恋心と変化の兆し

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恋心と変化の兆し

「晴ちょっと待って、ねぇ」 近所の境内の階段を目の前の幼馴染が駆けていく。 10歳になったばかりの僕達だが、晴は僕の身長よりも頭ひとつ分高く、歩くと少し差が開くんだ。 今日はせっかくばあちゃんが夏祭りようにって2人に作ってくれた浴衣を着て、晴の家に迎えに行った。 似合うって言ってくれるかな? 晴には若草色の落ち着いた浴衣だったから、間違いなく似合ってるだろうな、なんて浮かれてたんだ。 でも玄関から出てきた晴はいつになく不機嫌で、強い力で引っ張られて出てきたんだけど、なぜこんなにも機嫌が悪いのか、一言も口を開くこともなく、目の前を歩く晴に必死に追いつこうとしていた。 「ねぇ、晴!ちょっと待って!なんでそんなに不機嫌なの?ぼ、僕追いつけないじゃん!」 階段を上り切った時、鳥居の脇に引っ張られ、上がった息を落ち着かせる間もなく晴に抱きしめられていた。 「は、晴どうしたの?こんな所で、僕息が苦しいよ!」 腕に回した晴の背中を叩いて顔見せて?と声をかけてみるが、逆にもっと強く抱きしめられた。 「なんで、なんで智はこんなに良い匂いなのに、なんで?なんでベータなんだ…」 辛そうな泣きそうな声で晴が呟いた。 遠くで祭囃子が聞こえ、賑やかな人の足音が響く。 顔を上げた晴が僕を見つめて 「智がいいのに…」 そう言って口付けられた。 空にはたくさんの花火が咲き、そっと僕達を照らし続ける。 震える胸が高鳴る。 この日僕は一瞬で彼、神戸晴翔に恋をしてしまった。 それがすぐに叶わぬ恋になるとは知らずに。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 憂鬱な気持ちで仕事を終えた。 スマホの時計が約束の時間に迫っている。 彼はもう近くにいるだろう。 重い足を引き、同僚に声をかけエレベーターに乗った。 3ヶ月に一度の第3金曜日。 決まってこの日僕の足は重く、胸が掻きむしられるように悲鳴を上げる。 一歩一歩近づく影を見ないように下を向く。 会いたくない。 なのに胸が躍る。 辛いのに顔を見たい。 「智洋」 声をかけられ顔を上げる。 今日は一段と機嫌が悪そうだ。 昔から整った顔には眉間に皺を寄せている。 それでも彼の雰囲気は不機嫌には見えないらしく、精悍な相貌ね、と周りでの評価に繋がっているらしい。 僕にとっては不機嫌な顔にしか見えないのに。 「ご、ごめん、ちょっと仕事が片付かなくて」 高級車のドア開けると車内から腕を引っ張られる。 ベータの僕でもわかる程、ドロッとした甘い香りが車内と晴翔本人から漂ってきた。 この10年間同じ匂いを僕は3ヶ月に一度味わい、身に纏った晴翔に抱かれるんだ。 ベッタリと張り付いたオメガの匂いを纏わり付かせた晴翔に。 手を引かれそのまま抱き込まれてぐちゃぐちゃに蕩けるように舌を絡ませたキスをされる。 僕の職場から晴翔の家は車で10分とはかからない。 地下の駐車場から20階の部屋まで、あの神社でのようにいつも引っ張られ部屋の中に連れ込まれる。 ああ、今日も当てつけの様に抱き潰されるのか… ベータの僕には威圧しか感じないアルファのフェロモンと、10年嗅ぎ続けた甘い憎いあの美しいオメガの匂いに塗れながら。 遮ることのない日差しがカーテンの隙間から寝室を照らす。 横でうつ伏せになってこちらを向く晴翔の綺麗な瞳と長いまつ毛を眺める。 規則的な寝息が聞こえる。 抱き潰された身体は悲鳴をあげるが、一向に眠れず夜が明けるのもいつものことだ。 ベッタリと張り付いた汗と精液とオメガの匂いに辟易しベットを降りシャワーを浴びた。 ブランド物のソープを使って身体中を擦り上げる。 力を入れて洗っても洗っても洗っても落ちない。 そのうち溢れる涙を誤魔化そうとシャワーを頭から浴びた。 いつまでこんな惨めな思いをしながら朝を迎えなきゃいけないのか、自分がここまで我慢を強いられなきゃならないなんて15年前に花火と共に咲いた恋心には想像もつかなかった。 告白された訳でもないのに縋り付き身体に貪り尽くす晴翔を引き剥がせない僕が悪いのだ。 婚約者のいる相手を振り解けない僕の我儘。 痛む胸が悲鳴をあげ心はもう諦めているのに、身体が晴翔を欲して離れられない。 ただの幼馴染としてならここまで辛くなかったはずなのに、婚約者のオメガがヒートを迎えた10年前、僕が引きずられる様に抱きしめ身体を開いたのが間違いだった。 晴翔はあの綺麗なオメガをどんな風に抱くのだろう。 その事が頭に浮かび、黒い感情が渦を巻いて口から悪い感情と共に出て来そうだ。 もうだめだ、これ以上こんな状態でここに居ると自分の何かがだめになる、今日こそこの関係を壊して昔の幼馴染に戻る、そう誓い浴室を出た。 濡れた髪もそのままにリビングに向かうとスリムなジャージだけを履いた晴翔がコーヒーを淹れていた。 「おはよう」 タオルを片手に声をかける。 眉間の皺も消えて穏やかな表情でこちらをみると 「コーヒー飲む?」 と答えるまもなくカップを差し出して来た。 毎度毎度なんで僕達は同じルーティンなのか。 差し出されたカップを受け取ると、反対側に持っていたタオルを取られて乱雑に濡れた髪を拭かれた。 「風邪引くだろ、ちゃんと拭けよ」 「うん、ごめん。ありがとう晴」 「悪かった、身体キツくないか?」 不器用で優しい言葉。 この関係に終止符を打とう、その気持ちが揺らぐ。 少しほろ苦いコーヒーを口にしたけど、自分気持ちとリンクしそうで、机の上にカップを置いた。 いつもそう、会う時は荒々しくもう二度とこんな関係を辞めてやる、そう思うのに引き剥がせない。 10歳の頃より伸びた身長は頭ひとつ分から2つ分に変わっている。タオルの隙間から僕を見つめる目は穏やかで、昨日の姿とは全く違う。 「晴、仕事は大丈夫?その、もう1週間だろ?仕事たまってるんじゃないの?僕のことは良いから用意して、鍵はコンシェルジュに預けとくから、それと…」 別れを口にしようと言葉を続けるが 「お前が心配する事じゃない、仕事は夕方からだからまだ時間はあるそれより…」 手を引かれ抱き込まれる。 首筋に鼻を擦り付け匂いを嗅がれた。 「やっぱり智洋の匂いがいいな、俺の運命だ」 その瞬間晴翔を突き飛ばしていた。 胸が張り裂けそうだ。 やっぱり、今日はハッキリさせないともう自分が壊れるそうだ。 「もうやめよ、こんな関係。僕は何?幼馴染?それともただのセフレ?違う、ただの吐口でしょ?毎回毎回同じオメガの匂いをベッタリつけた晴翔になんで僕は抱かれるの?僕は何?婚約者のいるアルファの何?もう無理だよ、好きなのに、好きだから無理だ!ふざけんな!そこに割って入れないベータの僕は、君たちが結婚してもそばに居なきゃならないの?」 「智…」 声を張り上げる 「だから15年前みたいに幼馴染に戻ろ、晴翔は婚約者と仲良くすればいい!もう疲れたよ」 頭にかけてあるタオルを晴翔に向かって投げつけた。 恋心と共に。 急に周りの空気が変わり足がガクガクして立っていられなくなる。 晴翔の身体から僕でもわかる程のアルファフェロモン、怒りのフェロモンが溢れでている。 息が苦しく胸を掻きむしる。 「あ…ご…ごめん…なさ…い」 初めてかもしれない、こんな怒りに塗れた晴翔のフェロモンを全身で受けるのは。 ダメだ、身体の中から何かが渦巻いてグルグルしている。 「あ…あ…」 身体が熱く呼吸もままならず僕はその瞬間意識を手放した。
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