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晴翔 1
幼いから自分には何か足りない、そう思って生きてきた。
たぶん自分は他より恵まれた環境なのもわかっていた。
両親は共にアルファで、そんな自分もたぶんアルファで間違いない、そう感じていた。
勉強も、スポーツも周りで頑張っている奴らよりも出来たし、身体の成長も他より早かった。
でもいつも思っていた。
何かが足りない。
身体のピースが1つ欠けているようにずっと感じていた。
10歳の誕生日を控えた7月、家が病院を経営しているのもあり、普通なら10歳をすぎてからするはずのバース性の一次検査を早めに行うことになった。
どうせ自分がアルファであることは本能でわかっていたので、今更な感じがしたがこの家では必要なことなので仕方がなかった。
そしてその結果が出てアルファであること、しかも上位アルファだとわかると周りの人間達の雰囲気が一気に変わった。
まだ10歳にも満たない子供に擦り寄る大人達を眺めながら、これから先も自分自身に興味を持ってくれる人達ではなく、神戸家の上位アルファである神戸晴翔という人間に、なんの澱みもなく近づく人達はいないんだとその時にはもう理解していた。
上位アルファであっても何かが足りない。
それなのに周りは自分達の私腹を肥やすことで俺を持ち上げる。
そこに居たくはないのに、離れられないのは神戸という大きなものを背負って立つのが必然だと思っているからだろう。
周りが言う羨ましい自分はなんの幸せも感じずに生きていく。
もう9歳でそう達観していた。
それが一瞬で自分の世界が変わるのをこの身で感じるとは思っても見なかったのだ。
それが川崎智洋との出会いだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
10歳の誕生日を前日に迎えたあの日、昼に差し掛かろうとした時だった。
当日の衣装合わせが終わり暇を持て余したので、その時少し興味の出てきたバスケットボールを片手に親にせがんで作らせたバスケットゴールで時間を潰していた。
どうせゴールの横にあるリビングで昼食を食べるんだし、ちょうど良いよな、そう思ってボールを握って打つが、どこから投げても入るボールに腹が立ち、ゴールとは違う方向にボールを投げつけた。
そのボールが家政婦達が使っている控室の前に転がっていく。
そのままにしていても使用人や家政婦達が片付ける、なのにその日はすっと足がボールに向かっていた。
ボールを追いかけると、風に乗って柔らかく優しい匂いがただよい、その匂いがする方に自然と足が向いた。
その瞬間分かった。
足りないピースだ、と。
駆け出した足、もっと早く動かせ、と脳が伝える。
近づく程にその匂いが運命だと騒ぎ立てる。
足りない自分に足りないピース。
そこは家政婦の控室、急いでドアを開ける。
部屋中が甘く蕩ける程の匂いに包まれて本能が歓喜に満ちた。
「お前だれ?この良い匂いなに?」
なに?と聞かずとももう分かっている。
でも身体中からもっと嗅ぎたい、これが欲しいと叫んでいる。
小さな顔に目立たないが綺麗に整った目や鼻と、ぷっくりとした唇の横にはホクロが主張しないほどの小ささで存在している。
年は同じくらいか?
急にドアから入って来た俺を彼はキョトンとした顔で眺めていた。
良い匂いがすると嗅ぎ回っていると何を勘違いしたのか
ばあちゃんが作った弁当、というものを差し出して来て一緒に食べようと言って来た。
そんなやりとりも好ましかったが、そこで笑顔を見せるのも恥ずかしく、机の上にあった割り箸を取って、その”ばあちゃんの弁当”を口いっぱいに頬張った。
確かに弁当は美味いが、それよりもそこにいる人物に全ての興味が注がれていた。
彼はその間、終始ニコニコしていて、俺のことを話しても
”そーなんだぁ、なんかカッコいいね”
と言っただけで他の奴らのように俺を持ち上げたり、機嫌を取ろうともしないので、嫌な雰囲気は全くしなかった。
両親が亡くなり神戸家の家政婦長である祖母の川崎さんに引き取られたこと。
地元の小学校に通っていること。
友達も何人か出来たんだよ、と笑って語る姿は俺をこの上なく惹きつけ、ずっと彼の近くに居たくてたまらなくなっていた。
俺が最近受けたバース性の検査で上位アルファだったことや、それによって擦り寄ってくる大人達のことなども話したが”僕にはわかんないや〜ごめんね”と軽く流された事にも興味が湧いた。
そして僕は平平凡々な”ベータ”だよ、なんて言う。
こんな匂いをさせてるのに?
俺の運命なのに?
ベータ?
そんなはずはない。
きっと何かの間違いだ。
一次の検査では分からずとも、15歳で調べる二次検査で本当はオメガだとわかるかもしれない、とにかく、こいつは俺の側にいさせないと、そう心に誓ったんだ。
それなのに誕生日パーティーを過ぎて智洋と夏祭りに行く約束をしたあの日、川崎さんの作ってもらった浴衣を着付けてもらった後、両親に呼び出され、無情にも婚約者を決めた事を伝えられた。
雷に打たれる、それほどの衝撃だった。
これは決定事項だ、と。
そう言われたんだ。
幼い頃から、言い聞かされてきた事がある。
”お前は神戸家にとって最高のオメガかアルファと結婚し、優秀な子供を残す事、それがこの家に生まれた者の使命だ”と。
好きな人がいれば側に置いて何人囲ってもいいとも。
足りないピースが埋まるなんて智洋と出会うまでは正直思ってもいなかった。自分はその事を当たり前としていたし、何なら、誰と結婚しようが構わないとさえ思っていた、なのに父から”婚約者が決まった”と言う言葉を聞いて、胸の奥がズキズキと痛み刺さった棘は重みを増し抜けなくなっていた。
約束の時間は少し遅れたが智洋は何も言わずにはにかんで俺の手を取り境内を歩いていく。
夜空に咲いた花火の音が痛いくらい胸に響き、連れ込んだ境内の脇で智洋にキスをした。
俺はきっとこの先も智洋を手放せない、その小さな体を強く、強く抱きしめた。
力をつけて婚約者なんて排除してやる、その時はそう思っていたんだ…
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