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────「東城さん、目標達成おめでとうー!」
株式会社ゼノンアート。広告代理店の企業だ。
そこで私は営業として新卒入社して、もう八年ほどになる。
それなりに経験も実績も積み、大きな仕事も任せてもらえるようになって、結果が出てきた頃。
つまり今が一番楽しい時期だ。
「さすが東城さん、絶好調ですね」
そう言って私のグラスにビールを注いでくれる後輩の真鍋ちゃん。
彼女は勝ち気な私とは違って、淑やかで優しい、この部署のムードメーカーのような人だ。
「ありがとう、真鍋ちゃん」
「今日はたくさん飲みましょう! 東城さんのお祝いも兼ねてなんですから。きっと年末のMVPも東城さんで決まりですよ」
定期的に催される営業部の飲み会。
お酒は大好きだし、仕事中はできないディープな会話もできるから、会社の飲み会は嫌いじゃないんだけど。
「東城さん、隣いいですか?」
強引に隣に座った森岡光晴。
彼のせいで、最近は心から飲みの席が楽しめなくなってきた。
「東城さんの成績、さすがですね」
麗しく微笑んで、周囲の女性達は皆彼に釘付けになっている。
私より三つ年下の27歳、今年になって中途採用で入社した男性社員だ。
人気俳優のような爽やかで端整な顔立ちと、早くもエースとして期待されている優秀な仕事ぶりで、瞬く間に営業部のアイドルとなった。
私は密かに彼のことをライバル視している。
今月に発表される年末のMVP、絶対に譲れない。
「東城さんは、仕事もできるし綺麗だし、非の打ち所がないですね。憧れるなぁ」
森岡くんのうっとりとした眼差しにギクリとする。
「今度食事でもどうですか?」
一番厄介なのは、彼が私に色目を使ってくることだ。
周囲の女子達が一気に冷ややかな視線を向けるので、背筋の辺りにすっと寒気を感じる。
「東城さんの下の名前って、確か“さくら”ですよね? ぴったりだなぁ。和風美人っていうか」
引きつった顔で苦笑する。
もうやめてくれ。
彼のファンの女性達にやっかまれたら、色々と面倒だ。
それに、いくらアプローチされてもそんな気にはなれない。
四年前に恋人と別れてから、もう恋愛には興味をなくし、仕事一本に腹を括っている。
今更そういうの、面倒くさい。
「あれ、三神部長、居ませんね」
「トイレじゃない?」
真鍋ちゃんがさり気なく話を変えてくれて助かった。
彼女が言うとおり、部長の姿がない。
「ね、部長の噂聞いちゃった」
「噂?」
周りの人達が口々に部長の話を始める。
「部長、バツイチって言ってたじゃん。奥さんの浮気が原因らしいよ」
「うそー。部長可哀想ー。あんな良い人なのに」
「だから浮気されるんだよ。優しすぎるもん。ナメられるんだよ」
飲むのは好きだけど、こういう噂話は苦手だ。
本人の居ないところでこんな話をするなんて。
「ちょっと、そういう話は、」
────「いやー。トイレ混んでましたよ」
ニコニコしながら部長が戻ってきた。
三神真澄部長。
36歳という若さで管理職を任されるほど仕事のできる人だけど、本人はそんな雰囲気を一切出さない。
糸目というんだろうか、切れ長の目をいつも細めて優しい笑みを浮かべ、私達を一度も叱責したことがない。
とてつもなく温厚で、人畜無害な上司と呼ばれている。
部長の隣の席が空いたのに気づいて、森岡くんから逃げる為にも一目散に部長の元へ近づいた。
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