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 風呂場はかなり狭い。それもこの一万ほどの家賃のためだが、とにかく、ガタイのいい灯と入るには狭すぎた。  灯は両腕両足の袖をたくし上げ、俺はと言うと全裸で腰にだけタオルを巻いた状態だった。さすがにバディとは言え素っ裸を見られるのは避けたい。  左腕はラップやビニール袋でぐるぐる巻きで、濡れないように配慮されている。 「ねぇ、本当に大丈夫だからさ、灯は出てってくれない?」 「いやダメだ。お前の左腕は、おれのせいでもあるんだから」 「これは自業自得だって言ってんだろ。それにこれくらいの怪我、食って寝てりゃ治るんだから」  灯には話さなかったけれど、人間の血を飲まない俺は、他の吸血鬼より傷の治りが極端に遅い。そんなことを言ったら灯に心配をかけてしまうから黙っていたが、話さなくても灯はウザかった。 「黙って風呂に入れ」  もう何を言っても聞いてくれそうになくて、俺は素直に風呂の椅子に座った。灯は俺の後ろで、シャワーを手にしている。  ザーッとお湯が出る音が風呂内に響き、熱いくらいの湯が背中にあたる。ブルっと身震いする俺に、灯は容赦なく湯をかけた。 「熱いよ」 「これくらい我慢しろ」  ムッとしたのは言うまでもない。そもそも頼んでもないのに、なんで俺の言うことを聞いてくれないのか。  灯がシャンプーを手にして泡立てる。それを俺の濡れた髪に絡ませて、ゴシゴシと遠慮なく擦る。  正直力が強すぎて気持ちよくない。でも、その不器用な手つきがどこか憎めなくて、少し笑えた。しばしこの拷問のようなゴシゴシ洗いに耐えて、シャワーで泡を洗い流した時だった。 「これ……」  灯が何かに気付いたように手を止める。そして、俺の肩甲骨あたりを、スッと縦になぞった。 「ふぁっ!?」  あられもない声を上げた俺は、ブルっと一度身震いする。 「触らないでよ!そこ敏感だから!」 「悪い」  そこ、というのは、俺の羽が生えるあたりだ。そこは縦に一筋の一対の濃い跡があって、触られるとこそばゆい。敏感な部分のひとつだった。  悪いと言いながら、でも灯はもう一度その跡をなぞった。 「や、め……んっ」  ダメだ。俺の意思とは関係なく、下肢に熱が溜まっていく。それくらい、灯の触れるそこは敏感なのだ。 「灯、も、やめて……」 「悪い……おれのせいだな。ちゃんと責任は取るから」  は?と思った、その瞬間、灯が背後から覆い被さって来た。自分の服が濡れるとか関係なく、灯の手は俺の急所を握る。 「ちょ、待って、何すんの!?」 「……じっとしてろ」  灯のゴツゴツした手が、俺のそこをギュッと握ったかと思えば、柔い手つきで上下に擦る。 「あっ、やめ……灯、ほんとにダメだって!」  ブルブルと内腿が震えて、ぎゅっと目を瞑った。人に与えられる快感が、こんなにも強烈だとは知らなかった。  灯の手つきが一段と早まり、声にならない吐息を漏らして俺は絶頂を迎える。 「やぁ、んっ!!」  ドクドクと熱を吐き出し、ぐったりと灯にもたれかかる。そんな俺を抱き止めた灯は、何も言わなかった。  出したせいですぐさま眠気が襲って来て、うとうとしだした俺を、灯は無言で介抱した。  気付けばいつもの寝床にいた俺は、そのまま毛布に包まって寝てしまった。  まさかバディにあんなことされるとは思わなかった。80年機動班にいて初めてのことだった。  忘れよう。俺の今日の出来事は、なかったことにしよう。灯だって本意じゃなかっただろうし。  しかし俺の欲求不満は、人間の血に対してだけじゃないらしい。いや、そもそも血が足りていないからこそ、他の欲求が強くなっているのか。  まあよくわからないけど、とりあえず、今日あったことは忘れよう。  そう思いながら、俺はいつも通りに眠りについた。灯は夕食の片付けをして、いつのまにか部屋からいなくなっていた。  翌日は腕の痛みで目を覚ました。  寝ている間に怪我をした左腕を下敷きにしていたようだ。  むくりと起き上がり、そういえばしばらく仕事に行かなくていいのだと思い出す。そして、もう一度毛布に包まった。  お腹が空いた。でも何か買いに行く元気もなくて、そう言えば昨日灯からもらった人工血液があるのだと思い出す。  のそのそと冷蔵庫まで行き、キンキンに冷えてしまったそれを取り出す。たった50ccのそれを、蓋を開けて一気に飲み干した。  美味しくはない。しかし80年の間に、本物の血の味を忘れてしまった俺にとって、栄養となるならばなんでもよかった。  ふぅ、と一息ついていると、部屋のドアが開いた。灯だ。 「調子はどうだ?」  と、昨日あったことなんて気にせずに話しかけてくる。俺は咄嗟にそっぽを向いて赤く染まったであろう瞳を隠した。 「まあまあだよ」 「……朝食を持って来たが、食べられそうか?」 「うん」  灯はまるで我が家のように上がり込むと、ちゃぶ台にこれでもかと菓子パンを並べる。それらは俺が好きでよく買っているものだった。 「俺の好み知ってたんだ」 「バディだからな」  なんだか照れ臭い。昨日のこともあるし。灯は俺に興味がないのかと思っていた。 「ところで、さっきからどうして下を向いているんだ?」 「昨日も言っただろ。血を飲んだ後の目を見られたくないんだよ」  ああなるほど、と灯が呟く。そして、あろうことか俺の顎を片手で掴み、ぐいっと上を向かせた。灯と視線がかち合う。 「おれは別に、お前の目を見ても気持ち悪いとは思わない」  真剣な表情だった。そして真面目な灯は嘘なんかつかないことを俺は知っている。 「そんな事言って、バディを組んでからずっとそっけなかったくせに」 「それは……おれが勝手にそうしていただけで、ルナは何も悪くない」 「自覚はあったんだね」  顎から手を離した灯は、珍しく困った顔をして言った。 「機動班は殉職率が高いし、おれたち人間はお前たち人外より弱い。もしおれが先に死んでしまったら、バディであるお前に余計な負担をかけてしまう。だから必要以上に関わらないでおこうと思っていたんだ」  優しさなのだろうけれど、不器用過ぎるだろう。 「そっか。てっきり嫌われてるのかと思ってた。俺は灯みたいに真面目じゃいし、仕事での態度も悪い」 「自覚はあるんだな」  そこで2人同時に、クスッと笑ってしまった。灯の笑っているところを初めて見た。 「でもそんな気遣いは必要ないよ。どのみち俺の方が長生きだし、人間がすぐに死んでしまう生き物だってこともわかってる。そんなことより、俺は人と話すのが好きだよ。長くこの仕事を続けられるくらいにはね」  沢山のバディと組んできた。出会いがあれば別れもある。それを受け入れているから、俺は人の死なんて何とも思わない。  殉職や辞めていったバディたちのことも、どうせすぐに忘れてしまうし。灯も俺にとってはその中の一人に過ぎない。  まあ流石に、バディに抜いてもらったことはないけど。 「わかった。これからは改善するようにする」  照れ臭そうに頭を掻いて言う灯に、俺は満面の笑みを浮かべたのだった。
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