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「おい、勘違いするなよ。俺とじゃない」
「え?」
「橘くんとだ」
(あ……なんだ、そういうこと?)
「びっくりさせんなよ。おっさんとエッチしろってあんたまで岩崎みたいにトチ狂って言い出したのかと思ったじゃん」
莉央は胸をなでおろした。
「俺はそこまで落ちぶれてない。とにかく、この中で一番信用が置けて、お前にとってもつがいとしてマシなのはどう見ても橘くんだろう。さっきなぜ彼と寝たときうなじを噛んでもらわなかった?」
「――そもそもあいつとは寝てない」
「はぁ? やったんじゃねえのか」
「やってない! 抜いてもらっただけだよ」
「冗談だろ。ヒートしてるお前が自分からキスまでしてたのにあいつに我慢させたのか?」
莉央は恥ずかしくてそっぽを向いた。
「そうだよ」
「なんでだ? あいつのことが好きなんじゃないのか」
「うるせぇな、そういう問題じゃないんだよ」
「じゃあ、何が問題だ」
「それを相談したかったんだが――」
莉央は一瞬ためらった。
「……あいつが俺の抑制剤を盗んだ犯人かもしれない」
警部は「何ぃ?」と声を潜めて眉を寄せた。
「そんなわけないだろう。さっきも俺たちは必死でお前のために抑制剤を探してやったんだぞ」
「わかってる。だけど、あいつが見つけたって言って渡してきた薬は俺のものだったんだ」
「どういうことだ?」
「実は俺、自分の抑制剤には全てイニシャルを刻印しているんだ。だから、間違いなくあれは俺の薬なんだよ」
大隈が無精髭の生えた顎を撫でた。
「なるほど……。それはたしかに妙だ。どうしてあいつがお前の薬を持っていたんだろうな」
「おかしいだろ」
「だけど、じゃあなぜわざわざそれをお前に返すんだ? 意味がないだろう」
「それは……わかんないけど、信用させて手っ取り早く俺とつがいになろうと思ったとか?」
「うーん……」
腕を組んで唸る大隈に莉央は提案する。
「ていうか俺――あんたの方が今は信用できる。顔見知りだし、刑事だし。だから俺とつがいにならない?」
「はぁ!? お前なぁ。無理に決まってるだろう。俺から見たらお前なんて子どもみたいなもんだ」
「俺は子どもじゃない。――俺のフェロモン嫌いか?」
莉央はパジャマのボタンを一つ外した。襟元をくつろげ、フェロモンを発しやすいようにする。抑制剤はまだ効いているがアルファの性フェロモンを浴びてうなじを噛まれたらきっとつがい契約は結ばれるだろう。
「おい、やめろ神崎」
「さっきみたいにいつ襲われるかもわからず過ごすのには疲れたんだ。俺と寝てよ、頼む。あんたならいいよ。このゲームを終わらせよう」
「――ダメだ」
「なんでだよ」
「お前は、橘が運命の相手だろ?」
莉央は大隈の鋭い視線に動揺する。
「なんでそれを……」
「気付く奴は気付く。お前、怪我したり具合悪くなると真っ先に橘に寄っていくだろ」
相性の良いオメガとアルファはお互いにフェロモンを放出して癒すことが可能だ。莉央はさりげなく橘にフェロモンを分けてもらっていたつもりだが、大隈にはバレていたようだ。
「知ってたのかよ……」
「お前が心配だよ。狡猾そうに見えて抜けてるところがあるからな」
「クマが刑事だから目ざといだけだろ」
「とにかく、オレは自分もお前も助かるように努力する。お前はとっとと橘とつがいになりゃいい。そうすれば他の男のフェロモンも効かないし、お前の匂いに他のアルファが誘惑されることもなくなる」
「――でも、あいつを信じていいかわかんなくて」
「とっとと薬について聞いて、仲直りしろ。今は痴話喧嘩してる場合じゃないぞ」
「でもあいつ、薬を拾ったって言ったんだ。そんなの信じられない。あいつは俺がバッグに抑制剤を入れてるのを前から知ってた」
「そうは言っても、わざわざ盗む理由がないだろう? お前とは運命の相手同士なんだから自然とくっつくはずだ。少なくとも俺はそう思ってたし、その気になりゃさっき無理矢理つがいにできたはずだ。ちがうか?」
「でも、最初からずっと俺を助けてるふりをしてただけなんじゃないかって気がして……。信じられるのはもうあんただけだ。だから俺、やっぱりあんたとするのがいい」
莉央がすがるような目で大隈を見つめながら誘惑フェロモンを漂わせる。大隈が眉を寄せた。
「本当に俺とやる気なのか――?」
莉央は無言で頷いた。自分よりずっとウェイトのある熊みたいな男が、オメガのフェロモンに誘われて近づいてくる。
大隈は莉央に軽く触れるだけの口付けをし、開いた胸元の香りをめいっぱい吸い込んだ。
「くそ……強烈な匂いだな。お前に騙される男の気持ちがやっとわかったよ。こりゃ、言うこと聞きたくなる」
「だろ? さあ、早く来てよ」
莉央は大隈のシャツを引っ張ってベッドに背を預けた。大隈からは、レザーとスモーキーなタバコの香りがした。莉央は嗅いだことがないが、その渋みのあるフェロモンは父親を連想させた。自分と母を捨て、気まぐれに呼び寄せてみたかと思えばこんなゲームに巻き込まれて――迷惑でしかないはずの父親。だけど、莉央が父に抱きしめられてみたいと思ったことがないと言えば嘘になる。
大隈は莉央の胸元でしばらく匂いを嗅いていたが、急に動かなくなった。そして、顔を上げて頭をブンブン振る。
「いや、やっぱりダメだ」
大隈は体を起こし、ベッドから降りると莉央の胸元のボタンを留め始めた。
「おい――なんだよ?」
「かみさんと息子の顔が浮かんで、どうもだめだ」
大隈は髭の生えた顎からおでこにかけて、顔を洗うように大きな手でゴシゴシ擦った。
「はぁ? 発情寸前のオメガにここまで誘わせておいてそれ? つーかあんた結婚してたんだ」
「正確に言うと、離婚した。だけど俺は今でも妻と息子だと思ってる」
莉央はベッドの上にあぐらをかいた。
「うへぇ、あんたもストーカーみたいなもんじゃん」
「妻と子どもは実家に帰っててな。俺は、ここで賞金をもらって家を買おうと思ったんだ」
大隈は自嘲気味に笑った。
「仕事に夢中で全然家族を顧みることができなかった。”知らないオメガと自分の妻どっちが大事なの”って何度も聞かれたよ。その当時は何言ってるんだって思っていたが、別れてようやくわかったんだ。大事なのは仕事じゃないってな」
(そういうことだったのかよ。俺の父親とは大違いだな――)
「金さえあれば仕事も辞めて家族とやり直せるんじゃないかと思ったんだ。それでここに来た」
「それなら、俺と寝るのはなんか違うな~」
「ああ。俺はもう金はいらない。とにかく無事に帰りたい。帰ったら刑事は辞めて、かみさんに頭下げるよ」
大隈は口を引き結んだ。
「俺はお前たちオメガのガキどものことも息子みたいに思ってる。だから――必ず助ける」
(けっ。大袈裟なこと言いやがって)
「おっさんこそ、絶対に死ぬなよ?」
「当たり前だ。お前はとにかく橘くんとつがいになれ。俺の勘だと、あの男はまともだ。一応俺からも探りを入れてみるがな」
「ふん、考えとく」
大隈は莉央の寝室を後にした。
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