雪玲の野望

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「おそらく必要かと思ったので……。大丈夫そうですか?」  それが男の容態ではなく、雪玲の身の安全を指していることは乳母の表情から分かった。雪玲は「はい」と頷いた。 「大丈夫ですよ。まだ筋肉が弱くなっているようですが無事に峠は越えたようです」 「それならよろしいのですが……」  手にした盆を雪玲に手渡すと香蘭は胡乱げな視線を男に送る。 「では、看病は下男下女(しようにん)に任せて、お嬢様はお休みくださいませ」 「あら、別に平気ですよ。この方を連れて来たのは私ですから、最後まで面倒みます」 「こんなことお嬢様がする事ではありませんわ。旦那様もお怒りになります」 「お爺様の介護もしてるし、お義父様は病人の介護を途中で放り投げたと知った方がお怒りになるでしょう」  どうにか雪玲をこの場から離したい香蘭はあの手この手で誘導しようとするが、雪玲は薬と海蘿粉を入れた白湯を匙で掻き混ぜながら一笑した。  湯気も薄れてきた頃になると流石の香蘭も諦めたのか肩を落として項垂れる。今にも卒倒しそうな様子だが雪玲と男を二人っきりにするのは、と室に残る事を決めたらしく、男の額に乗せる手拭いを水桶に浸し始めた。 「体を起こせますか?」  男は体を持ち上げようとするが体力気力共に限界の今、それは出来ないようだ。瞬きを二度して申し訳なさそうにした。 「香蘭、手伝ってください」 「はい。失礼します」  男の頭上にまわった香蘭は男と敷布の間に手を滑り込ませ、慣れた手付きでその体を起こした。  体勢が変わったことで節々が痛むらしい。男がうめき声をあげる。 「痛いでしょうが我慢してくださいね。さあ、これを飲んでください」  目の前に差し出された薬湯を、男は訝しむ目で見つめた。  その気持ちも分かるので雪玲は苦笑する。熱冷ましの薬草と体内に残る毒素を排出させるために発汗と利尿作用がある薬草を配合した薬湯の色はどぶ色。つんと鼻先を刺激する臭いは飲まずともこれが酷く苦くて不味いものだと主張している。配合した張本人である雪玲自身もできれば飲みたくない代物だ。 「別に毒は入っていませんよ。色が濁って、臭いも独特なので嫌気するのも分かりますが」 「安心してくださいませ。お嬢様は薬師(くすし)として素晴らしい腕をお持ちですわ」 「あら、香蘭。それは褒めすぎですよ。私の知識はほとんど独学ですのに」 「乳母であるわたくしが保証します。お嬢様のお薬を飲めば貴方もすぐよくなるに決まっております」  香蘭が自信たっぷりに宣言する。  最初は抵抗を見せた男だったが覚悟を決めたらしく恐る恐る——といってもわずかにだが——唇を開いた。  雪玲はそのわずかに開いた隙間に、慈悲もなく薬草を匙で流し込んだ。
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