一話 息子のわがまま

1/1
63人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

一話 息子のわがまま

新米の整形外科医だった俺は、 当時職場に勤めていた看護師の女性と恋に落ち、26歳の頃にスピード結婚をした。 お互いに職場でも、家庭でも支え合える良きパートナーだったのだが、 結婚して僅か1年と5ヶ月後… 長男である息子の梨玖(りく)が生まれて7ヶ月後に……。 妻は、肺炎で此の世を去った。 医者として妻を救えなかったこと、 まだ幼い息子が母親を失ったこと…。 心を病んだ俺は、ある日突然… 朝目が覚めると周りの音が聴こえ辛くなっていた。 突発性難聴と呼ばれるものだ。 原因不明、20代から30代にも多く発症し、 ストレスでなる場合もある。 けれど大半は治る為に、俺も直ぐに治るだろうと治療をしながら過ごしていたのだが、 患者の声を聴く必要のある医師としては支障をきたすほどに、声はとても聴こえ辛く、 時間が経過する程に治る見込みが薄れていった。 息子の泣く声すら、何処か遠くに聴こえてた程に、仕事が上手く出来なくなり… 整形外科医としての道を閉ざさるを得なくなったんだ。 新たにあん摩マッサージ指圧師養成コースに進学し3年間勉強した後、 国家資格でもあるあん摩マッサージ指圧を習得して、新しい自宅で開業を始めた。 元々医師だった事もあり、固定客は多く 其のおかげもあって年収900万程は稼げていた。 常日ごろから家に居る事で、息子の世話もしやすくなり、 息子の成長を見守るようなお客も居るからこそ、のんびりと仕事が出来ている。 マッサージ師となって早3年。 小学1年生になっている息子は、近くの小学校に徒歩で通い始めたのだが、 家に帰っても俺は19時迄仕事。 その間、息子は一人で家の中で過ごしたり 少し離れた場所に住んでる友達と遊ぶしか、暇を潰せない。 こんな時に兄弟がいればいいが…と思うが、 息子の世話を優先し、尚且つ伴侶を二度と失いたくは無いから恋愛に奥手になり、他の女性と付き合う気も無い。 寧ろ、子育ての大変さをよく理解してるから ずっと梨玖だけでいいと思ってる。 その結果、息子に兄弟を与えてやる事は現実的でもなく、叶わないんだ。 「 今日、いぬづかあれっくくんの家で、イッヌさんみた! 」 「 あぁ、アレックくんはわんこを飼っていたね 」 俺がシングルファザーで忙しい事を知っている、同じくシングルファザーの犬塚(いぬづか)さん宅の長男くんであるボリスくんは、 学校帰りに梨玖が自宅へと寄ると、帰る時間頃に此処まで車で送ってくれるんだ。 最初は迎えに行っていたのだが、それだと19時を過ぎてしまうから、 インストラクターをしてるボリスくんが仕事終わりのタイミングに合わせて、17時頃に連れてきてくれる。 梨玖とアレックくんは仲がいいから、本当に感謝してる。 夕食を一緒に食べながら聞いていれば、息子は口の周りにケチャップを付けた顔を上げた。 「 そう!おっきな、イッヌさん!お名前はー……そう、るなちゃん! 」 補聴器を着けてるとは言えど、俺が聞こえてなくてもいいように考えながら手話をしてくれて、一生懸命に言葉と共に伝えようとしてくれる息子が、それだけで愛おしい。 手元にあったウエットティッシュを取り、手を伸ばして口元を拭いてやれば、 息子は嬉しそうに笑ってから、亡き妻によく似た琥珀色の瞳を輝かせて話を続ける。 「 ふふ、るなちゃん!まっしろで、ふわふわで……ぼくも、イッヌさんほしい! 」 「 へぇそうか…ふわふわ……。欲しい???犬さんが?? 」 聞き捨てならない言葉に、右手の親指と人差し指をひらいてアゴの下に当て、指を閉じながら下に下げた後、 両手の親指を顳顬に付けて、指の4関節部分を曲げて数回耳の形をすれば、同じようにスプーンを置いてまで同じように手話を返してきた。 「 うん!イッヌさん! 」 そんなキラキラした目で見なくても……。 少し心が痛いが、胸の前で両手をクロスしてバツをする。 「 ダメだよ。パパが世話できないから 」 「 むぅー!ぼくが、おせわする! 」 「 すぐに飽きてしなくなるさ。ゲームやオモチャだって飽きてポイッしてるじゃないか 」 「 おもちゃ、と…ちがうもん…… 」 一度手話が始まると、食事を止めてしまうが… それでも話が終われば、 梨玖は頬を膨らませながらスプーンを持ち直し、オムライスを食べ始める。 そんな息子を見ては、眉が下がる。 「( 俺がもう少し、時間に余裕あればいいんだがな… )」 色々と余裕があれば、年収的に中•小型犬ぐらいなら飼えるだろうが…。 それが全く無いのだから申し訳ない。 俯いた息子が気付くように、テーブルを数回爪でノックすると、そっと顔を上げてくるのに合わせて手話と言葉を発する。 「 ごめんね、梨玖くん。犬さんはダメだけど、新しい玩具を買ってあげるから許してくれる?アレックくんと一緒に遊べるようなやつにしよう 」 「 む……いらない……。ぼく、イッヌさんがいい… 」 「 梨玖…… 」 生き物が好きなことは知っている。 小さい頃から、特に犬には興味津々で散歩中の犬に怖がりもせずに近づいたり、犬塚さん宅に偶に来る大きな狼犬達と遊んでたり、 それこそアレックくんと一緒に過ごしたいのも、自宅に犬が居るからなんだろう。 触れ合うなら、そこで満足してくれないかな…と思うのだが…。 一人っ子として甘やかせて育てた為に、 少し我儘が入ってる事を自覚してるから、心の中で溜息を付く。 「( 自我が強くなると…大変だな…… )」 シングルファザーとして小学1年生みたいな俺にとって、子供の日々の変化に着いて行けないと思う。 けれど、これで簡単に頷いたら… 父親として負けだから許してほしい。 静かな食事を終え、食器を片付けてから、 息子と一緒にお風呂に入ろうとする。 「 さて…梨玖、パパとお風呂に入ろうか? 」 「 ぼく、ひとりで…はいれる!さっき、おふろあらったもん! 」 「 え……そうなのか、ありがとう。一人で大丈夫? 」 「 だいじょーぶ!! 」 本当に、本当……大丈夫なのだろうかと不安になるが… 梨玖は言わなくとも宿題を終えてから、風呂に向かって、少しもたつきながらも服を脱いでは全てをカゴに入れて入った。 「 え、もう…自立?そんなことないだろ??パパ悲しくなるよ?? 」 流石に、まだ世話が妬きたいからそれはないだろうって思って、こそっと風呂場のガラス越しに見ていれば、ちゃんとボディーソープを使って身体を洗っていた。 お尻や背中までは上手く出来てるようには見えないけど、それでも頭まで洗い終えた後に湯船に浸かって30秒数えてから、上がって来た。 「 できた!!あがったー! 」 「 拭こうか? 」 「 だいじよーぶ!ぼく、できるもん! 」 すっぽんぽんのまま自慢気にタオルを出して、身体を拭いたり順番は色々可笑しいが頭を拭いたりした後に寝間着に着替えた。 「 できた! 」 「 そうだな。良くできました。でも、耳の中を拭こうね。後はボタンも閉め直してあげる 」 「 ぅー!なんてん? 」 「 んー…85点かな 」 拭けてない耳をタオルで軽く拭きながら見上げてきた息子に笑って答えると、同じように笑顔を向ける。 「 じゃーひゃくてんまんてん、はなまるになったら…イッヌさん…かって! 」 「 うっ…( そう来たか…。ずる賢いな…ウチの息子… )分かった。100点花丸になったら犬さんを飼おうか 」 世話が出来る事を証明するために、まずは自分の事が出来るように…と思ったんだろう。 流石…俺が、余り手を貸せないだけ… 成長が早く賢いなって思った。 「 んん……イッヌさん……かって、もらう… 」 「 おやすみ、梨玖。愛してるよ… 」 少しよれた白い犬のぬいぐるみを抱き締めて、ベッドに入った息子の額へと口付けを落としては、眠りにつくまで眺めた後にそっと離れる。 「 犬か…血統書付きの小型犬がいいだろうな。でも…子供が抱き締めて死なないだろうか…ん…調べるか 」 これは、クリスマスのプレゼントが犬関連の物になりそうだな…と何気無く思い リビングに戻ってから、仕事の売上や予約を確認した後に犬について調べることにした。
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!