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7
次に目が覚めたのは、すっかり陽が落ちて暗くなってからだった。
怪我を治すには食って寝るのが一番だが、少々寝過ぎたかもしれない。
また腹の虫がぐうぐうと音を立てる。本当に燃費の悪い体で嫌になる。
室内はしんとしていて、ゴミは全部すっきり片付けられていた。灯はいつの間にか帰ったようだ。
もう一眠りしようかと思って目を瞑る。その瞬間、ガチャリと玄関の鍵があき、灯がビニール袋を提げて戻ってきた。
「起きたのか」
「うん……帰ったんじゃないんだ」
「身の回りの世話をすると言っただろ。お前の部屋、何もないから買い出しに行っていた」
そう言って小さな冷蔵庫へ食材をブチ込んでいく灯。
「掃除をしていて気付いたが、一通りの調理器具はあるようだな」
「あー、前に女のバディがいた時、色々持って来てくれたんだ。ま、俺は自炊できないから意味ないんだけど」
「そのバディは今……」
「さあ?ちょっとダメな現場に当たって、トラウマ抱えて辞めていった。その後のことは知らない」
機動班は入れ替わりが激しい。特に人間側の。殉職は当たり前、それ以外でも精神的に参って辞めてしまうなんてよくあることだった。
80年の間に、俺はそんなバディをたくさん見て来た。
灯は何も言わなかった。黙々と夕食作りに取り掛かる。自炊に慣れているのか、実にテキパキとしている。
そうしてしばらく待つと、部屋中に良い匂いが充満して来た。ちゃんこ鍋だ。あっさり目のスープと、煮詰めた野菜、鶏肉の匂いが食欲をそそる。
大きめの土鍋を持ち、丸い茶舞台にそれを置いた灯が手招きする。
「何これ最高!灯は料理もできるんだな!」
「一人暮らしが長いからな。というよりお前が自堕落すぎなんだが」
長く生きると自堕落にもなるもんだ。食事はその辺で、そこそこ美味いものがテイクアウトできるし。
「いただきます!」
灯がお椀によそってくれた鍋を、遠慮なく口に運ぶ。思わずニヤけるくらいに、それは美味かった。
ジューシーな鶏肉と肉団子、それから良い感じにとろけて味が染みた野菜。熱々だけどそれがまた、手作り感があってたまらなく美味い。
俺の向かいに座った灯も、熱い鍋を食べ始める。俺の部屋で誰かと食事するなんて、いったいいつぶりだろうか。
しばし鍋を堪能していると、灯が思い出したかのように懐から何かを取り出した。
「すまない、お前の部屋の片付けでつい忘れてしまっていた。これは今週の分だ」
試験管のような容器に赤黒い液体。人工血液だ。俺は毎週一度、灯から人工血液を受け取っている。これもバディの仕事のひとつだ。
「ありがと。でも今は鍋に集中したいから、適当に冷蔵庫にでも入れといて」
「わかった……そういえば、お前がこれを飲んでいるところを見たことがないな」
少しの疑心が混じった灯の視線。隠れて人間の血を飲んでいるんじゃないか、と暗に問われているようだ。
「だってそんなの人前で飲んだらドン引きされるだろ。こっちは慣れてるし、人工血液だってわかってるけど、あまり気持ちのいいものじゃない」
俺たち吸血鬼は、興奮すると瞳の色が変わる。それは吸血の際も含まれるし、人工的とは言え血の成分を含む人工血液を口にしても同じだ。
中には俺たちのこの変化に恐怖する人間がいるのだ。
「おれの前では気にしなくてもいい」
灯はそう言うけれど、飢えた獣のような自分を、人間には見せたくなかった。イタズラに怖がらせたくはない。
「はは、灯は優しいな。でも俺だって見られて嬉しいわけじゃない」
血に飢え、浅ましくも貪る獣のような自分を、バディとはいえ人間に見られるなんてごめんだ。
「そういえば、内川さんが言っていた特殊ってなんのことだ?」
鍋を突きつつ、なんでもないことのように灯が聞いて来る。俺は箸を噛んで考えたのち、バディである灯には話しておいてもいいか、と結論を出した。
「俺の家系は少し特殊で、飛べたりするのはそのせいなんだけど……その力のせいでもともと人間の血への欲求が強いんだよ」
吸血鬼にも色々あって、力が強いほど人間の血を必要とする。それは元々家系に由来するもので、北欧のルーツをもつ吸血鬼は総じて力が強い。
「人工血液はやっぱり偽物でさ、人間の血には遠く及ばない。でも俺は80年、人間の血を飲まずにやってきた。まあそのせいで、常に腹は減るし眠いんだけど」
人間の血と人工血液。一番の違いは満腹感だ。満たされないこの感覚を、俺は食事で誤魔化している。元々食べるのは好きだったし。そして無駄なエネルギーを消費しない為に、常に睡眠を欲してしまう。
「本来はさ、数年で限界が来るんだ。俺の知っている限り、吸血鬼は結局人間の血への欲求を抑えられない。時にはバディである人間を襲ったり、全然関係のない所で人間の血を飲んでいたり……そういう経緯があって、機動班には吸血鬼が少ないんだよ。俺が特殊なのは、80年人間の血を一切飲まずにやってこれているところかな」
アハハ、と何気なく笑う。灯は険しい顔をしている。同情だろうか。でもそんなの、人間である灯に俺の気持ちなんて一切わからないから無意味だろう。
「お前はただ、常にサボろうとしているだけかと思っていた」
「そりゃ半分当たりだよ。あわよくばサボろうと思ってるから」
「お前はそれで平気なのか…?機動班なんて辞めて、その辺の多くの吸血鬼と同じように生活したいとは思わないのか?」
以前バディだったいく人かの人間にも、同じことを聞かれたことがある。堅苦しい人間たちに混ざって、吸血鬼である俺に何の徳があるのか、と。
「約束したんだよ。昔、もうほとんど忘れてしまったけれど、俺はそいつと約束した。人間を守る。そのためにできることをするって。だから、俺は今のままで十分だ」
記憶は薄れていく。俺は人間より長く生きるけど、だからって記憶力がいいわけではない。もう顔もほとんど思い出せないけど、俺はそいつと約束した。その事実だけで、俺が人間の血を飲まない理由には十分だった。
微妙な沈黙が流れる。灯は何を考えているのだろう。眉間の皺はいつものことだから、俺にはその感情の全てはわからない。
「ルナにはルナの事情があるんだな」
しみじみと灯は呟く。
「そうだよ。灯にだってあるだろ?この魔界都市で、機動班になんか転属した理由が」
普通はこんな街の、殉職率ナンバーワンみたいな所に来ようとは思わないだろう。元々公安のエリートみたいだし。
「おれは……そうだな、ルナが話してくれたから、おれも話さないとフェアじゃないな」
そう言って、灯が遠い目をして話し出す。それはこの魔界都市での、過去の記憶だった。
「おれは元々はこの魔界都市で産まれた。両親は小さな飲食店を経営していて、細々とたがそれなりに幸せな家庭だった」
なるほど、と思った。魔界都市外で産まれた人間は、あまりこの都市に入ってこない。灯がここへ来たのは、元々魔界都市出身だったからだろう。
「今から20年前、おれが6歳だった時、とある暴動に巻き込まれて両親が死んだ」
なんともまあ、これだから魔界都市は危険なのだ。なんかの暴動なんて日常茶飯事で、だから俺たちみたいな機動班がいるわけで。
「その時におれを助けてくれた人がいたんだ」
「まさかそいつに恋したとかそういう話?」
「違う!そうじゃなくて、ただ格好良かった。憧れるには十分なほどに」
「どんなやつ?」
20年前なら俺もその場にいただろうか。灯が憧れたやつに、俺は単純に好奇心を抱いた。なにせこの仏頂面だ。こいつも純粋な少年時代があったのかと思うと面白い。
「そうだな……瞳が赤かったから吸血鬼だった。華奢で背はあまり高くはなく、長い黒髪を後ろで纏めていたから女性だったと思う。どこか異国の中性的な面持ちだった」
はたしてそんなやついただろうか。機動班は出入りが激しすぎて全員の顔は思い出せない。
「悪いけど心当たりないな。俺も全員を覚えているわけじゃないし」
機動班は入れ替わりが激しい。ましてや万年D班の俺が、A.B班の奴らの顔なんて尚更覚えてはいない。
「いや、今更会いたいとか言うわけじゃない。ただ勝手に憧れているだけで、そもそもあの人は人外だ。ああなりたいと思っているわけじゃないが、おれもこの街で、誰かを救える人間になりたいと思ったのがキッカケだ」
へぇ、と相槌を打ち、俺はまた鍋に手をつける。片手が使えない俺に、灯は甲斐甲斐しく鍋をよそってくれる。
しばし無心で食事をして、そろそろ腹一杯というところで灯が言った。
「風呂に入るだろ」
「ん?どうしようかな」
いつもなら寝る前に入ったり出かける前に入ったり、とりあえず思いついた時に入っていた。
でも今日は左腕がギプスと包帯でぐるぐる巻きだし、怪我のせいでいつにも増して眠い。このまま、腹一杯のまま寝られたら最高だ。
「汚いから入れ。おれが手伝ってやる」
は?と思った。風呂を手伝うとは何事か?
「いやいや、結構です!」
「ダメだ。今すぐに風呂へ行け!」
有無を言わせぬ灯の態度に、俺は不満タラタラで言われた通りに風呂へ向かう。パンツだけ持って。
もうどうにでもなれ、と俺は諦めたのだった。
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