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考え事をしながら昼食を作り上げ、廣明は莉央の部屋に握り飯を届けに行く。莉央は朝食のときも食欲がなさそうで、水しか飲んでいなかった。
部屋に入ると、薬を飲んでいるはずなのに室内中に甘い香りが漂っている。食事を置いたら早く出なければいけない。
「莉央、おにぎり持ってきた。食べられそうか?」
「……腹なんて空いてない」
ぶっきらぼうな返事。未だにマーキングしたときのことで怒っているのか、それとも具合が悪いのか――。
「でも何か口にしないと体に悪いぞ。具合悪いなら、岩崎先生を呼ぼうか? 変なことしないように俺がついててやるから」
すると莉央はブランケットを頭までかぶって丸くなった。
「嫌だ! あいつには診られたくないし、触られたくない」
「……ごめん。そうだよな」
莉央は苦しげに「はぁ」と吐息を漏らす。その息もきっと、間近で吸えば彼のフェロモンの香りがするだろう。廣明は島に来る際に用意してきたアルファの発情を抑制する薬を飲んでいたが、それでも莉央の甘い香りに変な気を起こしそうだった。
「じゃあ、おにぎりテーブルに置いておくから。少しでもいいから食べるんだぞ」
返事どころかこちらを見もしない莉央にそう言って、廣明は部屋のドアノブに手をかけた。
「待って」
「……?」
振り返ると、莉央がブランケットから顔を出してこっちを見ていた。
「どうした? おにぎりが嫌なら何かフルーツでも――」
「服をくれ」
「え?」
「……だから、お前の匂いがする服を貸してくれっていってんの!」
「あ……ああ、これ?」
廣明が着ている服をつまんで見せると、莉央が真っ赤な顔で頷く。廣明は白いTシャツの上に羽織っていた紺色のシャツをその場で脱いだ。近寄ってそれを手渡そうとすると、ブランケットから伸びた色白の細い手が素早くシャツを奪い去った。
「もう用は済んだからさっさと出て行け」
そのまま莉央はブランケットの中に隠れてしまった。
「ああ……。その、他の服も持ってこようか?」
「……ん」
「莉央?」
「うんって言っただろ。とっとと持ってこいよ!」
莉央は廣明に怯えるか怒っているのだと思っていたが、どうやら違うらしい。自室に向かいながら、思わず頬が緩む。
(巣作りか……)
オメガは発情期になると、アルファのフェロモンを強烈に求める習性がある。セックスでその欲求を発散できる場合はそうするし、そうでないときはせめてアルファのフェロモンを感じたくて『巣作り』という行動に出る。
アルファの匂いが着いた洋服やタオルなどを自分の身の周りに集めることで、香りに包まれて『巣』の中で安心したいのだ。その服の持ち主は当然だれでもいいというわけじゃない。自分の気に入ったアルファの匂いに包まれたいということだ。
(ったく、可愛すぎるだろ)
廣明は洋服を何着か莉央の部屋に届けた。彼は恥ずかしそうに「置いたらすぐ出て行け」と廣明のことを追い出した。態度は悪いが、甘い匂いをさせながらこんなおねだりをされたのでは、可愛いとしか思えない。
さっきまで莉央とギクシャクしていると思い悩んでいたが、そんなものは吹き飛んでしまった。
アルファ性がエリートだの、カリスマ性に溢れるだの世間では言われている。しかしその実、ただ意中のオメガに求められるだけでこんなにも浮かれる単純な生き物にすぎない。
廣明はそれがわかっているからこそ、この世の中でオメガを下に見て好き勝手するアルファたちが許せなかった。
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