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鼻が曲がってしまいそうな異臭に、玉鈴は「うっ」と呻き、袖で鼻を覆う。少しでも臭いを薄くしようとしての行動だったが窓が全て閉められた房室は空気が篭り、香が充満しているため効果は薄い。これが血や肉が腐る臭いならまだ耐性はあったが、香は得意ではない玉鈴は顔を顰めた。
室内に充満する香は悪鬼除けのために焚かれていた。古より、高貴な身分の者が亡くなると遺体を埋葬するまでの間、魂が抜けた身体を悪鬼とよばれる妖魔の一種に乗っ取られないために、悪鬼が嫌う香を焚きしめるのだ。
香の臭いに慣れているのか、それとも鼻が機能していないのか義遜は平然とした面持ちで奥へと中に入っていく。
その後を玉鈴も浅く呼吸をしながら後をついて行った。
房室は薄暗かった。明かりは臥台の左右に設置された燭台と、義遜が持つ灯籠のみ。朧気な光景の中、一人の影が揺らめいた。
「遅いぞ」
近づく足音と共に、明鳳が姿を表す。この臭いに耐えているのか普段より気難しそうな表情をしていた。
「お待たせしました」
「すぐ視てくれ」
「どちらにいらっしゃるのでしょうか?」
「こっちだ」
明鳳は顎で「来い」と命じた。
玉鈴が促されるままに臥台へと近づくと義遜が灯籠を掲げ、臥台を照らした。
「彼女は……」
その姿を視界に入れた玉鈴の顔からは、さっと血の気が消えた。
臥台の上で横になるのは一人の女人。歳の頃は二十になるかならないかほどの小柄な女性だ。
とても穏やかな表情で、一見すると眠っているようにも見えるが、白を通り越して青くなった皮膚と土色の唇から彼女が死者であることを悟る。
「華明凛。宝林の位を与えられた妃です」
——ええ、知っています。
玉鈴は心の中で答えた。
——だって、彼女は。
「そして、彼女が貴方に嫌がらせを行った首謀者でもあります」
淡々と紡がれた義遜の言葉に、玉鈴はぐっと奥歯を噛み締める。
「貴方をお呼びしたのは聞きたいことがあるからです」
玉鈴は無言で頷いた。
その隣に立つ明鳳は何やら考え込んでいる。眉間に刻まれた皺は義遜が話せば話すほど深くなる。何やら納得がいかない様子だ。
難しい表情の二人とは打って変わり、義遜はいつもの場違いな笑みを浮かべていた。
「華宝林付きの侍女が『主人を殺したのは柳貴妃様だ』と証言しています。殺しました?」
義遜はこの状況を楽しんでいる。長年の付き合いから目の前の胡散臭い男の心情を察した玉鈴はふつふつと湧いてくる苛立ちと怒りを自覚した。
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