【Day4】リリーフフェロモン

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「ああ……」と彼が目を見開いた。そして破顔する。「そんなことか。もちろんいいよ」  莉央がベッドの端にずれると、橘は当然のように隣に上がって、莉央に腕枕をするように長い腕を首の下に入れてきた。その様子が恋人にするみたいに自然で、莉央の胸がギュッと締め付けられる。 (こいつの恋人が羨ましいなんて、思ったりしない)  相手を意識していることを認めたくなくて、莉央はさもなんとも思っていないようにツンと澄ましてみせた。  アルファの威嚇フェロモンに当てられて乱れまくっていた莉央の神経は、橘の包み込むようなフェロモンでだんだん落ち着いてくる。 (すげえ。森林の中の露天風呂にでも入ってるみたい……)  無表情でいたつもりが、いつのまにか口元がほころんでいたらしい。橘に「気持ちよさそうだな」と言われてハッとする。 「なあ、莉央。俺たち運命だろ。波長が合う俺がこうするのが一番いいよな?」 「――まあな」  やはり橘も自分たちが運命の相手だとわかっているのだ。  わかっていて、高校時代に自分を選ばなかったアルファ――。そもそも自分から逃げたのだから橘のことを恨んでいるわけじゃないし、あいつには恋人がいたから当然でもある。だけど、自分は運命の相手にすら見放されたのだという気持ちは莉央の中でずっとくすぶっていた。 「じゃあ俺を選べよ。つがいになれば、ゲームなんて関係なく守ってやれる」 「は? どうしてそこまで話が飛躍するかな」 (やっぱりこいつも、ゲームで勝ちたいだけか――) 「もう大丈夫、ありがとな」  莉央は彼の腕から頭を外した。 「飛躍なんてしてない。聞けよ。滝川社長はこんな状況でもゲームを続けるつもりだ」 「だからなんだよ?」 「今は人が死んだばかりでごたついてるが、皆が本気でゲームをし始めたらどうなると思う?」 「それは……」  たしかに言われてみれば、これまでは思わぬハプニングに見舞われたせいでゲーム自体は進んでいない。つまり、莉央を巡るアルファ同士の争いは現段階で顕在化していないと言える。  しかし、本格的にゲームが再開されたら、目的は金にしろ莉央自身にしろ、オメガを巡って泥沼の攻防が始まるのは予想ができた。 「いくら俺が協力するからといって、逃げ切れると思うか? まだあと一週間以上ここにいなきゃならないんだ。しかも、お前ヒートはいつからだ? 正直、こうやってくっついてたらかなり匂うぞ」 「え、まじ……?」 「俺はとくに波長が合うから強く感じるのもある。だが、あと数日もしたら、お前のフェロモンであの男たち全員狂ったようになるぞ」  莉央は健康なアルファが五人、自分のフェロモンによりラットを起こすのを想像してめまいがしてきた。 「あ……それはさすがにやばいだろ」 「ああ。そうだ、やばいんだよ。助かりたいならもっと自覚してくれ」 「クソ、どいつもこいつも信用できないしまじできつい。抑制剤も限りがあるし、こんなはずじゃなかったのに――」 「そうだな。早いところ俺たちが暗証番号を探し出さないと、滝川社長にでも先に見つかったら大変なことになる」 「ああ……。あの人優しそうに見えるのに、なんであんなゲームはやる気満々なわけ? 身なりもいいし、カネに困ってるようには見えないのに」 「あの人とは俺もまだちゃんと話せてないからわからない。だけど、人が死んでも構わないんだということは今後も何をしでかすか――」 「滝川社長が犯人とかってことはないの?」 「さあな。だけど、少なくともマネージャーが殺された状況から見て、屋敷内のメンバー以外に誰かがこの島にいることは間違いない。もしかすると、船で移動できる人間で、いつもはこの島にいなくて必要なときにだけ出入りしてるとか? ちょっと俺もまだ考えがまとまってないんだ」 「俺もぜんっぜんわかんねーよ。怖すぎなんだけど、誰だよまじで。つーかあと何日だっけ」 「今日を除けばまだあと八日ある」  莉央は頭を抱えた。 「嘘だろ、まだそんなにあるのかよ――きつ……」 「お前のことは俺がちゃんと守るから、とりあえず暗証番号を見つけよう」 「だけど、ずっとお前と一緒にいられるわけじゃない。お前ばっかといたら怪しまれるし。さっきも岩崎に俺がお前のこと気に入ってるんだろうとか言われたんだ」 「それもわかってる。岩崎辺りは俺のことを殺したいと思ってるかもな。でも刑事もいるんだし、いくら医者でも滅多なことはできないだろ」 「うん……」  橘がベッドから降りて莉央を見下ろす。 「あの刑事は信用できそうか?」 「まあな。俺は嫌いだけど、真面目でイイヤツなんじゃねーの」 「そうか。でもこんなところに来てるってことは賞金目当てだろうし――完全に信用はできない」 「それはお前もだろ」 「俺はお前に会えると聞いて来たんだ」 「はぁ?」 「なんてな。とにかくあと八日乗り切るんだ。そしたら、どうにでもなる」 「でもどうやって? 暗証番号の手がかりもないし、二人も死人が出てみんなピリピリしてる。正直アルファたちのフェロモンがこれ以上は耐えられないレベルできつくなってきてるんだよ」 「そうだな……何か手を考えないと」  橘は莉央の髪の毛を撫でた。手のぬくもりも、彼から降ってくるフェロモンも心地よくて離れ難かった。しかし莉央は未練を振り切るように彼に背中を向けてブランケットをかぶった。 「とりあえず寝るわ」 「わかった。俺は外に出てる」 「ん。ありがとな」 「おやすみ、莉央」  橘は莉央に覆いかぶさり、そっとこめかみにキスした。莉央はそれを振り払おうと思えば振り払えたのにそうしなかった。  バタンとドアが閉まってから、莉央は詰めていた息を吐いた。 「だめだ……このままじゃだめだ――」  このままヒートに入ったら、橘のためにネックガードのロックを外してしまいそうで莉央は自分が怖くなってきた。
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