建築家と消えた恋人

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建築家と消えた恋人

 建築家の深山栄犀(みやま えいさい)は帰国してすぐに恋人のマンションを訪れた。タワーマンションの部屋はがらんとしていて、人の気配はない。  深山はF国での大きなプロジェクトに参加していてこの一年恋人の(あきら)とは離れて暮らしていた。そして先日彼から突然『もう会えません。さようなら』という文章でのメッセージが届いたきり、ビデオ通話も音声通話もできなくなった。チャットも既読がつかない。 (俺がいない間に何が……?)  晶は男性オメガのインテリアデザイナーで、大学時代の後輩だった。深山は晶を学生の頃から可愛がっていて、帰国したらつがいになるつもりでいた。アルファがオメガのうなじを噛むと『つがい』の契約が成立し、一生続く繋がりが生まれる。結婚と同等の意味でこの契約を結ぶカップルは多く、深山もそのつもりで婚約指輪をF国で用意していたくらいだった。  最後に晶とビデオ通話で会話したとき、プロジェクトも大詰めというところでクライアントの無茶な変更案が提出され、深山はピリピリしていた。慣れない外国語でのやりとりと人種差別的なクライアントの態度にもいい加減うんざりしていて、晶からのビデオ通話できちんと話を聞いてやらなかった。 (あのときちゃんと話を聞いていれば……!)  晶は政府関連団体からある屋敷のリノベーション計画について内装プランを依頼されたと言った。現地視察のため一週間、どこかの島へ行くと話していたのは覚えている。  深山は仕事が一段落してからようやくその件について考えてみて、何かおかしいと気づいた。  晶は実力のあるデザイナーだが、評価されにくいオメガの若手であり知名度もない。それなのになぜ突然政府関連の依頼などを受けたのだろう。どうも気になって恋人へ連絡してみたが返事がなかった。視察先は島なので通信状況が芳しくないとは聞いていたから彼からの連絡を待っていた。  すると、その二週間後に晶から奇妙なメッセージが届いた。 『島でトリになった。アルファとつがって 妊娠彼と結婚し ょうもう会え めせん。さようなら』  深山が最初これを見たとき、まず誤字の多い文章に眉をひそめた。そして内容を理解するにつれ、ことの深刻さに愕然とした。 (島で誰かと会って……妊娠したから結婚するってことか?)  一方的な別れのメッセージと受け取れる奇妙な文章に不安を掻き立てられ、深山はもう一度彼に通話を試みた。しかしアクセス拒否されていて、それ以来彼がどこにいるのかもわからない。  納得のいかぬままやっと帰国し、深山は晶のマンションにやってきた。『結婚する』と深山を振ったはずの彼の部屋は合鍵で難なく開いて、しかも荷物は全て残されていた。冷蔵庫には賞味期限の切れた食べ物もそのまま放置されている。 (どういうことだ? 晶は誰とどこへ行ったんだ……?)  わけがわからず、彼のデスクに残されたままのパソコンを開く。パスワードは変えられておらず、深山の知る文字列で簡単に起動した。しかし、誰の仕業かわからないが全てのデータが削除されていた。 ◇  深山は知人のつてをたどって、数日後にはハードディスクからデータを復元することに成功した。その中のファイルにある屋敷の図面が残されていた。建物の所有者は国内有数の大企業である株式会社エルブランシュとなっている。 「最後に話していた仕事ってこれのことなのか――?」  エルブランシュは国内の通信業界トップ3に君臨し、N国政府が運営する仮想現実空間のセキュリティを担う企業だ。晶からの連絡が途絶える前に深山宛にエルブランシュ主催のパーティーの案内が来ていたが、当時国外にいたため欠席で返事をしていた。関係があるかは不明だが、そこに参加しなかったことを深山は悔やんだ。 (俺があのとき国内にいれば……)    深山はどうにかこの図面の屋敷と島について情報を集めようとあらゆる手段を使った。  そして父親まで頼ってようやく深山はある慈善団体が島でとある実験に関わっているという話を掴んだ。   (その実験に潜り込むことができれば、直接島へ行って晶に関する手がかりを見つけられるかも――)  深山は全ての財産をかけ、実験の被験者になるために動いた。調べを進めるうちに、この団体が少子化対策という名目で政府からの資金を得て、バース性の人口割合を変化させる取り組みを行っていることがわかった。  20世紀から21世紀初頭にかけて性の多様性を求める運動が加速した結果、現在は男女に関してほとんどの差別や区別がなくなった。一方で、21世紀半ばに某国の遺伝子学者によって新たな性分類が発見・提唱された。  すなわち『アルファ』『ベータ』『オメガ』という第二の性――バース性と呼ばれる分類だ。  2XXX年現在、各国では大統領をはじめとして政治・経済の担い手が『アルファ』の男女に偏向し、その結果として新に妊娠・出産を担うようになったのが『オメガ』という特殊な第二の性を持つ男性だった。オメガは男性にだけ現れる形質で、女性同様に子宮を持ち、男性妊娠が可能なバース性だ。  一方『アルファ』の人間は生まれつき知力・体力・容姿に優れる者が多く、人の上に立つエリート的存在といわれている。  その団体は表向きには慈善活動という名目で人道支援を行っている裏で、現在国民全体で約二割いるアルファの比率を今後三十年以内に七割まで上昇させることを目標に掲げているという。  そのためのデータ収集の一環として、『実験』を計画。孤島に被験者を一定期間滞在させ、アルファとオメガの生殖・つがい形成の傾向と対策に関してデータを収集しているらしい。  ここまで調べを進めてきて、深山はこの慈善団体が偽善の仮面を被ったいわゆるカルト集団だと判断した。 (この悪趣味な実験に、晶が巻き込まれた――)  深山は先程手元に届いた手紙を開封した。封筒の宛名は『矢部正男』となっている。深山がこの件の調査を行うため人に頼んで作成させた架空の戸籍だ。  恋人の行方を探し始めてから約一年。とうとう島への招待状を手にした。    深山は次回の実験に『アルファ男性被験者の矢部正男』として潜り込むことに成功したのだ。
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