を離す。  臭気はそれだけで一段と増した。  すぐに覆う手を戻す。  小屋の裏、間違いない。  カラシはそれに引かれたのか……。  なんでこんな臭いに……。  動物の死骸。―――それしか思いあたらなかった。  こんな気持ちのいい日に、なんだっていうのよ。  恨み言を生んだアキの頭は、すぐに、  猫、野鳥、ねずみ……。  発生源をめぐらした。  でも、それほどのものが、これほどの悪臭を放つものかしら……。  すると、その思考が無意識に、 「まさか」  の言葉を頭の芯に突きつけた。  えっ……そんな、まさか。まさかよ!  アキは胸中で強く(かぶり)をふった。  とにかく引っ張りださなきゃ!  強引に気持ちを切り替え、押さえた鼻で、アキはリードへと進んだ。  落ち葉の中の持ち手をつかもうとしたときだった。 “ワァン! ワァン!”  咆哮で、リードは儚くも、アキの視界から逃げた。  と、小屋の裏で、 “バサバサバサ!”  激しい羽音と、 “キィェー!”  という奇声の多重。  烏が集まっているのは間違いなかった。 「ちょっとやめてよ~」  大きく出していた声には、もはや哀願しかなかった。  小屋の側面から窺う、そう狭いスペースではなさそうな裏手が、覆う枝葉と球場の壁面によって、より濃い陰に包まれているのは明らかだった。  闇といってもいい空間を目の前にしたアキが、しばし躊躇の間を持ったのは当然のことだった。
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