【Day6】失踪者の帰還

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【Day6】失踪者の帰還

 屋敷に戻った後、全員汗をかいたのでシャワーを浴びに部屋へ戻った。  莉央はさっと冷たいシャワーを浴びるとすぐに部屋を出てキッチンへ向かう。自分が一番早いと思ったのに、そこには橘が立っていた。 「橘、早いな」 「ああ」 「朝食作るからどけてくれ――」  彼の横を通り過ぎようとしたとき、肩をつかまれた。 「お前は休んでろ。匂いがきつくなってる」 「――断る。お前のマーキングを受けたからって俺が思い通りに動くと思うなよ。何かやってるほうが気が紛れるんだ」  今までなら彼の言葉に甘えたかもしれない。しかし莉央は自分でも驚くほどトゲのある言い方で橘の意見を退けた。  それでも彼が手伝うというので、皿を出してもらう。莉央は目玉焼きを作りながら、トマトを切っていた。  まな板に当たるトントン……というナイフの音をぼんやり聞きながら考える。 (とうとうクマまで姿を消した――。このパターンは、知ってる。このまま見つからないか、どこかで死体が出てくるんだろ?) 「んでだよ……」 (もう、信じられるのはクマだけだったのに――)  結局、抑制剤は橘が「見つけた」と渡してきたのがあと二回分。それと、「錯乱した」岩崎が持っていたものも大隈警部が取り上げてくれてあと四回分ある。だけど、ここでの生活はあと残り七日間。一日二回の服用にしたとしても、全然足りない。本当に酷い日は本来一日三回飲まないと十分な効果を見込めないというのに、だ。 (薬といい、殺人犯といい、ゲームのクソみたいな目的といい――……どうすりゃいいんだ) 「痛っ!」  考え事をしているうちに包丁で人差し指を切ってしまった。みるみるうちに赤い血が指先に膨れ上がり、ぽたりとまな板の上に落ちる。 「おい、大丈夫か!?」  橘が莉央の声を聞きつけてキッチンにやってきた。 「大丈夫、指先切っただけだから」  彼は近くにあった布巾で莉央の指を包み、少し高い位置に掲げてギュッと強く握った。険しい顔の彼にちょっと乱暴に掴まれて、莉央は昨日ドアを破ったときの橘を思い出し少し怖くなった。 「体調が悪いのに無理して刃物を持つからだ。――10分もすれば血は止まる」 「……だって、」 「こういうことになるから休んでいろと言ったのに」  さっき莉央の態度が悪かったせいか、橘は苛立たしげだ。    たしかにヒート中で注意力が散漫になっていた。それは認める。  しかし、橘に何から何までまで指図された通り動かなければならないのか?   莉央は橘のものじゃないし、元来アルファの言いなりになるのは嫌いだった。それでもここに来て大勢のアルファに囲まれながら、全員の気をなるべく逆なでしないように配慮してきたつもりだ。 (――なのに、指切ったくらいでこんな怒らなくたっていいじゃんか) 「俺だって、やりたくてやったわけじゃない――。だけど、黙ってたら気が変になりそうなんだよ!」 「莉央……俺は責めてるわけじゃない」 「大隈は――あいつだけは大丈夫って思ってたのに。あいつ、俺のこと助けるって言ったんだ。抑制剤だって、今日も探してくれるって約束したのに……!」  恐怖と疲労と指の痛みで、莉央はパニックを起こしかけていた。橘が莉央の怪我した手を高く持ち上げたまま、反対の手で体をギュッと抱きしめてくる。たまらず莉央は彼の肩に顔を押し付けた。目頭が熱くなり、橘のTシャツを濡らす。橘は黙って莉央にリリーフェロモンを注いでくれた。 「なんだよあいつ。絶対死ぬなって俺言ったのに……! 奥さんと子どものところ帰んないといけないって。だから……だから――」 「莉央、わかったから。しーっ。大丈夫だよ。大丈夫。莉央は余計なことを気にしないで、体力を温存することだけを考えて。俺が必ずなんとかするから」 「でも――」 (だけどお前は俺に嘘をついてるじゃないか――……) 「岩崎さんに絆創膏もらってくるよ。指をぎゅっと押さえたまま座ってて」  橘は莉央をスツールに座らせると絆創膏を取りに行った。莉央は信用できるかわからない相手の前で取り乱したことを後悔しつつ、もう精神的にも限界だと認めざるを得なかった。 (だめだ。あいつのフェロモンに触れると脳が勝手に警戒心をゆるめちまう)  頭では危険だとわかっているのに、フェロモンで頭がおかしくなって橘の言うことをなんでも聞いてしまいそうだ。莉央は指を押さえたままキッチンカウンターに突っ伏した。 「どうしよう……張爺さんどうしたらいい?」 「寝ることだな」 「ひっ!」  いきなり後ろから声を掛けられて莉央はビクッと飛び上がった。 「お……大隈……?」  莉央の背後に立っているのは大隈警部だった。てっきりもうだめだと思っていた莉央は彼が幽霊なんじゃないかと思って足元を見た。浮いてないし、ちゃんと靴も履いている。嘘みたいにデカい黒のトレッキングシューズは水で濡れて砂がついていた。 「悪い。犯人は取り逃がした」 「よかった……。あんたまでいなくなったかと思ったよ!」 「その手どうした? 怪我か」 「ちょっと切っただけ。あ、橘! 大隈が帰ってきたよ」  二階から戻った橘も、大隈を見てほっとした表情を浮かべた。 「ビビらせないでくださいよ。いったいどこへ行ってたんです? 探してもいないから、もうだめかと思いました」 「いや、森の奥を探してたんだ。だが誰もいなかった」  そう言って彼は莉央の方を見る。 「窓の外に誰かいるように見えたのも、きっと悪い夢でも見たんじゃないか? 神崎は寝起きだったし、抑制剤の副作用には幻覚症状もあるからな」 「ああ、そうかもしれない」 (……でもあれは人影だった。悪夢を見てたのはその通りだけど、窓の外を見たのは目が覚めてからだった)  
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