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(こわっ! 誰?)
まるで昔見た古いホラー映画のようだった。莉央の上に覆いかぶさった岩崎もドアを見て口を開けている。
「な、なんだ……?」
すると更にガン! ガン! とドアが激しく打ち据えられ、広がった穴からたくましい手がぬっと入ってきたかと思うと内側から鍵を開けた。ギギー……と、ボロボロになったドアが開く。
ドアを開けたのは怒りで額に青筋が立ち、食いしばった顎の横に筋肉の線が浮かび上がった橘だった。手には二階廊下に飾ってあった青銅のオブジェを握っている。あれでドアを思い切り叩いてぶち破ったのだ。
「その汚い手をどけろ、クズ医者」
「ひっ……。ち、違うんだ。これはあの、し、失礼しました……!」
岩崎の逃げ足は速かった。一目散に橘の脇をすり抜け、階段を転げ落ちるようにして去っていった。
「莉央、大丈夫か?」
橘は重たい置物を床にドンと落とした。そしてベッドに転がったままの莉央を見下ろす。彼の目はまだ血走っていて、いつもの冷静さを失っていた。
橘は何度か深呼吸して息を整える。
「遅くなってすまない。あいつと二人きりにしたのが間違いだった。怖かっただろう」
莉央は首を振った。さっきまで岩崎の性フェロモンでめまいがしていたが、橘の威嚇フェロモンによってそれも若干中和されていた。
「い、いや。大丈夫だから。お前が来てくれて助かった」
「俺が助けるって約束したから」
「ああ、だから大丈夫。腹を舐められたけど、それだけだ」
「……舐められた?」
「うん」
「どこ?」
橘の目が急激に冷えていく。さっきまで炎のように燃えていた瞳が今度は氷のような冷気をまとった。
「拭いてやる」
橘は自分のハンカチをポケットから取り出してシャワー室へ行こうとする。莉央はとっさに橘の手を掴んだ。
「あ……ごめん。えっと……」
「莉央。その匂い――」
橘と目が合ってしまったらもう隠せなかった。莉央はさっき無理やり岩崎に浴びせられた性フェロモンにより欲情していた。この熱をどうにかしたくてたまらない。
「俺……。橘のフェロモンがほしい」
「――安定するやつ?」
「いや、ちがくて……。エロい気分になれるやつ」
橘はそれを聞いてハンカチを捨て、莉央に覆いかぶさった。間髪入れずに唇を奪われる。
「ん……っ」
怒りで気が立っているアルファに自分から誘いをかけるような発言をしてしまったことを莉央は少し後悔した。橘の激しいキスに、このまま食われてしまうんじゃないかと思うほど圧倒される。
橘が放出した性フェロモンを唾液と一緒に飲まされ、頭がふわふわしてきた。
(やば……気持ちいい……)
莉央は橘の手を自分のはだけた胸元に持ってくる。
「橘、もうだめだ。触って」
「いいのか? あいつら見てるぞ」
(え……?)
気づくと壊れたドアから大隈と乃木と滝川の姿が見えた。しかし彼らはこの部屋の物々しい雰囲気のせいで、階段よりこちらへは近寄れないでいる。
莉央はもう彼らを気にしている余裕もなかった。橘の香りがもっと欲しくて、首に両腕を回し自分から口づけした。
(どうだっていい――)
莉央が自ら橘を抱きしめたのを見て大隈が「行くぞ」と他の二人を促し階下へと降りていく。
「橘、マーキングしてくれ」
「いいのか?」
「うん」
「うなじは?」
「……噛まなくていい」
橘は莉央にキスしながら、胸と脇腹を撫でた。皮膚を触られるだけで感じる。橘の大きな手が、莉央のスラックスのファスナーを下ろして下着越しに勃ち上がったものに触れた。
「んっ、あ……」
「いい匂いだ。発情すると花の香りにムスクが混じってすごくやらしいな、莉央」
橘は莉央の香りの変化を感じ取っていた。彼のシダーウッドの香りもまた、スパイシーさを増して莉央の鼻孔を刺激する。橘は莉央の下着を下ろし、双丘の間に触れた。彼が耳元で熱い息を吐きながら言う。
「莉央の中に入りたい。だめか?」
ヒートのせいでこの男に抱いてほしくて仕方がないが、この状況でフェロモンに流されてセックスするわけにもいかない。
「だ、だめだ」
「じゃあ手でする。いいだろ?」
莉央は頷いた。
橘の指がしとどに濡れた後孔へ侵入する。探るように内壁が擦られ莉央は声を上げた。
「あ、そこ……いい」
「ここ?」
「んっ……あぁ……」
橘の香りに包まれながら、抱きしめてもらって愛撫されるのはすごく良かった。最近は恋人もいなかったし、ヒートのときも自慰をして終わり。
こんなふうに優しく触られるなんて、自分が橘の恋人にでもなったような気分だ。
莉央は彼のものに手を伸ばし、自分のと擦り合わせる。彼の欲望がそそり立ち興奮しているのをこの手に感じ、満たされた気分で達した。
ほぼ同時に射精した橘は、自分が出したものを莉央の下腹に塗りつける。
「これでしばらくは他のアルファを寄せ付けずにいられる」
アルファの体液をオメガに施すことで『マーキング』し、他のアルファを寄せ付けにくくすることができる。基本的には所有の証なのだが、今回は便宜上面倒なアルファ避けのお守りとして付けてもらった。
最後に橘は莉央の腹と胸を濡らしたタオルで拭いてくれた。
「仕上げ」と言って彼はきれいになった莉央の腹にそっと口づけする。こわれものに触れるかのように慎重に。さっきとは打って変わって爽やかなリリーフフェロモンを浴びせられて、岩崎に襲われかけた気持ち悪さがすっかり消え去った。
一方橘は一度射精したものの、莉央の発情フェロモンを浴びたおかげで服を着ていてもわかるほど股間のものが主張していた。申し訳ないが、こんなものをまともに相手するわけにはいかないので莉央は見て見ぬふりをした。
「そうだ莉央。抑制剤見つけてきたから、飲んで」
橘は本当に抑制剤を見つけてきてくれていた。
「見つかったのか? ありがとう、助かる」
危ないところを間一髪で救われた安堵と、彼のフェロモンを浴びた心地よさでぼんやりしながら薬を受け取る。
そしてその錠剤を飲もうとしたときだ。
(あれ? この刻印――)
「橘、これどこで見つけたんだ?」
「警部と二人で屋敷中探して、庭の倉庫で見つけたよ」
「そう……」
莉央はその抑制剤を飲んだ。それまで彼のフェロモンによりふわふわしていた頭が急にはっきりしてきた。
(橘は嘘をついてる。この薬は俺の物だ――)
橘から受け取った薬には莉央のイニシャル【RK】と刻印されていた。オメガの発情抑制剤には様々な種類がある。ものによっては身体に合わず、副作用で体調を崩す場合もあった。そこで莉央は張爺さんの教えにより、自分の薬には全て刻印をしてもらっているのだ。
(なんで? まさか――薬を盗んだのは橘ってこと……?)
唯一この島で信用できると思っていた橘。しかし、莉央の中で言いしれぬ不安が渦巻き始めた。
(もう、誰も信用できないってことなのか……)
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