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「申し訳ありませんでした」  広々とした部屋の、広々とした窓の前にデンと構える高級そうなデスクに、それとは対照的な小太りのハゲのおっさんが細い目をさらに細めてオドオドした表情を浮かべている。  おっさんはここの署長。瓜山太郎という、見るからに気の弱そうな人間だ。そしてここは署の中で一番格式高い署長室である。 「秋原くん、もういいです。次は気を付けて下さいね」 「しかし署長、相手方はかなりお怒りだと伺いました。やはり我々が責任を持って然るべき対応を…」 「いやいやいや!大丈夫だから、ね!?ほら、2人とも仕事に戻って!!」  顔の前で両掌を振る署長に、灯は不審げな態度を隠さない。そんな2人のやりとりを、俺は来客用の重厚感溢れる革張りのソファに座って見ていた。 「お前も署長にくらい謝れ!元はと言えばお前のせいなんだぞ!」 「えぇー!?署長はもういいって言ってるじゃん!」  咥えていた棒付きキャンディを振り回して指摘する。灯の額に青筋が浮かぶ。  しかしそれは一瞬で、灯はスンと澄ました顔を取り繕うと、俺の襟首を掴んでソファから立たせ、「失礼します」と署長に言うや俺を引き摺りながら部屋を出た。  そのまま階段で階下へと降り、我が特別機動班の事務室兼待機室へ。 「そこに正座しろ」  自分のデスクについた灯が床を指して言う。俺は素直に正座する。咥えていた棒付きキャンディは没収され、ゴミ箱に投げ捨てられてしまった。 「昨日の件だが…そもそもお前は事前のブリーフィングをちゃんと聞いていたか?」 「…はい」 「じゃあ何故こんなことになる?犯人は女だという話だっただろうが!」  そう。確かに俺も聞いて、知ってた。しかし俺が捕まえた奴はしっかり男だった。 「だって怪しかったんだ。それに逃げようとしている奴を見つけたら追いたくなる性分で…」  なんせ怪しい奴が多い街なのだ。  結果から言うと、俺が捕まえた奴というのは、とある芸能事務所に所属する俳優で、夜遊びに出ていたところ近くで事件発生。気になって野次馬に来たが、そんなところを誰かに見られるわけにはいかない。で、フードを目深に被り、早々に現場を離れようとした、というわけだった。  灯のいう“相当お怒りの先方”というのは、その俳優と所属事務所のことだった。  灯の蔑むような視線に見下ろされ、俺は苦笑いを浮かべながら必死で取り繕う。 「で、でもさ、ほら、犯人は捕まったわけだし、俺らみたいな奴じゃなくて人間だったし、怪我人も出てないし、無事解決じゃん!お咎めもなしだろ?良かったな灯!」 「ヘラヘラするな!!」  ゴチッ、とまたゲンコツが落ちてきて、堪らず頭を抱えてうずくまる。 「お前はおれになにか恨みでもあるのか?お前と組んでから災難ばかり起こるんだが?どうして普通のことができないんだ?」  と言うのも、俺はよく寝坊して遅刻するし、物は壊すし、サボり癖もある。誤認逮捕は日常茶飯事で、時々やり過ぎる。今の所自覚しているのはこれくらいかな。 「そう思うなら俺が動く前に止めてくれよ…躾も灯の仕事だろ」  と言うと、灯はまた険しい表情を浮かべた。灯はあまりこの言葉が好きではないらしい。  俺と灯は、“警視庁公安部特殊捜査課特別機動班”に所属している。ややこしいので、ただ機動班、とみんなは呼んでいる。  この街のためだけに創設されたややこしい名前の部署では、犯罪やテロ行為、密輸密売など幅広く国益を損なう行為の取り締まりや捜査をしている。  では何故特殊なのか、と言うと、大きくはこの街の特性にある。  この街、というか、もはや大都市なのだけれど、通称“魔界都市”と呼ばれている。蜘蛛の巣状に入り組んだ街路に高層ビルから繁華街、如何わしい店舗がひしめき合い、そこに人間と、そうじゃない存在が共生しているのだ。  この魔界都市がいつできたのかはわからない。なぜこうも人間と人外が入り混じる場所になったのかも不明。正式な街の名前も、知っている人がいるのか怪しい。  しかし人間と人外、双方の需要があったのは間違いない。様々な理由で追われている人間や人外が入り込み、居座り、無法地帯のような街となり、様々な商売ができ、そこに目つけた国内外の企業が参入し、この魔界都市は今でも発展を続けている。  無法地帯というのは伊達ではなく、様々な生物、人種が入り混じったこの大都市では、ものすごく犯罪が多い。日本のスラム。どデカい九龍城砦と呼ばれるのも納得だ。  そんな街で、人外の犯罪は人間だけでは解決が難しい。それらを取り締まるには、同じく人外の力を取り入れるしかない、という警視庁の決定によって、俺の所属するややこしい名前の部署ができたのだった。  特別機動班では必ず、人間と人外がバディを組むことになっている。  秋原 灯(あきはら ともり)はもともと東京の公安部に所属していたが、今年の春に機動班に転属してきた26歳の若造で、俺が灯の最初のバディ。  俺は正式には警察官ではなくて、完全に善意で80年程機動班で働く吸血鬼だ。最古参の俺に、こんな生意気な態度をとる灯は相当に肝が据わっているか、ナメてるのか、バカなのかのどれかだろう。 「おれは…あれはあまり使いたくないんだ」  と、灯が苦々しげに呟いた。  “あれ”というのは、機動班に所属する人外はみんな、首に黒いチョーカーのようなものをつける義務がある。  それはGPS機能と、もうひとつ。  もし何かが起こって暴走してしまったバディを止めるための制御装置が付いている。頸椎から多量の電気を流し、四肢の運動を麻痺させて行動不能にする。  その小型リモコンを、人間側が持っている。  リモコンのボタンを長押しするほど電気が流れるので意識が飛ぶこともある。本来の使用目的はそうやって完全に動きを止めるためのものなのだが、これを悪用して、こちらが気に入らない行動や態度をとると、イタズラに使用する人間が少なからずいる。  そういう奴がバディになった時は本当に最悪だ。瞬間的な痛みを与えられることもあれば、意識が飛ぶ寸前で止められのたうち回る、なんてこともある。  それを一部では“躾”というのだった。  人間は愚かで、傲慢で、何よりも優位に立とうするし、自分たちが格上だと勘違いしている。  この魔界都市でも人間と人外、双方に少なからず差別意識が存在するが、機動班の中のそれは完全に人間優位だ。  俺たち人外を、対等なバディではなくただの便利な犬や危険な時の盾かなんかだと思っている者が少なくない。俺たち人外は、ほとんどが善意で働いてやってるというのに。  まあ、中には弱みを握られて働かされている者もいるが。  しかし灯とバディを組んで7ヶ月が経とうという今、俺はまだ一度も灯から制御装置を使われたことがない。バカみたいなミスばかりしているとうのに…… 「優しさか、哀れみかは知らないけど、いざって時に使えないと早死にするからな。周りの人外には制御装置なんて付いてないんだ。躊躇ってる暇はない。俺で練習しとけよ」 「うるさい。お前に言われなくてもわかってる。それにそんな気軽に使うのは間違ってると思う……とにかく、ルナはおれにそれを使わせないようにしてくれ」  いつもはガミガミとお説教を垂れ流すのに、今日はなんとなくしんみりというか微妙な空気になってしまった。  お互いちょっと気まずくて、俺も灯も黙って視線を逸らす。  そして空気を読まない俺の腹の虫が、ぐううううぅと盛大に音を立てたのだった。
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