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 17時の定時から30分ほどでタイムカードを切った。12月ともなると、この時間でも外はもうすでに夜の様相を成している。吹き付ける風は、オフィスで暖められた顔に冷気を運び、それとともに運び込まれた冬の香りは、私の鼻腔をくすぐった。  会社を出た時には、ずっとあたっていた暖房のためか、体は程よく温まっていたが、家につく頃にはすっかり冷え切ってしまった。ポストの中身をそそくさと回収し、マンションのオートロックを抜けると、エレベーターの上向きのボタンを押し、到着を待つ。待ってる間、自然と視線はその手に掴まれた、チラシや封筒に向けられる。その中に一つ、手書きの丁寧な字で宛名が綴られた、一通の便箋が目に止まった。差出人のところには、「藤沢 薫」という名前が書かれていた。    「お久しぶりです」から始まったそれは、中学3年生のときの担任の先生からのものだった。  到着を知らせる音も虚しく、開いたエレベーターは誰も乗せることなくその扉を閉じた。私は、エレベーターに乗り込むことも忘れて、一心に藤沢先生からの手紙を読んでいた。  最近出したこたつで身を温めながら、藤沢先生からの手紙を改めて見ていた。驚きはしたものの、私の心は存外早く冷静になり、落ち着いた心持ちで手紙を読むことが出来た。きっと、母から電話で閉校の話を聞いてなければもっと驚いたであろうし、藤沢先生からの手紙も、やはりというか、それに関係した内容であった。  お久しぶりです。突然の手紙で驚かれていることと思います。あなたが卒業してからもう20年になりますね。いかがお過ごしでしょうか。  20年前というと、当時私は28歳、いくぶん若い教師ではありましたが、生徒であるあなた達には自分たちとはまるで違う、大人の人間に見えていたのでしょうね。こうして手紙を書いていると、懐かしい記憶が蘇ります。残念ながら、学校は変わってしまっていますが、今でも私は中学校教師を務めています。  さて、いかがお過ごしでしょうかと書かせてもらいましたが、実は現在あなたがどのような生活をしておられるか、少し聞き知っております。先日町中で偶然あなたのお母様とお会いし、少しお話をしたのです。その時にあなたの近況を少々お聞きしました。私がこの手紙を書こうと思いたったのも、同じくその時でした。  お母様からお聞きしていると思いますが、わが校(あえてわが校という言葉を使わせてもらいます)は今年度をもって閉校してしまいます。私がそのことを初めて知った時、一番に頭に浮かんだのはあなた達のクラスのことでした。それだけあなた達のクラスが印象的だったのでしょう。教師としてクラスに優劣をつけるつもりはありませんが、後にも先にも、あなた達以上に仲の良いクラスはいませんでしたから。  あなたの近況を聞いた時、成長したあなたの姿を想像し、堪らなく嬉しくなりました。同時に、また会いたいと思いました。とりわけ、あの時会えなかったあなた達に、閉校になってしまう前に、会って渡しておきたいものがあるという思いが芽生えました。タイムカプセルを覚えていますか。この手紙はあなたを含めた、10年前の開封式に参加できなかった方達に向けて書いています。あなた達のタイムカプセルは封を切らずに私が保管してあります。  改めて開封式を行いませんか。元旦の正午に校庭のタイムカプセルを埋めた場所でお待ちしております。その後昼食も兼ねて、昔話に花を咲かせましょう。  手紙はそこで終わった。当時の綺麗で凛とした姿の先生が思い起こされる。20年経った今でもきっと変わらず綺麗であろうと思う。また、私のことを覚えているという事実に驚き(私が先生だったら一年も経てば私のことなど忘れてしまう)、嬉しかった。  今年は26日までが勤務で、27日から会社も休みに入る。実家には29日に帰って、年明け2日までいるつもりだった。数少ない地元の友達もいるが、特に会う予定もたっていないので、元々は年末年始ともに家族と過ごすつもりであった。けれども、手紙を読み終えたその時には、行こうと決めていた。10年前は仕事を言い訳に参加しなかったが、今は迷う余地なく行くことを決めていた。それが、この10年の私の変化のためなのか、先生からの手紙の影響なのか、閉校してゆく母校への寂しさからなのか、あるいはその全てなのかわからないが、そこに迷いはなかった。  実家には新幹線と在来線を乗り継いで帰る。三重県の山奥にある私の実家は、駅からも30分ほど歩かないとたどり着けない場所にある。普段は歩いて帰ることが多かったが、今日は母が迎えに来てくれることになっていた。駅を出たところに母の姿が見え、私は軽く手を振った。 「助かるよ。この寒空の中、この荷物を抱えて帰るのはさすがに気が滅入るからね」  私は抱えていたボストンバックを母に見せる。 「今時そんな鞄で移動してる人いないのよ。あなたもスーツケース買えば?歩くのだってずっと楽になるわよ」  私は母の車に乗り込みながら答える。 「家に帰る時ぐらいしか、着替え持って出かけることがないからね。今更買う気も起きなくて。お父さんは?」 「お父さんは家にいるわよ。帰りに買い物して帰るから付き合ってちょうだいね」  母はゆるやかに車を発進させた。駅前の街路樹沿いに車は進んでいく。東京よりはほんの少しだけ暖かいだろうか。空には雲がいくつか、東から西へゆっくりと移動している。車内に差し込む日の光に目を細めながら、風で巻き上げられる落ち葉を見ていた。いつもの会話、いつもの母の様子に安心する。変わらない地元の風景に気が緩んでいくのを自覚していた。そんな中でも、心の片隅には元旦の開封式のことが常にあった。 「お母さん、元旦少し用事があるから出かけるね」 「そう」と母は一言だけ返した。
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