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張爺さんが明らかにした内容は、莉央の理解の範疇を越えていた。
「島で全員が野たれ死のうと、彼らにとって痛くも痒くもない。それよりも桁違いの金持ちにとっては退屈しのぎをできるかどうかが大事なんだよ、莉央。メタバースにあふれている偽物のコンテンツ――AIが作り出した疑似恋愛やお涙頂戴の家族愛――そういうストーリーに富裕層はもう飽き飽きしている。
彼らは偏った思想のもとで有り余った金と時間を慈善活動に注ぎ始めた。しかしそれでもまだ足りなかった――」
張爺さんがかがみ込んで莉央と視線の高さを合わせた。
「白羽会長はその財力を使って、ホンモノの恋愛リアリティーショーを自ら創り上げることに着手し、ここ数年仲間に共有している。それが彼の理念であるLove and Prosperityという言葉に表れているんだ」
背筋に寒気を感じ、莉央は無意識のうちに腕で自分の体を抱きしめた。慈善団体L&P――Love and Prosperity――父や団体がその善良ぶった顔の裏でこんなおぞましい行為に及んでいたとは。
(じゃあ、俺がいつアルファに襲われるか誰に殺されるかもわからない状況で怯えてる姿を今まで父や他の奴らは恋愛リアリティーショー感覚で楽しんでたってことか――?)
オメガのフェロモンがアルファを誘惑する。それは抗えない本能であり変えられない事実だ。だからオメガは差別を受ける場合もあるし、逆に哀れみの対象ともなる。
しかしその性的な習性を面白がって無人島に被験者として送り込み、つがいにさせ『繁殖』するのを見世物にするなんて。
(なにが愛と繁栄だよ!)
「莉央。白羽会長は本気でこの島のアルファとオメガの交流に『愛』を見出そうとしてるんだ。彼らはそれがおかしいとも思っていないし、お前が役割を果たすのを本気で望んでるんだ」
「役割……?」
「さっきも言った通り、この洞窟にはカメラがない。ここで行われたことだけが会長たちに秘匿される。お前はここでうなじを噛んでもらって自分を守るしかない。そうでなければ、最後の夜この島のアルファ全員に――」
張爺さんが話している途中で、莉央を呼ぶ声がした。
「莉央! どこだ、返事をしてくれ!」
(橘、もう来たのか)
「決めろ莉央、時間がない。このまま親父さんの思い通りになって、儀式で人としての尊厳を失うような目に遭ってもいいのか?」
「だから、儀式ってなんなんだよ?」
「アルファ全員との性交渉。誰がオメガとつがいになるか、わらべ歌のかごめかごめで決めるんだ」
「はぁ……!?」
(かごめかごめって、乃木先生の言ってた遊びだろ?)
「そんなの、狂ってる……」
「これまでに四人のオメガがここで儀式の犠牲になっている。彼らは皆、正気ではいられず心神喪失状態に陥りわたしですら行方を知らされていない。おそらく深山はその一人を探してここに潜り込んだんだろう」
「そんな……!」
「橘くんを信じるのが怖いのか?」
莉央は頷いた。
「だってこれまでの人生、信じても裏切られることばかりだった。今さら何を信じたらいいんだ? あんただって、俺は本当の爺さんのように思ってたのに。こんなことって――……」
「莉央。わたしは今まさに白羽会長を裏切っている。この話をしたのがバレたらわたしも殺される。お前を守りたくてここへ来たのは本心だよ」
たしかに、張爺さんはリスクを犯しているんだろう。だけど、もう誰を信じていいのかわからない。蓄積した疲労と、発情期特有の倦怠感――莉央の頭の中には張爺さんを始めとして大隈、滝川、岩崎、そして橘の顔が浮かんでぐるぐるしている。
「本当に橘を信じていいの?」
「お前自身が、彼と話して納得したらいい。私が長年調べて橘くんという男を見出したんだ」
(爺さんの言葉を信じていいのか――まず橘に薬の件について聞いてみよう。話はそれからだ)
「とにかく俺の父親は最低のクソ野郎で、俺たちオメガとアルファを見世物にしてるってことはわかったよ」
「そのとおりだ」
「俺はそんなのに屈する気はない」
張爺さんは頷いた。
「その意気だ。あと残り四日間耐えれば五日目には畑中の船が来る」
そのとき、洞穴のようになった空間の入り口に背の高い男の影が現れた。
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