雪玲の野望

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「だ、れか……いる、のか」  雪玲の耳に届いた言葉は苦しみと恐怖で震えていた。身体を蝕む毒と、雪の冷たさはいかに屈強な体躯を持つ男でも恐ろしいようだ。 「大丈夫ですか?」  雪玲は男を安心させるべく、たおやかに微笑み、優しく声をかけた。 「今、お薬を用意しますね」  背負い袋からいくつかの小瓶を取り出して雪の上に並べていると男が雪玲の腕を掴み、「逃げろ!」と叫んだ。 「はやく、逃げろ……! ち、んがいる」  そう言い終わると同時に腕を掴む手は力が弱くなり、雪に沈んだ。雪玲が声をかけても意識を完全に失った男は反応を返さない。  しかし、かろうじて生きているようで浅く呼吸を繰り返している。雪玲が睨んだ通り、男は毒に耐性があるようだ。  けれど、 (このままじゃ死んでしまいますね。でも、困りました。冬場とはいえ、鴆毒には解毒剤がありません)  鴆は餌を介して得た毒性物質を体内の毒胞と呼ばれる器官に蓄積させる特性を持つ。その時、得た毒性物質によって鴆毒の効能は変わり、神経に作用する蛇毒を得た鴆の毒は同じように神経毒となり、出血作用を持つ蛇毒を得た鴆の毒は同じように出血毒となる。与える餌を指定して厳しく管理していた董家と違い、ここは自然界。木の実、果物、きのこに虫と鴆が食べたであろう餌は多岐に渡る。  そのため、その毒主である鴆が食べた物が分からないことには解毒剤は作れない。  雪玲は男に起こっている症状を観察することにした。  男は意識を失っているが唇ははくはくと忙しなく動いている。指先や足先等、全体的に痙攣に似た症状が見られるが、これは低体温症になっていることも要因の一つと考えていい。何度か嘔吐を繰り返したようで、口元や袖には吐瀉物(としゃぶつ)がついている。今は吐き気も治まったのか気持ち悪そうな様子はない。心臓は弱ってきているけれど、しっかり動いている。脈拍は不規則だ。瞼を持ち上げると瞳孔は開いており、わずかに揺れていた。 (馬酔木の好物は果物系で、確かこの少し先には果樹園があったはず)  馬酔木が主食としているのはおそらく(あんず)だ。  けれど、杏が実をなすのは六月から七月。主食にしていても蓄積された毒は薄れゆき、今の季節には微々たるものだ。 (虫、木の実……。確定はできませんが一か八か作るしかないですね)  男の身に起こる症状を足がかりにして、雪玲は解毒剤の作製にとりかかった。
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