1

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

1

 木枯らしが吹き抜けた。  会社への道中、商業ビルの壁面に設置されたモニターに私の目は吸い寄せられていった。行き交う車の喧騒や、足早に歩く会社員の足音の中でも、そのニュースキャスターが読む声ははっきりと耳に届いた。 「昨日、A※※県のB※※中学校の男子生徒が同校屋上より飛び降り自殺を図りました。かけつけた教員の通報により、すぐに病院に運ばれましたが、搬送後間もなく息を引き取ったとのことです。警察はいじめの可能性も含め調査を進めるとの方針です」  悲痛なその一報に会社に向かう足は僅かに速度を緩め、顔は自然と下を向いてしまう。  35歳。結婚はしておらず子供もいない。長年連れ添った恋人とは3年前に別れて、以降交際した男性もいない。それでも私は、自分の今の生活に満足していた。さらに言えば仕事や趣味にやりがいを感じて過ごすことが出来ている。私は幸福な生活を送れているのだろう。逆にこうも思う。こういう大人になれてよかったと。  今までも、決して不幸だったというわけじゃない。過酷な幼少期を過ごしたわけでもないし、ひどいいじめにあった経験もない。けれども生きていなくてもいいと、そう思っていた時期が私にはあった。年頃の私は、不幸ではなくても、自分が生きる意味を見いだせない、漫然とした無気力感を抱えていた。今にして思えば一種の思春期だと分かるが、あの頃は、それに本当に悩んでいたのだ。    記憶は中学時代へと遡る。私は学校があまり好きではなかった。学校という環境に馴染むことが、当時の私には難しく、皆と同じように振舞えない自分が嫌いだった。運動は苦手で、成績は良くも悪くもない。容姿に自信のなかった私は前髪を伸ばし、あまり人とは目を合わせないで過ごしていた。平凡以下、私は自らにそういうレッテルを貼っていたし、おそらくそれは他人も認めるところだったと思う。過剰に芽生えていた自意識が、ひどい劣等感を自身に与えていた。かといって何かを変えられるほどの気概も、私は持ち合わせていなかったのである。  性格が暗く、活発な方ではなかった私は、クラスでもあまり目立たない存在だった。クラスメイトはおろか、担任の先生ともほとんど話した記憶がない。必然、友達も少なく、唯一と言っていい友達は、同じクラスの、私と同じようにクラスで目立たない子だった。私は中学生ながらに、そんな自分の価値と立ち位置を正しく認識していたと思うし、自分にも周囲にも期待をしないひねた学生だった。これも思春期の一つの形だったのだろうと、今は思う。  そんな私がいるクラスは、しかしどうして、稀に見るほどの明るく結束力のあるクラスだった。もちろん、私はその環の中にあっても、石ころのような、ただいるだけの存在だったわけだが。けれど、彼らが私にそれを押し付けるような、あるいは逆に手を取り走り出そうとするような人たちじゃなかったことが、当時の私にとっては救いだった。  中学を卒業する日、私達のクラスはタイムカプセルを埋めることにした。誰が言い出したのかは覚えていないが、何が嬉しくてこんなことを、と思ったのは覚えている。10年後の自分に向けた手紙を書き、私達は校庭へ埋めた。  10年後の自分、25歳の私を思い出す。  開封式の案内は来ていた。けれど私がタイムカプセルを開けることはなかった。仕事の忙しい時期と重なったことを自分への言い訳にして、参加を見送った。そもそもタイムカプセルの中身を見る必要などなかった。私は10年後の私に向かって何を書いたか、はっきりと覚えていたから。  それからさらに10年経ち、今、私は35歳になっている。紐づいて思い出されるのは、先週かかってきた母からの電話だ。2ヶ月に一度ほど母は私に電話をくれる。未だに独り身である私の身を案じてのことだと思うが、最近の様子などを聞いてきてくれる。そうそう、そういえばと母が切り出したのは、私の母校の閉校の話だった。今年度を持って、つまりはあと4ヶ月と経たずして、私のかつての学び舎は閉校するのだという。  私が在学していたときも、他校に比べて生徒数の多い学校とは言えなかったが、まさか閉校するとは……。20年という歳月がもたらしたものに驚くとともに、一言で寂しいとは形容しがたい感情が私の心を締め付けた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!